第5話 飴ちゃん令嬢とワケアリ従者

 ここにいるはずのないヒロインの闖入により、思わぬ結末になったお茶会が終わって早一週間。


 先日のお茶会のことで、侯爵令嬢ロゼッタから、正式にお礼と謝罪の手紙が送られてきた。


 ツンデレのテンプレだと思われていたロゼッタだが、素直でないのは口だけのようで、大変しおらしい文章が綴られていた。そのギャップもまた可愛いのだが、問題はそこではなく、「父がハイマン嬢に会いたがっているので、都合のいい日に伺いたい」と書かれていたことだ。


 そこで家族に相談し、両親が在宅している日を選んで我が家に招待することになり、準備のために屋敷は少しバタバタしているが、子供のジゼルに手伝えることもなく、マナーのおさらいをしながら勉強に勤しんでいた。


 ジゼルとしては追放フラグが消滅したも同然で、早くも本編シナリオが終わった気分だが、当たり前のことながらゲームとは違って人生は死ぬまで続く。


 家族には王太子の婚約者になれなかったことを残念がられた……というか、事の次第を報告するなりものすごく慰められた。

 どうやら彼らは、他の令嬢と同様に、ジゼルもミリアルドに憧れている、あるいは王太子妃になりたがっている、と思い込んでいたのだ。


 確かに記憶を取り戻す前は思考も幼く、「おうじさまとけっこんしたい!」などと口走ったかもしれないが、多分本気ではなかったし、追放フラグを思い出した段階で完全にありえない話だ。

 とんだ誤解である。


 どちらにも微塵も興味がないことをきっぱりと示すと、元より無理強いするつもりはなかったようで、一転して「嫁になんか行かなくていい! ずっとこの家にいればいい!」という結論に至り、溺愛が加速している。


 しかし、公爵令嬢が行かず後家は体裁が悪い。

 いくらどこの馬の骨とも知れないブサ猫であったとしても、戸籍上でジゼル・ハイマンとして存在している限り、公爵家に迷惑がかかってしまう。


 顔面偏差値はどうにもならないが、せめて頭の出来くらいは人並みにしないとと思いたち、真面目に勉学に励むことにしたのだ。


 しかし、思ったよりもその道のりは険しい。

 普通ならとっくに終わっているはずのカリキュラムがまったくの未消化で、基礎の基礎からやらないとまずい状態なのだ。


 少し話は逸れるが、島藤未央が小学生だった頃、そりゃあもう勉強大嫌いの権化だった。

 授業中はノートに好きなキャラのラクガキをして遊んでばかりで、マンガやテレビに没頭して宿題だってしょっちゅう忘れるし、夏休みの課題はラスト一週間でやっつけるのがデフォルトの、脳みそ空っぽな子供だった。


 中学生になってもその緊張感のなさは続き、そんな娘を見かねた親が、「平均点以下ならコレクションは全部廃棄!」と宣言し、それをガチで実行したことにより心を入れ替えた……という黒歴史がある。


 自分をディスって笑いを取るのが大阪人だが、さすがに恥ずかしくてネタにしたくない過去ナンバーワンである。


 周囲の証言から、前世の記憶を取り戻す前は、実年齢に対応した島藤未央の行動パターンをトレースしていることが多かった。つまり、この怠け癖は幼少期の未央から受け継いだものであり、結局のところ身から出た錆というヤツだった。


 転生悪役令嬢らしからぬ低スペックを授けた神と、ここまで放置して甘やかした両親に恨みを抱きつつも、元アラフォー社会人として自己責任という名の十字架を背負う義務がある。


 それでも最初は、大人の思考回路と人並みの記憶力を持っているから楽勝……と高をくくっていたが、歴史も語学もまったく違うので一からやり直しだし、前世では令嬢教育など受けたこともないから、これもゼロからのスタートだから、たいしたアドバンテージではない。


 初っ端からつまずきそうになったが、千里の道も一歩からということで、自分のペースでできることをやりながら過ごしていた。


 今日も今日とて、家庭教師が来る前に昨日の復習に精を出していると、いつもより早い時間にノック音が聞こえた。


「……どーぞ?」


 小首を傾げつつ入室を促すと、ハイマン家使用人のツートップである侍女長と家令が入ってきた。二人ともすでに還暦を迎えており、平均寿命が七十に届かないこの国では、引退していて然るべき年齢だが、生涯現役を口癖に今もキビキビ働いている。


「お忙しい時間に失礼します。本日よりお嬢様にお仕えする従者を紹介に参りました」

「従者?」


 おもむろに記憶をたどるが、ジゼルに従者がいた描写はなかった。


 顔グラもホイスもない取り巻きならAからDまでいたが、ひょっとしたらその中にロゼッタがいた……とは思えない。彼女の性格上、あんな悪役令嬢のテンプレに侍るくらいなら、どの派閥からはみ出そうとも一匹狼を貫くだろう。

 という話はさておき。


「人は今で十分足りとるけど?」

「ええ。お嬢様をお世話する人手に抜かりがないのは、我々が保証します。しかし……公爵家とゆかりのある、さる貴族令息を“行儀見習い”として預かることになりまして……」


 なにやら言葉尻を濁しつつ、侍女長は視線で会話のバトンを家令に渡す。


「ご存知の通り、旦那様にも坊ちゃんにも、すでに専属の従者が何人もおりますし、坊ちゃんと変わらないお歳ですから、奥様には少々若すぎます。身分的にも下働きをさせるわけにもいかず、お嬢様にお仕えさせることになりました」


 行儀見習いとは、デビュタント前の令嬢を上級貴族の邸宅で働かせ、ステータスに箔をつけるための行為だと思っていたが、それは令息にも当てはまるものなのだろうか?


 確かに家督に関係ない次男三男が、遠縁の家で従者や秘書として働くことはあるし、そのお試し期間のようなものと考えれば、行儀見習いという表現もあながち外れではないが……こちらが子供とはいえ、年若い異性を傍に仕えさせることはあまりない。


 お嬢様と従者といえば、前世でも今世でも恋愛小説の定番カップルだが、実際にお嬢様にお仕えしているのは既婚の中高年男性で、所詮物語は物語でしかない。空想の世界だからこそご都合主義がまかり通るのだが……それはともかく。


 この二人の言い方からして厄介者を押し付けられた感がするが、行儀見習いなら長くても半年か一年程度の付き合いだろう。

 これでも前世で十数年社会人をやって来たから、それなりに個性的な人間ともうまくやれる自信はある。


 ……この世界において、“大阪弁を操る公爵令嬢”以上の個性があるかは別にして。


「そうなん。ご苦労なことや。ほな、さっそく紹介してもらおか」


 ジゼルが机の上で開きっぱなしにしていた本を閉じると、家令が扉に向かって「入りなさい」と声をかける。廊下で待たせていたのだろう。


「失礼します」


 高すぎず低すぎず、心地よく耳朶を打つ声と共に入ってきたのは、燕尾のスーツに身を包んだ少年だった。


 組み紐で束ねられた長い黒髪。切れ長の赤珊瑚の瞳。

 背丈はそれなりにあるが、色白で肉付きの薄い華奢な体。

 ミリアルドに負けず劣らずの美男子だが、あちらが正統派王子様というなら、こちらはクールなインテリ系男子である。眼鏡はかけていないが。


(これまためっちゃイケメンやけど、攻略対象やないな……って、ラノベやないんやし、攻略対象がわざわざウチのところに乗り込んでくる意味もないから、そら当然やな)


 不躾にならない程度に行儀見習いの少年を観察し、記憶と照らし合わせる。


 黒髪のキャラはいたが、ワイルド系の近衛騎士だったし、無精ひげのイケオジ枠だった。赤の瞳には覚えがない。

 この世界には魔法が存在していないはずだから、その手の変装は不可能。よってモブ確定だ。


 未央の知らない間にアップデート等で攻略対象が追加されていなければ、の話だが。


「お初にお目にかかります、ジゼル様。家の面汚しと誹られる身ですので、誠に勝手ながら家名は控えさせていただきますが、私のことはテッドとお呼びください」


 慇懃に頭を下げるテッドを見て、思ったよりもまともな人間で拍子抜けした。

 公爵家ゆかりの身分だからか、仕草も言葉遣いも洗練されている。これなら行儀見習いなど不要ではないかと思うが、“面汚し”という単語は引っかかる。

 ジゼルが言えた義理ではないが、何かやらかしたのかもしれない。


「さよか。ご丁寧な挨拶ありがとさん。そこの二人の言うことよぉ聞いて、お仕事頑張ってな。あ、せや。お近づきのしるしに“飴ちゃん”あげるわ」


 机の上に置かれた、色とりどりの飴玉が入ったガラス瓶を手に取る。


 別に前世で飴ちゃんを常備していたわけではなかったが、コミュニケーションの一環として同僚や後輩によくお菓子をあげていた。お菓子をもらって悪い気がする人はあまりいない。

 手作りなんて高尚なものではなく、スーパーで売っているお徳用パックの個包装菓子だが、何かにつけてお菓子を配りたがるのは、やはり大阪のオバチャンの性なのだろう。


 この世界では長期保存がきくお菓子といえば飴玉くらいなので、必然的に飴ちゃんを配る習慣がついてしまった。


 実を言えば例のお茶会でも令嬢たちに配るつもりで、隠しポケットに飴玉を一杯詰め込んでいったのだが、ボディチェックの際に衛兵に没収されてしまった悲しい思い出がある。

 よく考えなくても浅はかなことをしたなと思うが、あの飴玉はどうなったのだろう。捨てられず、衛兵の腹に収まっているといいのだが。


 そんなことを思い出しつつ、口の小さな瓶を傾けて振ると、薄紙に包まれた赤色の飴玉が出てきた。


「はい、どーぞ。休憩時間にでも食べてな。あ、ゴミはゴミ箱やで」

「あ、ありがとう、ございます……」


 ずいっと差し出された飴玉を受け取ったものの、明らかに面食らった顔をしているテッド。

 貴族はこんな気軽に使用人に物を与えないものだし、それを使用人筆頭たちの前でやっては叱られて当然……というのが常識だが、この家でそれはあってないようなもの。


 お嬢様から飴ちゃんをもらうことは、ここの使用人にとって通常運転だった。


 最初は二人も難色を示したが、飴玉は庶民でも手に入るものであり、当主が「下々にまで気遣いができるとは、なんと素晴らしい子だ!」と感激したものだから、「飴玉くらいなら……」と容認している。

 むしろ最近は飴玉をもらうたび孫馬鹿の老人のようにデレデレになり、今もジゼルが配ってくれるのを嬉々としてそれを受け取っている。


 そんな上司の姿を唖然と見つめ、逡巡しつつも飴玉をポケットに仕舞う。


「では、我々はこれで」

「お時間を取らせて申し訳ありませんでした」

「いやいや、構へんよ。ほな、今日も頑張ってな」


 ヒラヒラと手を振って出て行く三人を見送り、気を取り直して本に向き直る。


 ……その時のジゼルにとって、テッドとの出会いはさしたる重要性を感じない、日常の雑事に埋没するような、ほんの些細な出来事だった。


 だが、今日この時をもって、彼女の運命は大きく動くことになった。

 もっとも、そのことを実感するのは何年も未来のことだが。

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