第2話 ヒロイン闖入事件発生!

 楽観的に考えれば、王太子の婚約者になろうとも、品行方正に勤めてヒロインをいじめなければ、まず追放されることはないだろう。


 そもそもジゼルを婚約者に選ぶ理由は、側室腹のミリアルドにハイマン家の後ろ盾を与えるためだ。

 あの溺愛ぶりから想像するに、相当に重大な理由がない限り、婚約破棄すればハイマン家を敵に回す。


 ジゼルの醜い外見を理由に子作りをせず、側室や愛妾を抱えることになっても、お飾り王妃として死ぬまで養ってくれるだろう。


 しかし、そんなつまらない人生なんてまっぴらごめんだ。


 せっかく悪役令嬢になったんだし、ライトノベルみたいに生きてみたいという野望があるが……ジゼル・ハイマンはご覧の通りのブサ猫令嬢。


 婚約破棄される相手から執着されることもないし、モブから求婚されることもないし、逆ハーレムなんて天地がひっくり返ってもありえない。

 せいぜい飯テロや内政チートが関の山だが、前述の理由でそれも婚約を回避しなければ成立しない。


 ミリアルドに無礼でない程度に嫌われ、他の令嬢を選ぶように仕向けるのは簡単だ。

 ただでさえブサ猫なのに、大阪弁でベラベラまくし立てれば確実にドン引きされ、あっさりと選択肢から外れるに違いない。


(せやけど、家族をガッカリさせるのは心苦しいわぁ……)


 別に王太子の婚約者に選ばれなかったところで、彼らの愛情が失われるとは思わない。

 そもそも再発した大阪弁を矯正しようとしないばかりか、「これからの時代は唯一無二の個性だ!」と褒めたたえて推奨するくらいで、こちらが心配になるくらいの溺愛ぶりだ。


 だが、まったく期待されていないわけではない。


 長年ハイマン家から王太子妃も王子妃も輩出されておらず、王宮内での勢力は著しく落ちている。ジゼルが王太子に見初められればその不遇を巻き返し、一気に形勢逆転できるチャンスだ。

 その機会を自分のわがままで潰すことは、非常にためらわれる。


 かくなる上は、ジゼルが何かアクションを起こす前に、都合よくミリアルドが他の令嬢に心奪われることを祈るしかない。他力本願だが。


 などと一人グルグル思考を巡らせている間に、ミリアルドがやって来た。


 白銀の髪と群青の瞳をした怜悧な美少年だ。

 白を基調にした盛装に身を包んで微笑んでいる姿は、まごうことなきテンプレ王子様である。


 令嬢たちが扇で薄紅に染まった頬を隠しつつ、小さく黄色い声を上げているが……中身がアラフォーのジゼルの琴線に触れるものはなかった。


 ミリアルドが推しではなかったこともあるが、根本的な精神年齢が違い過ぎて恋情など湧かない。

 可愛いとかカッコイイとかは思うが、あくまでイケメン子役を愛でる方向性だ。


(……この調子やったら、ウチはまともな恋愛ができひんのとちゃう?)


 まあ、ブサ猫が恋をしたところで実るわけもないので、恋愛フラグも失恋フラグもまとめてへし折っててくれる方がありがたいのだが。


「――ところで、そこの空席は誰の席だ?」

「ルクウォーツ侯爵令嬢の席でございます」


 王太子殿下の挨拶やら口上やらを、不敬にもきれいに聞き流していたジゼルだが、聞き覚えのある単語を捉えて、はたと我に返る。


(ルクウォーツ侯爵て……ミリアルドルートでヒロインが養女に行くところやん?)


 このゲームは身分差恋愛を主軸にしたストーリーだが、さすがに男爵令嬢のままで王太子妃になるのは現実味がなさすぎるので、身分を釣り合うように遠縁で娘のいないルクウォーツ家に養女に出されたというくだりがある。


 そう。あの侯爵家には令嬢はいない。


 ゲームと現実は違って、あの家に娘が生まれていることも十分ありえるが……ジゼルの頭の中には別の可能性がよぎっていた。


「まさか……」

「お、遅れて申し訳ありません!」


 思わず漏れたつぶやきは、遠くから聞こえてきた声にかき消された。

 顔を上げると、泥だらけになったドレスの裾を掴んで駆け込んでくる少女がいた。


 歳の頃はジゼルと同じくらいだろう。

 天使の輪が浮かぶピンクブロンドのロングヘア。大きくて真ん丸なキャラメル色の瞳。

 ツンと尖った鼻も薄紅色の唇も驚くほど小さく、陶器のように滑らかな肌が火照っているのがなんとも艶っぽい。

 汗で化粧が崩れていてもなお美しく、荒い呼吸を整える息遣いすら聞き惚れてしまう、不可思議な魅力を放つ少女だった。


 ヒロインのアーメンガートだ。


 これくらいの歳のイラストは公表されていないし、ゲーム中において容姿以外は完全に無個性だったため、声や仕草での判別は無理なので確信は持てないが、身体的な特徴からして間違いないだろう。


 しかし、一体いつどうやって侯爵家に養女へ行ったのか。

 たとえ転生者であったとしても、男爵家にそんなコネがあるとは思えない。


(どないなっとるんや、これ……?)


 シナリオを無視した展開に息を飲むジゼルをよそに、ヒロインはミリアルドの前に跪いて深くこうべを垂れる。


「恐れながら、わたくしに弁明の機会をお与えくださいますでしょうか?」

「……いいだろう。発言を許す」


 ミリアルドはだらしない顔でアーメンガートに見惚れつつも、言葉だけは王太子として取り繕って大仰にうなずいて見せる。


「ありがとうございます。実は、こちらに向かう途中、馬車の車輪が側溝に落ち込んで動けなくなってしまったのです。人を呼んで動かそうとしましたがうまくいかず、このままでは出席できなくなると思い、そこから走って参りました」

「僕に会うために、自らの足で駆けて来てくれたと?」

「はい……元男爵令嬢のわたくしでは、到底選ばれることはないと分かっていても、どうしてもミリアルド殿下に一目お会いしたい一心で……」


 感嘆とも非難ともつかない声が、会場のあちこちから洩れる。

 貴族令嬢が人前で走るなんて不作法もいいところで、淑女らしからぬ行動にお嬢様はみんな一様に眉根を寄せている。


 中でも、彼女が男爵家の出だと知っていたらしい、隣に座っていた年上の令嬢の口からは「これだから貧乏人は嫌なのよ」と、不快感をあらわにする発言も飛び出した。

 アーメンガートに物申したい気持ちは分かるが、差別的な発言はよくない。


「あの、そないな言い方は――」

「誰がお前の発言を許した! 口を慎め!」


 嗜めようとしたジゼルの言葉は、張り上げられたミリアルドの声に遮られる。

 彼は叱責されて顔を青くして震える令嬢を憤怒の表情で睨みつけ、集められた少女たち全員にも同じような視線を向けて牽制し――その後、平伏するアーメンガートに膝をついて手を差し伸べ、とろけるような笑みを浮かべた。


 まるで仮面を付け替えたような豹変ぶりだ。


「どうか顔を上げてくれ。誰がなんと言おうと、君は素晴らしい淑女だ。誰かに命じるばかりで何もしない令嬢たちよりも、自らの足で立ち行動する君の方がずっと魅力的だ。泥のついたドレスをまとっていようとも、その姿も魂もここにいる誰よりも美しいよ」

「まあ、殿下……」


「それより、君の名前を教えてくれないか? 知り合って間もないし、ルクウォーツ嬢と呼ぶべきなのだろうが、できれば僕は君を君たらしめる名で呼びたいんだ」

「……アーメンガート、でございます」

「アーメンガート……美しく清らかな君に似合いの名だ」


 手と手を取り合い、至近距離で見つめ合うミリアルドとアーメンガート。


 それから二人はしばし無言になり、視線だけで語り合う“二人の世界”に突入した。

 彼らの背景には、乙女ゲームらしいキラキラとお花の幻覚エフェクトが飛び交い、焼き菓子の匂いよりも甘ったるい空気が充満する。


 やがて、その場の全員がいたたまれなくなった頃、ミリアルドが特大の爆弾発言を落とした。


「アーメンガート。僕は君を愛している。不躾な願いだと重々承知しているが、どうか……僕の生涯の伴侶として傍にいてくれないか?」

「はい!」


 突然の告白からのプロポーズ、からの、ためらい一つない快諾。

 そして感動の抱擁とキス。


 十歳の少女と十二歳の少年のラブシーンというだけで衝撃的なのに、様々なやり取りや過程をすっ飛ばした急展開に、会場内に戦慄が走った。


(な、ななな……なんやてぇぇぇぇぇぇ!?)


 大阪人のツッコミスピリッツが炸裂して叫び出しそうになったが、物理的に口を両手で押えてガードした。

 ついでに椅子からずっこけたい衝動も、机にかじりついて耐えた。


 結構無様な姿を晒していたが、その他の人も衝撃場面に気を取られていて誰もジゼルを見たいなかったので助かった。

 きっと脳内ではジゼルのように大絶叫していたに違いない。訛ってはいないだろうけど。


「な……なんなんですの、この茶番は!」

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