ブサ猫令嬢物語~大阪のオバチャンが乙女ゲームの悪役令嬢に転生したら……~
神無月りく
第1話 悪役令嬢は大阪のオバチャン!
王歴二二五年、春。
今年も社交界シーズンが幕を開けたエントール王国の王宮では、その日、王太子の婚約者選びのお茶会が開かれていた。
今年十二歳になるミリアルド・イル・エントールは、輝くような美貌と聡明な頭脳の持ち主で、幼いながらに「将来の賢王」と期待される少年。
側室腹で第三王子という、本来なら選ばれるはずもない立場だったが、正室の産んだ王子たちは絵にかいたような放蕩息子で、ミリアルドにお鉢が回ってきたのだ。
正室が健勝であれば泥沼の争いが起きただろうが、大病を患って以降虚弱体質になって公務に出られず、ここ数年は年の半分は臥せっているような状態だ。
そんな正室に代わり、実質的な王妃権限を側室が握っていることもあって、お家騒動は起きることなく立太子されたのだ。
無論、阿呆な王子を傀儡に仕立てて、甘い汁を啜ろうとした腹黒大臣からは反発があったが、裏金などの“政治的な取引”で丸く収めて事なきを得た。
……かくかくしかじかで、計らずとも王太子の座を得たミリアルドだが、その地位はまだ盤石ではない。確固たる後ろ盾が必要だ。
側室は息子にも受け継がれた美しさと知恵でのし上がってきたが、実家の伯爵家は財力も権力も平凡の域を出ないし、歴史や功績の面でも際立ったものはない。
つまり、王太子の後ろ盾としてはかなり弱い。
それを補うには、社交界でも政界でも名の売れた上級貴族――侯爵家あるいは公爵家の娘を王太子妃に宛がうことが不可欠だ。
今日ここに集められたのは、その条件に見合う令嬢ばかり。
年齢は九歳から十四歳まで。礼儀作法や教養を幼い頃から厳しく叩きこまれた、幼くも立派な淑女として仕立てられた少女が総勢九人、未来の王太子妃の座をかけてこのお茶会に挑んでいた。
どの令嬢もこの庭園に咲き乱れる、芳しい香りと鮮やかな色彩をもつ花々のように、可憐で美しい……わけではなかった。
一人だけ、ふてぶてしい猫のような少女がいた。
猫耳のような三角形のお団子が載った、緩いウェーブを描く長い金茶の髪。
腫れぼったい一重まぶたで、半月型になった三白眼気味の琥珀色の瞳。
色白でぽっちゃりとした体。ぺちゃんこな鼻に、薄いそばかすが浮く真ん丸な頬。
一見すると彼女だけ場違いな存在に見えるが、この中では最も高貴で権力のある家柄の少女である。
公爵令嬢ジゼル・ハイマン。
十歳になったばかりの彼女は、見た目もさることながら品格も知性もなく、親の権力で傍若無人に振る舞う傲慢な少女――という噂が、社交界ではもっともらしくささやかれていが、真相は誰も知らない。
彼女はまだ幼く、人目に付くような場には連れて行ってもらえない年頃だ。
しかし、美男美女カップルとして有名だった両親にまったく似ていない、特徴的な姿をしていることはしっかり伝わっており、そこから勝手な邪推や憶測が加わって、このような噂が出来上がった。
で、実際の彼女はと言えば……極度の緊張と締め上げられたコルセットのせいで、グロッキーになっていた。
「アカン……いろんな意味で吐きそうや……」
ミリアルドの到着を待つ間、他の少女たちがマウントの取り合いをする姦しい声の中にかき消されるように、貴族令嬢らしからぬ訛りがため息と共に吐き出される。
何故こんな訛りがあるのかと言えば、彼女は日本人――もとい、大阪人だった前世を持つ転生者である。
島藤未央(しまふじみお)。享年三十八歳。
飲み会の帰り道、雨上がりの濡れたマンホールに足を滑らせて、頭を強かに打ったところで記憶がなくなっているので、多分それが死因だろう。
大阪で生まれ育ち、学校も職場も大阪オンリー。
旅行以外で大阪を出たことがない、コテコテの大阪人……いや、もっとはっきり言えば“大阪のオバチャン”である。
お笑いに生きる大阪人が、異世界の貴族令嬢に転生というだけでも笑えないのに、実のところもっと笑えない話になっていたりする。
(なんでウチが悪役令嬢やねん!)
そう。異世界は異世界でも、ここは乙女ゲームの世界だった。
スマホアプリで人気を博した乙女ゲーム『純愛カルテット2』。
王宮のお掃除メイドとして働く貧乏男爵令嬢アーメンガートが、王太子を筆頭に五人の将来有望なイケメンと出会い恋に落ちる、という実に王道なストーリー。
ジゼルは王太子の婚約者として登場するが、美しく健気なアーメンガートをいじめまくり、最後は婚約破棄されて身一つで国外追放されてしまう……という、いかにもなテンプレ悪役令嬢だ。
外見を除いて。
悪役令嬢といえばハイスペック美少女が普通なのに、このゲームでは無能なデブス設定。
ただし、某CMの影響もあって“ブサ猫令嬢”と親しまれており、ある意味ではヒロインよりも人気が高い。
とはいえ、ブサ猫に転生して喜ぶ女子はそういない。
前世でもカレシいない歴=実年齢のデブスだったからこそ、生まれ変わっても前世と大差ない姿だと知った時には、心底絶望した。
(見た目はどうにもならんから、とっくに諦めとるけど……大阪弁の悪役とか、完全にコントやん! 乙女ゲームの甘い空気ぶち壊しや! とんだ配役ミスやで、神さん!)
前世の記憶を取り戻した時のことを思い出しつつ、宙を遠い目で見つめた。
*****
さかのぼること一週間。
夢の中で大阪人だった四十年あまりの人生をハイライトでお届けされ、精神がすっかり島藤未央にシフトチェンジしてしまったジゼルは、起こしてくれた侍女に「おはようさーん」と挨拶してしまい、「お嬢様がご乱心です!」「もしや悪霊が!?」と朝からと大騒ぎになった。
夢でこれまでのオタク遍歴もリプレイされていたので、乙女ゲームの悪役令嬢に転生したことも、ライトノベルにありがちな失敗をやらかしたことも、すぐに理解した。
すぐさま両親と兄が部屋に駆け付け、さてどう言い訳したものかと冷や汗を流したジゼルだったが……彼らの予想斜め上の発言でさらに混乱することになった。
「もしや、真実を思い出してしまったのか、ジゼル!?」
「……は?」
彼ら曰く、ジゼルはハイマン家の実子ではない。
ある日屋敷の前に捨てられていた、素性の知れない赤ん坊だったというのだ。
何故そんな捨て子を拾うことになったのかと言えば、身重だった公爵夫人が階段から転落し、流産してしまったからだ。
跡取り息子はすでにもうけていたとはいえ、生まれるはずだった命が失われたことは衝撃的なことであり、一家は悲しみに暮れた。
特に夫人は己の半身を失ったようなものなので、日に日に憔悴していった。
そんな時、使用人から「赤ん坊を拾った」と報告を受けた彼らは、「神が我々に与えてくれた慈悲に違いない」と考え、その捨て子を生まれるはずの我が子だと思い、公爵令嬢として育てることにした。
夫人の流産については厳しく箝口令を敷き、ジゼルは夫人が産んだ子であるとして出生届を出した。
さらに血縁を疑われないために、曾祖母と銘打ってジゼルの面影を宿した肖像画を描かせ、周囲を納得させる工作までして事実を隠ぺいしたという。
それで、その出生の秘密と大阪弁がどう繋がるのかと言えば……彼女は拾われてまもなくして言葉を話し出したのだが、それが現在の言葉遣いと同様の耳慣れない訛りが混じっていたのだ。
おそらくは、体に宿る島藤未央の大阪人魂がそうさせたのだと思うが、公爵家の面々は、彼女の発する言葉を本物の両親から授かったものだと考えた。
実の親に捨てられたことを悟らせまいと、必死に令嬢らしい言葉遣いに矯正して一安心したのに、急に訛りが戻ったので「もしや」と思ったそうだ。
……まさかジゼル・ハイマンにそんな秘密があったとは。
もしかして、拾った子だと悟られたくない家族が彼女を甘やかし、亡き我が子の分まで愛情を注ぎまくった結果、彼女はあんな悪役令嬢然とした性格になったのかもしれない。
しかし、現実のジゼルは“朗らかで食いしん坊なお転婆娘”として存在している。
はっきりいって、幼少の未央の生き写しだ。シナリオや設定に関係なく、無自覚な大阪弁同様、宿っている魂に影響されているのかもしれない。
と、いろいろ納得しているジゼルをよそに、両親も兄も「お願いだから、ずっとうちの子でいてくれ!」と泣いて懇願する。
ブサ猫令嬢は捨て子であっても、滅茶苦茶愛されていたようだ。
初めは死んだ子の代わりであっても、月日を重ねていくうちに本物の家族になったのだろう。
前世持ちとはいえ、赤ん坊だった頃の記憶はジゼルにはないが、幼い時から溺愛されていたことは覚えている。
「し、心配せんでも、ウチは今までもこれからも、ずーっとハイマンさんちのジゼルちゃんや! 約束する!」
ほだされまくったジゼルが拳を握って力説すると、感極まった三人にギュウギュウと抱きしめられた。
家族の結束が強まり、苦しい言い訳から逃れられ、いいことづくめの大円満だった……のはその場限りのこと。
ひと月以上前から、王太子の婚約者を選ぶお茶会への招待状が届いてる。
どういう経緯があったのかまでは描かれていなかったが、ゲームの設定ではジゼルが十歳の時に婚約者に選ばれている。このままではシナリオが現実になる可能性が高い。
家族もジゼルが未来の国母になることには前のめりで、全力で勝ちに行くスタンスで準備をしている。
(どう考えても、ブサ猫が国母ってアカンやろ。アウトやろ)
血筋も定かではないということは差し引いても、このブサ猫遺伝子を美形ぞろいの王族にぶち込むのは、不敬以外の何物でもない。
だが、家族はみんなジゼルを「世界で一番可愛い!」と豪語してはばからない。
そんな身内の贔屓目と盲目の愛が暴走し、最新流行のドレスと宝石で飾られたジゼルは、市場に売られる子牛のようにお茶会へ連れ出され……現在に至る。
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