3. 秋の中旬

 夏が過ぎ、だんだんと肌寒さが増すこの季節。立冬はまだまだ先だと言うのに、小さな繁華街の夜にはちょっとしたイルミネーションが輝いていた。

 そんな繁華街の一角にある喫茶店"青のカーネーション"でアルバイトの月並夏唯かいは、この店を経営している平山姉妹の次女にして、サイドテールと幼女体型が印象的な平山乙鳥つばめと談笑していた。ちなみに話題は四女である蛍の失敗談だ。


「それでね、蛍ちゃんが犬を追いかけるのに夢中になって、走ってるうちに転けちゃったんですよ。しかも花を持ったままですよ」


 嬉しそうに妹の黒歴史を話す姉乙鳥。


「そうだったのか、そんなに犬と花が好きだったんだな、蛍は」


 同じく月並も人の黒歴史を聞いて爆笑している。血も涙もねえなこの二人。ちなみに、当の本人は厨房で三女のボーイッシュな紫苑と共に作業中である。


 そんな事案が目の前で起きているというのに、カウンター裏の丸椅子に座っている冷徹な長女六花は優雅に読書を嗜んでいる。しかし時間管理はしっかりしているようで、腕時計を一瞥するなり「閉店の時間よ」と笑い合う二人に告げた。

 もうそんな時間かと壁掛けの時計を見ると、午後九時前を示している。

 六花は奥の厨房にいる二人に閉店だと告げると、表に出しているのぼり旗を仕舞いに行った。


 月並は従業員服であるデニム生地のエプロンを脱ぎ、畳み終えたものを乙鳥に渡していると、急ぎ足で奥から出てくる紫苑を見つけた。彼女は「すみません、お先に失礼します」とだけ言って表口から店を出て行く。思わず「珍しいな」と呟いた。


「紫苑ちゃん、最近ずっとこうなんです」


 困ったような声で乙鳥は言う。「そうなのか」と月並は呟いた。彼は土曜日と日曜日にバイトを入れているため、平日の様子を知らないのだ。


「男でもできたのかな?」


 ふとした時に思わず心の声が漏れる。この何気ない呟きがのぼり旗を手に戻って来ていた六花のピュアな部分を刺激した。


「え⁉︎紫苑って男がいたの⁉︎」


 そう、いつもクールで冷徹な六花が真に受けやすいという事を。彼女が後ろで仰天しているのに気付いた月並は「しまった」と声を漏らす。「ちょっと!月並さん!」と乙鳥に叱られた。「ごめん、次から気をつける」とだけ返して、なんとか六花への誤解を解きに行く。


「──にしても、気になるなあ」


「紫苑ちゃんですか?」


 誤解を解き終え、表口を見つめて唸る月並に乙鳥は声をかけた。彼は「うん」と頷きを返す。


「そんなに気になるのなら尾行でもしたら?」


 そんな驚愕の提案をしたのは意外にも六花だった。彼女はいつも通りのクールさを取り戻していて、腕組みをした状態で後ろに立っていた。もちろん、月並と乙鳥は振り返りながら驚く。


「マジで言ってるんですか⁉︎」


 今から地球崩壊しますよって言ってるくらいヤバい話してますよ六花さん。


「でも、知りたいならそれが一番手取り早くない?」


 当たり前でしょ?と言わんばかりに答える六花。

 いやそうなんだけども。


「そんな事したらこの前のスカウトマンと同じですよ!」


 乙鳥も懸命に首を縦に振っている。

 それはそれで寂しいな。


 「大丈夫よ」と言って、六花は人差し指を立てながらカウンターへゆっくりと歩き出す。


「急ぎの用だと言って颯爽と出て行った職場仲間を、心配になった二人が追いかけた」歩みを止めて二人を振り返った。「はい、これで尾行ではなくなったわ」


 それは…そうなのか?

 妙に納得しそうになった月並は苦笑いを浮かべたが、隣で大いに納得させられたら乙鳥が「それなら大丈夫ですね!」と言い出したので仰天した。

 長女と次女がこれって……この姉妹大丈夫か?


「ほら、時間ないわよ。尾行するならさっさと行ってきなさい」


 変に丸められ過ぎて妙にモヤモヤした気持ちのまま上着を手に取り、喫茶店を飛び出した。すぐに辺りを見渡す。秋の肌寒さが身を震わせた。なぜか乙鳥が付いて来ているが、とりあえず今は紫苑を探す事に専念した。


「あそこ!」


 後ろから指差す乙鳥の先には、繁華街の一角から出てくる姿が。小さなレジ袋を抱えてどこかへと歩いて行く。「行こう」と乙鳥に声をかけて月並は紫苑の後を追った。その際、チラッと彼女が出て来た店を見たのだが、どこにでもありそうな小さなペットショップだった。



 バレないように電柱や家のブロック塀の影に隠れて彼女を追う。現在位置はあの繁華街から百メートル圏内の住宅街の中。人が多そうで怪しまれそうだなと月並は心配していたが、思っていた以上に人気がなく、むしろゼロに等しくて安心していた。


「どこに向かっているのでしょう?」


 後ろから乙鳥が囁く。


「わからない。紫苑が持ってる袋の中身がわかればどうにかなりそうなんだけどなあ」


 彼女が背中を向けている限りそれは不可能なので月並はちょっとした歯痒さを感じた。


 その後も慎重に尾行を続けていると、不意に紫苑が左へ曲がった。ようやく出てきた変化に好奇心を擽られつつも、冷静を保って後を追い続ける。続けて左折、かと思ったら次は右折、その次も右折。


「気づかれたんじゃないですか?」


 あまりにも複雑な移動経路に乙鳥は訝しみ始めた。


「まさかと思いたいが、それも考えてもう少し慎重に動こう」


 乙鳥と頷き合ってより更に慎重に尾行を進める事にする。


 少し歩いて左折、右折、また右折と、これ帰り道大丈夫かと心配になるくらいには複雑な道を歩いた。果てしない移動距離に二人共疲れ果て、仕舞いには紫苑を見失ってしまった。


「やっちゃいましたね」


 肩で息をしながら乙鳥は呟く。

 途中、中腰のまま小走りになったりしたのでそれが主な原因だろう。俺も乙鳥もかなり汗をかいた。帰ったらまずは風呂だな。


「仕方ない、今日のところは諦めよう」


「そうですね」


 何の収穫もいられないまま、二人はあやふやな帰路を辿り始める。

 すると、どこからか紫苑の笑い声のようなものがした。月並と乙鳥は顔を見合わせて声のした方へ走り出す。辿り着いたのは近くにある小さな児童公園だ。その隅にある木陰にて紫苑はしゃがみ、開いた状態の段ボールの中を覗いている。二人はもう一度顔を見合わせてから、恐る恐ると近寄った。会話ができるほどの距離に来ると紫苑はこちらに気づいて目を丸くする。彼女の手にはチューブ状の犬のエサが握られていた。


「乙鳥姉さん、月並さんまで」


 驚く彼女になぜここにいたのか今すぐにでも尋ねたい思いだった。が、段ボールの中身に目を奪われてしまい、それどころではなくなってしまった。


「わあ、かわいいワンちゃん」


 幼女の乙鳥は嬉々として触れ合いに行く。

 赤胡麻色の毛並みと小柄なサイズからして犬の種類は柴犬で間違いないだろう。そこから考えるに、あのレジ袋の中身は彼女が今持っている犬のエサだったのか。少し意外だな。

 思考に浸りながら、乙鳥と触れ合う愛らしい柴犬に見入っていると、「あの」と紫苑に呼び戻される。


「片付けを全部任せてしまってすみません。でも、数日前からこの子が捨てられていたので、いても立ってもいられなくて」


 忘れていた事情聴取より先に紫苑自身が現状を説明してくれた。少し照れ臭そうだ。


「じゃあ、最近変だったのも、ずっとこの子の世話をしていたから?」


 乙鳥は尻尾をぶんぶんと振り続ける柴犬を撫で続ける。

 ヤバイ、子どもと動物が触れ合ってるだけの絵に見えてきた。


「うん…」


 月並が変な思考回路に侵されている間に、紫苑はぎこちない返事をする。乙鳥が「乙鳥たちの家で飼えないの?」と紫苑に尋ねるが、彼女は力なく首を横に振った。


「ボク達のマンションはペット禁止だったの」


 「あ、そうだったね」と乙鳥は小さく溢し、姉妹は悲しい事実に目を伏せる。そこから何か思いついた紫苑が月並に声をかけた。


「月並さんの方でこの子を飼ってくれませんか?」


 懇願にも近い形で尋ねられる。現実に引き戻された月並は顎に手を当ててしばし唸ったが、やがて首を横に振った。


「俺のマンションはペットオーケーだけど、大学の事もあるし………悪いけど、ちゃんと世話をしてやれる自信がないな」


 「そんな…」と紫苑は落ち込む。その様子を見た柴犬は寂しそうに鳴き、ダンボールから身を乗り出して頬を舐め始めた。紫苑はゆっくりと顔を上げる。


「君は捨てられたのに、優しいんだね」


 彼女はギュッと柴犬を抱き寄せ、涙を流した。そこから感情を読み取ったのか、また寂しいそうな声を出す柴犬。この光景を前に、月並と乙鳥は酷く胸を痛めた。乙鳥は悲しさに涙を溜め始め、月並は何か良い案はないかと唸り始める。


 何か、この状況から良い方向に持っていける打開策は………。

 唇を噛み、眉間にシワを寄せて考え込む。


 そこでハッと、ある日の記憶が蘇った。

 数週間前のバイト初日の事だ。常連の客のみが訪れたあの日、あのスカウトマン以外に二人の客がいた。その中に一人、中年の女が!


「──ッこれだ!」


 突然虚空に向かって叫び出す月並に二人と一匹にの視線が集まる。


「これだって、何がですか?」


 乙鳥は鼻を啜りながら尋ねた。月並は彼女に笑みを向け、紫苑に向き直る。


「なあ、紫苑。あの喫茶店ってペットオーケーだったよな」


 思いもよらぬ質問に戸惑いを覚えつつも、紫苑は「うん、そうだけど」と答えた。予想通りの返答に月並の心臓は高鳴る。


「だったら、あの店で飼おうよ!」


「でも、お店が閉まっちゃったら、この子は一人ぼっちになっちゃいますよ」


 乙鳥は一番の問題点を突いた。月並は彼女との視線の高さを合わせ、「大丈夫」と頭を撫でる。


「朝晩は俺が世話をする。ちゃんと世話をする自信がないって言ったのは、大学があるからだ。でも、家にいる朝晩なら世話をしてやれるし、登下校の時に送り迎えもできる」


「ほんとですか!」


 紫苑が柴犬を抱きしめまま、こちらに身体を向けた。


「ああ、本当だとも」


 胸を張って自信満々に答えてやる。


「──ッやった!」


 紫苑はより強く柴犬を抱きしめた。今度は柴犬も嬉しそうに鳴く。乙鳥も「良かったね、紫苑ちゃん!」と喜んだ。紫苑は「うん!」と頷き返す。彼女は柴犬の表情が見れるよう顔の前に持ってきた。


「良かったね、"時雨"しぐれ!」


 満面の笑みで名前を呼ぶと、時雨と呼ばれた柴犬はそれに答えるかのように大きく吠えた。


「それ、この子の名前?」


 乙鳥が柴犬の前でしゃがみ直して尋ねる。紫苑は「うん」と頷いた。


「今までこの子と会える時間は一瞬だったから。でも、それでも幸せだっから、"時雨"」


 月並も乙鳥も、良い名前だと称賛する。


 しばらく三人と一匹で幸せな一時を堪能し、尾行開始から一時間以上が過ぎてようやく帰る事にした。

 しかしまあ、ここまで先導した紫苑が「どうやって帰ろうか」と言い出した時はこの世の終わりかと思った。現代人である俺たちにはスマホという物があるはずなんだが、なぜかみんなその存在忘れていた。しかも周りに人がいないときたもんだから、余計に慌てふためいた。

 そんな時、時雨が臭いを辿って道案内してくれる的な意向を示してくれたので全員でなんとか帰る事ができた。あの時は本当に焦った。



「へえ、かわいいじゃん」


 喫茶店内にて、柴犬の時雨を見るなり表情一つ変える事なく発言する六花さんであったが、身体はすでに時雨のそばに来ていてめちゃくちゃ頭を撫でていた。時雨はワンと吠えながら尻尾ををぶんぶんと振り回す。

 なんだこの人、最近ギャップがすごいな。


「クズのあんたにして中々やるじゃない」


 謎に上から目線で貶してくる蛍。

 こいつは平常運転だな。


「誤解を招く言い方はやめろ。あと変に頬を赤くするな」


「あ、赤くなんかしてないし!」


「うっせえな!だまってろ!」


 反論してきたところにすかさず静止をかけた。

 最近はなぜかこれでピタリと口論が止まる。まあ、その後蛍が俯いてぼそぼそと何かを言うようにもなったがどうせ俺の陰口でも言っているのだろう。


「あ、そうだ!この子をここで飼う記念に、乙鳥たちの新商品を食べてもらうのはどう?」


 嬉しそうに乙鳥は提案した。


「良いね!それ賛成!」


 速攻で挙手をする紫苑。六花と蛍も異口同音で賛成の声をあげ、乙鳥はスキップをしながら厨房へ向かった。対して月並だけは「新商品?」と疑問符を浮かべる。すかさず六花が説明に入った。


「あのスカウトマンを追い払ってくれた時に三人が作ってた物よ。丁度その時は私が足りない材料を買いに行ってたのよ。ほら、覚えてるでしょ?」


 それを聞いて「あれの事か!」とすぐに思い出す。「あの時出かけていたのそう言う事でしたか」と尋ねると「そうよ」と六花は返した。


 その話が終わる頃に、乙鳥はペット用に試行錯誤された小さなホールケーキを持ってきた。生地全体に塗られた艶のある白いクリームの上にはペットが食べても大丈夫なフルーツがカラフルに彩られている。


 彼女は豪華なケーキをおすわりしている時雨の前に置いた。すかさず紫苑は待ての合図を出す。今まで世話の成果が出ているのか、時雨はちゃんと待てができていた。そして紫苑が良しの合図を出すと、時雨は勢いよくケーキにかぶりついた。くちゃくちゃと音を立てながらうまそうに頬張る。


 その光景眺める全員がこの場で和んだ。

 やっぱ愛玩動物は癒しだ…!


 ふと妙な視線を感じて月並が振り返ると、蛍がこちらをジトメで見ていた。見られた事に気づいた蛍は頬を赤くして時雨の方に視線を戻す。何だったのだろうかと少し疑問に思ったが、まあいっかとその考えを捨てた。今は時雨がここに来た事を祝うべきだ。


 閉店時間を過ぎた喫茶店"青のカーネーション"には、幸せな一時が訪れていた。

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青のカーネーション【書けない】 キツキ寒い @kituki_361

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