2. 厄介払い

 月並夏唯かいは小さな繁華街に存在するバイト先、喫茶店"青のカーネーション"に出向いていた。

 先週の土曜、彼は喫茶店のOL常連客になぜか嫌われ、その喫茶店を経営する四人姉妹の四女、平山蛍にも謎に嫌われるというバイト初日を過ごした。そして今日も、従業員服であるデニム生地のエプロンを着て例の蛍と口論をしていた。


「どうしてまだあんたがいるわけ?さっさと出て行けよこの変態!」


 腰に手を当てた若干前のめりな姿勢で相変わらずの変態コールをする蛍。


「バイトだからいるんだよ。てか、まだ変態呼び続いてるのかよ」


 やれやれと言った感じで言い返す月並。

 なぜ彼女がここまで変態呼びを続けるのか俺にとっては謎でしかない。そう言われるような事は一切していないし、初めて対面した時の開口一言目が「あんた変態だろ!」だったからな。もはやとばっちりだ。


 「まあまあ二人とも」と、二人の様子を見ていた次女の乙鳥つばめが止めに入る。


「お客さんが来るからケンカはそのくらいにして。蛍ちゃんも、ね?」


が、彼女が小、中学生並の低身長なため、睨み合っている二人の頭に入ってくるのは言葉だけだ。彼女困り顔なんて全く見えない。


「蛍が事の発端とは言えど、歳上である月並さんが挑発に乗ってしまったら同レベルですね」


 ボーイッシュな三女、紫苑が嘆息しながら呟く。ですねと乙鳥が賛成した。

 クールビューティーな長女の六花は近くで起きている騒動には目もくれず優雅に読書をしている。


 そこに一人の客が入店を告げる鈴の音と共にやって来た。スーツ姿の男だ。音のみで客の入店を知った全員が流れるように持ち場に戻る。そのまま月並はテーブル席に着く男におしぼりとお冷を持って行った。ついでに注文も聞く。

 バイトを始めて三日目の割には中々スムーズに動けるようになったなと、月並は心の中で自分を褒めた。


 常連客である男は先週と同じくコーヒーだけを頼んで鞄から取り出したタブレット端末を操作し始める。

 六花が入れたコーヒーを手に彼の下へ行くと、タブレット端末の画面が少し視界に入った。履歴書のようなものが映っていた。人事部の人なのかなと思いつつカウンターの横へ戻る。

 いつも厨房にいるはずの蛍が今日はなぜかカウンターの横にいた。どうしたんだと尋ねると「シッ!」と人差し指を口元に当てる仕草をするだけ。一体何なのだろうか。


 しばらく不思議がっていると、テーブルを拭きに行っていた乙鳥がコーヒーを嗜んでいる男に前を通りかかった。すると男は乙鳥を呼び止めて何かを話し始める。対して乙鳥は対応に困っているようだった。そのまま彼女が何かを断ったかと思うと、スーツの男はペコペコと頭を下げ始める。


 月並の隣に立っていた蛍は「まただよ」とうんざりした口調で呟いた。男はまだペコペコしている。


「なあ、あれ何?」


 見るに耐えられなかった月並は小声で隣の蛍に尋ねた。彼女も小声で説明する。


「見てわからない?アイドルグループのスカウトマンだよ、スカウトマン。あいつ、来る度に乙鳥ねえをスカウトしようとするの。何度も断ってるってのに」


 彼女の話を聞いて思わず「マジかよ」と呟いた。

 色々と驚くべきところはあるが、第一に驚いたのはあんなに俺を毛嫌いしていた蛍がその事を忘れるほどあの男の事を良く思っていないと言う事だ。ふとカウンターの方に視線を向けると、いつもクールな六花が読書をしながらもスーツの男に苛立ちの視線を送っている。

 相当嫌われてるな、あのスカウトマン。


 止めないのかと蛍に尋ねると、あたし達がやるだけ無駄と返ってきた。なんでも、この姉妹で割って入るとそっちにヘイトが向いてスカウトの申し出が来るのだとか。面倒臭い奴だな。


「あんたが止めに行ってこいよ」蛍は肩で月並を押しやった。


「お、俺?」


 足でブレーキをかけ、困惑まじりに訊き返す。


「そうよ。あんた男だろ」


 ジト目で睨まれた。


「いやここで男かどうかは…関係あるけど!」


 蛍に言われて行動するのは癪だったが、言い返そうに言い返せなかったので仕方なく乙鳥とスーツの男の間に割って入る。


「月並さん…」


 後ろから乙鳥の申し訳なさそうな声が聞こえたが、あえて無視することにした。対してスーツの男はと言うと、突然やって来た月並に最初こそ驚いていたが、一つの咳払いで営業マンのような趣を完全に取り戻した。

 さすがこの姉妹相手に今まで折れなかったスカウトマンだなと少し感心する。

 すぐさま「どちら様?」と問いかけてきた。「ここのバイトです」と短く返す。


「なら退いてくれますか?用があるのはそちらの方ですので」


 男はタブレット端末を片手に月並の後ろにいる乙鳥を指差した。

 こいつの敬語は妙に腹立つな。


「残念ながらそれはできません」


 きっぱりと言い切った。


「なぜです?」


 当然、相手は訊き返してくる。

 だよなあ。さて、こちとら経験のない言葉のやりとりでバカほど緊張してるところだが、何と言ってやるか…。とりあえずそれっぽい事を笑顔で並べておくか。


「仕事仲間が嫌がっているところを見過ごせやしませんから。…理由がこれだけでは不十分ですか?」


 煽りとしてついでに小首を傾げてやる。男は何か言い返そうと口を開きかけたが、後の一文が効果を示したのか、目に怒りのようなものを浮かべた気がした。しかし彼はすぐに顔を逸らした。少し不満そうに「良いでしょう」とだけ呟いて席を立つ。


 月並はそのままレジへ誘導し、会計を済まさせて男を半ば強制的に店の外へ追い出した。皮肉を込めて「またのご来店、お待ちしておします」と付け加える。


 店内に小さな静寂が訪れた。


「──ッ緊張したぁ…」


 男の姿が見えなくなり、緊張が途切れた月並は大きなため息と共にその場に崩れ落ちる。そんな彼の顔を「さっきまでの威勢はどうした?」と、煽り口調で蛍が覗き込んた。

 地味に笑っているのが腹立つ。


 そんな二人の後ろから乙鳥は助けてくれてありがとうと大きな身振りで頭を下げる。おまけに六花からも冷たい言い回しではあったが追い払った事へのお礼を言われた。

 まさか氷の女王からお礼を言われるとは思ってもみなかったな。


「とりあえず、今日のところは一安心ね。問題は明日もあの男が来るのかどうか」


 六花は顎に手を当てながら神妙な顔つきをする。


「全くもってその通りなんですよねえ」


 月並はため息混じりに言葉を吐いた。足に力を込めてなんとか立ち上がる。

 この感覚は大学入試の面接を終えた時が蘇るな。確かあの日も緊張が途切れてふらふらになってたなあ。


「巻き込んで悪いわね、月並」


 申し訳なさそうな表情の六花から二度目の意外な言葉が飛んでくる。「いえいえ、大丈夫です」と返したものの、内心今日が命日なんじゃないかと焦ったりもした。

 あの人、言葉は冷たいけど根は優しいタイプか⁉︎


「この店の事、嫌いになりませんよね」


 懇願と言うか、そうならないでくれと願うように乙鳥から尋ねられる。

 なんだこの子、かわい過ぎて天使かと思った。


「大丈夫だよ、嫌いにはならない」


 とびっきり笑顔で答えてやる。ついでにとうとう彼女の頭を撫でてしまった。「そうだと嬉しいです」と外観幼女は頬を赤らめる。

 もちろん、嫌いにならないのは本当だ。あれはあの男が悪いのであって、この店のが悪い訳じゃないし、むしろ被害者だと言える。それに、俺はここの雰囲気が好きなんだ。あとコーヒーも。客が少ないから稼ぎが少なくて、バイト代もろくにないけど、それらがなくならない限り、嫌いになる事はないな。


「やっぱこいつ変態だ!」


 と蛍は月並が乙鳥を撫でた事に反応して声を荒げる。


「どうして⁉︎」


 前言撤回やっぱり嫌いになるかも。


 そんな口論をしていたら、「何の騒ぎですか?」とカウンター裏の出入口から紫苑が顔を覗かせた。

 それに対して月並と蛍は、「今更かよ!」と同時にツッコミを入れていた。これによっていつもの店内に戻る事に。


 この後の午後も数名の客が訪れた。




 次の日の日曜日。時刻は午前八時過ぎ。

 この日は野暮用で六花が欠勤し、客足の少ない午前という事で他の三人組は奥の厨房で新商品の開発中だ。なんでもペット用のケーキを作っているのだとか。そんなこんなで、現在の店番月並一人。いつも六花が座っていたカウンター裏の丸椅子に座って腕を枕代わりに寝ている。大学での疲れが溜まっているのだ。


 そんな時、客の入店を告げる鈴が鳴った。その音で目を覚まし、「いらっしゃいませ」と反射的に呟きながら顔を上げる。客の姿を確認するなり寝ぼけていた頭がすぐに覚醒した。スカウトマンの男が来ていたのだ。席から立って身構える。緊張で思わず拳を握った。男はキョロキョロと店を見渡している。どうやら乙鳥を探しているようだ。「乙鳥はいませんよ」と告げると「見ればわかる」と言い返される。男はそのまま出て行こうした。それが癪に触った俺は奴の背中に何か言ってやる事にする。


「二度と来るんじゃねえ乙鳥のストーカー野郎」


 男は足を止めた。

 これが奴の何に触れたのかは知らないが、怒らせたのは間違いないだろう。現に、振り返った奴の目からサングラス越しでもわかる鋭い視線が放たれていた。


「何か勘違いしているようだが、私はそのような薄汚い奴ではない。スカウトマンとして当然の事をしているまでだ」


 前半は子どもを諭すように、後半は堂々と言ってくる。

 怒ってもなお冷静でいる事には感心するが、あの言い方は妙には腹が立つ。


「度が過ぎるだろ」


 奴の化けの皮を剥いでやろうと煽ってみる。これが吉と出るか凶と出るか。

 その一方で、騒ぎを聞きつけた平山姉妹の三人はカウンター裏の出入口からこっそり覗きに来ていた。

 男は月並に言い返す。


「そうだとしても、君はバカの方で度が過ぎているんじゃないか?こんなに客足の少ない店をバイト先に選ぶとは」


「お前もバカだろ。一度断られたのなら諦めれば良いのに」


 あーダメだ。こいつの相手はイライラする。

 奴は俺がイライラしだした事を知って少し余裕の笑みを浮かべた。


「なんとでも言え。それにしても、あの女も頑固なもんだ。こんなよりを提供してやると言っているのに」


 サングラスを中指で押し上げ、嘲笑う。


 この話が月並の逆鱗に触れ、堪忍袋の尾が切れた。握っていた拳に力が入り、歯を食いしばる。

 落ち着け、落ち着け俺。とほんの僅かに残った冷静さが脆いストッパーを作る。


「今、なんて言った?」


 怒りで声が震えた。

 なんとか冷静を保ちつつ声を抑えるので精一杯だ。


「何が?」


 対して男は素の疑問を唱えた。

 自覚のない発言でこの店を貶されたという事実が月並の怒りを加速させた。怒りのストッパーが砕け散り、燃え上がる感情だけが月並を突き動かす。


「この店の事をなんて言った!」


 もう怒りを抑える事なんて関係なかった。月並はただヘラヘラとするスーツ姿の男に詰問する。


「何って、ちんけな店だろ?そんなに怒る事でもないだろ。客も少ないし、潰れないのが不思議なくらいだ」


「ふざけんじゃねえ!」


 勢いよくカウンターを叩く。覗き見ていた三人はビクついた。月並の叫びは外まで響き、店に入りかけた六花の動きを止める。


「お前はこの店をなんだと思ってる!」怒鳴りながら男に詰め寄った。「あの姉妹が四人だけで切り盛りしてきたんだぞ!そんな店をだって?笑わせんな!」


 六花は窓越しに月並の発言を聞いて言葉を失った。彼の闘う姿を固唾を飲んで見守る。同じくして、カウンターの裏から三人も見守った。


「バイト風情が、何を言ってやがる」


 勢いに圧された男は、ぎこちない笑みを浮かべて応戦した。


「バイトだからわかるんだよ、あの四人の頑張りがな。お前みたいに店の事なんて一切考えない奴にはわからねえだろうがな。−−−−だからスカウト対象に断られるんだよ」


 最後は皮肉たっぷりに突きつけてやった。男はグッと押し黙る。


「ほら、さっさと出て行け。二度と来るんじゃねえ」


 怒りが冷めてきた月並は顎をしゃくって店の出口を示し、男が足早に出て行ったところでようやくため息を吐いた。


 すると突然、それを待っていたと言わんばかりに拍手が鳴り響く。ついでに「よ、イケメン!」や「カッコ良かったです!」などの称賛の声も。振り返ると、カウンターの後ろに乙鳥、紫苑、蛍の三人が立っていた。


「お前ら、見てたのかよ…」


 額を押さえ、恥ずかしさのあまり顔を覆いたくなる。

 いつの間にかこの三人にはタメ語になっていたが、別に構わないだろう。特に蛍は。


「カッコ良かったわ」


 と入店を告げる鈴の音と共に後ろからも声がした。振り返れば、普段着姿の六花がいる。


「驚かせないでくださいよ。てか、六花さんも見ていたんですか」


 いつもの冷たさに恐れを抱いているせいか、この人には敬語が抜けそうにない。


「妹を守ってくれた事について、姉としてお礼を言うわ。ありがとう」それと、と一言置いて彼女は言う。「店の事、あんな風に思ってくれていたのね。嬉しいわ」


 ニコッと、六花ははにかむように笑った。月並はその笑顔に少しドキッとしてしまう。


「やっぱこいつ変態だ!絶対六ねえを狙ってる!」


 思い出したかのように叫び出す蛍に「だからどうしてそうなるんだ!」と思わず言い返してしまった。それが原因となって口論がヒートアップする。


「こんなにギスギスしている二人だからそこ、将来付き合ったりして」


 ふと乙鳥が呟いた一言に「それあるかも!」と紫苑が賛成した。

「んなっ⁉︎」と一人頬を赤くする蛍に対して「あるわけねえだろ!」と月並はツッコミを入れる。


「え⁉︎二人は付き合うの⁉︎」


 なぜかいつもクールなあの六花さんが目を丸くして驚いていらっしゃる。


「どうして六花さんは真に受けてるんですか!」


 思わずツッコミを入れちゃったじゃないですか!などと思っていると乙鳥から六花は真に受けやすいと教えてもらう。


「真に受けないでください六花さん!あとお前はどうして赤くなってんだよ!」


 未だに湯気が出そうなほど頬を赤くしている蛍にもツッコミを入れた。


「は、はあ⁉︎あ、赤くなんかなってないし!」


 またも思い出したかのように怒り出す蛍。


「なってただろ!まだ赤いし!」


「赤くない!」


 などとしょうもない言い合いをし、それを眺める乙鳥と紫苑が笑い出す。六花は今もなお真に受けて口をパクパクとさせていた。


 今日も喫茶店"青のカーネーション"は平和である。

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