第16話 災厄と血の盟約

 反射する薄蒼が彼女の瞳に光を差す。切れ長で強い意志を秘めた眼差しで射抜かれる。


「セラフィーナ……?」


 ただ其処そこたたずんでいるセラフィーナを前にしただけで、先ほど以上の衝撃に襲われる。今の彼女を一言で表すのなら、無茶苦茶――正しくその通りだ。さっきまでのやり取りに合理性などない。

 でも、セラフィーナが紡いだ言葉は少女の夢物語でもなければ、彼女が暴走して突いて出た言葉でもない。そうでなければこれまでの不可解な態度も、彼女の瞳が放つ鮮烈な光にも説明がつかない。

 何故なら、ここまで現実を客観視している人間が、義理人情だけで魔眼保持者を近くにいさせるわけがないからだ。

 少なくとも、これまで接してきた多くの者たちとは明確に何かが違う。それだけは確かだった。


「悪意と欲望の矛先を向けられた結果、我が国は滅亡の危機にひんしています。だからこそ、私は貴方に力を貸して欲しいと思った。荒唐無稽こうとうむけいなのだとしても、これ以上に伝えるべき言葉は持ち合わせていません」

「どうして、俺なんだ? 俺は災厄の象徴である魔眼を宿した出自不明の人間。それも主要敵対国家の人間と面識があるのは確実。君が納得しても、市民や臣下たちが納得しない。それに……俺は来たばかりのこの国に忠誠を誓う戦士にはなれない」


 セラフィーナの言葉に道理がともなっていないのは、火を見るよりも明らか。

 国を追われた所を敵国の皇女に拾われて人生大逆転――なんて自分のことだけを考えて舞い上がるほど、愉快でお花畑な思考回路をしているつもりはない。何より俺の存在によって、セラフィーナの立場すら危ぶまれるかもしれないのだから尚更だ。


「貴方の言う通り、臣民や臣下は納得しないでしょう。だから、どうだと言うのです? 下らぬ自尊心を守るため、迫る現実滅びから目を逸らすようなら、最早我が国に未来を紡ぐ資格はない。私も護る剣を持ちえない」

「迷っているのか? この国の行く先を……」

「私は聖女でもなければ、聖人でもない。護る価値のない者のために心を砕いて血を浴び続けられるほど強くはありません。最早避けられぬ滅びなら、災厄にすら身を委ねましょう。だから、貴方もこの国に忠誠を誓う必要はない。ただ私の手を取って欲しい」


 蒼銀の少女がこちらへと近づいてくる。一歩、また一歩と優雅さすら感じさせる足取りで。


「私は貴方の瞳に宿った蒼光を美しいと思った。だからヴァン・ユグドラシルを手にできるのなら、この身を捧げましょう。私だけに忠誠を誓えばいい。私だけの騎士になって欲しい」


 琥珀の瞳に妖艶な光が宿る。

 紅潮した頬。

 つやのある蒼銀の髪。


 暴力的な美しさが膨れ上がり、猛烈な勢いで押し寄せて来る。


「ヴァン……私はもう、貴方のモノです。それとも闇に堕ちた聖女では不服ですか?」


 俺と彼女の距離がゼロになる。

 大人であり子供――妖艶さとあどけなさが入り混じった言葉にできない表情。


 俺という魔法せかい叛逆はんぎゃくし得る力を手にする代わりに、特大の危険因子を国に取り込む最低の行為。

 根拠のない暴論。

 だとしても、俺には蛮行だと断じることはできなかった。何故なら、セラフィーナの双眸そうぼうには、確かに“俺”という存在が映し出されていたから。

 初めてだった。ヴァン・ユグドラシルという一個人を相手に、本当の意味で対等に向き合ってくれる人間とうのは――。


「最後にもう一度だけ聞くが、どうして俺に賭ける気になった? 滅亡の刻限リミットは近くても、まだやりようはあったはずなのに……」

「女の勘です」

「即答かよ。確かにとても聖女の発言とは思えないな。でも、俺にとってはこれ以上好ましい選択こたえはないのかもしれない」


 ここまで確固たる覚悟を決めている少女に対し、その想いに答えない道理はない。少なくとも彼女は本気だ。なら、目を逸らすわけにはいかない。


「了解した。この力の全てを懸けてお前の剣となろう。わざわざ神話の災厄を宿した俺を必要とする酔狂な女は他にいないだろうしな」

「ええ、歓迎します。心から……」


 俺が選択こたえを紡いだ瞬間――首に手を回され、視界全てをセラフィーナによって占領される。


「ん……んふぅ……」


 重なった唇・・・・・に広がる柔らかい感触。その隙間から少女の吐息が漏れる。だが直後、唇に鋭い痛みがはしった。


「――ッ!?」


 鉄の香りが鼻を突く。

 セラフィーナは艶めかしい水音を響かせながら、お互い・・・の鮮血を舌で混ぜ合わせている。彼女自身も噛み切った唇の鈍痛に表情を歪めたものの、軽く声を漏らして身をよじるのみ。

 そうしていると、俺たちの境界からあかの雫がしたたり落ちた。


「……っ!」


 程なくして、セラフィーナの顔が離れていく。互いの距離が開くのと同時に、俺と彼女の間で銀水のアーチかる。そして蒼水晶の光を浴びて煌いた瞬間、プツンと千切ちぎれて崩落した。

 でも俺たちの繋がりが千切ちぎれて失われたわけじゃない。むしろ、繋がりが結ばれた瞬間だったのだろう。

 たとえそれが、どんな想いであろうとも――。


「――これは最低最悪の純愛……いえ、そんな浮ついた感情など介在する余地がない呪いの様なモノ。貴方と私が交わしたのは、災厄と血の盟約」


 セラフィーナは二歩ほど後ずさると、口元のあかを妖艶に舐め取りながら微笑を浮かべる。

 友人でも恋人でもない。昨日今日で紡がれたこんな関係を示す言葉もなく、これほど馬鹿げた繋がりもないだろう。それこそ他人から見れば、たちの悪い子供の飯事ままごと――気が狂っていると思われてもおかしくはない。

 だとしても、俺たちにとっては、これほど相応しい繋がりはないはずだ。


「私は貴方のモノ。貴方は私の騎士。此処ここに盟約は結ばれた。幾久いくひさしく、よろしくお願いしますね。ヴァン・ユグドラシル」

「――ああ、了解した。セラフィーナ・ニヴルヘイム」


 世界すらも滅ぼしかねない叛逆の眼。

 世界の叡智たる今は失われた神聖の剣。


 既に俺たちという存在は、世界のことわりから逸脱いつだつしている。この力を振るうに値する相手がいるのなら――受け止めさせて壊れない相手がいるのなら、それは俺たち同士ぐらいなのだろう。


「確かにセラ・・は、清廉潔白せいれんけっぱくな聖女には程遠い。とことん女運が無いらしいな。俺は……」

「あら、面倒くさいのはお互い様でしょう?」


 単純シンプルで歪な俺たちの盟約――文字通りの血盟は確かに結ばれた。

 それはある意味、この魔眼チカラを得た月夜に失った生きる理由――虚無でしかなかった俺の世界が色を取り戻した瞬間だったのかもしれない。



 これは多分、勇者と聖女の出逢いなどではない。およそ正義には程遠い、そんな歪な俺たちを幻想的な蒼光が照らしていた。

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