第43話
「なぁ、野上。……お前には先に伝えておきたいことがあるんだ。」
四人が早めの昼食を終えてお茶を飲んでいると、風見は突然改まった雰囲気で野上に話し始めた。
「何ですか?……急にどうしたんです?」
「いや。この後、日高と乾にも話そうと思ってるんだが、お前にも了解を取っておきたいんだ。」
講義を終えた学生たちが押し寄せてくるまでは時間もある。
風見も食堂でするべき話ではないと思っていたが、あまり重い話にはしたくなかった。
「……今、俺たちが作ろうとしている試作品は一旦延期しようと思ってる。」
「えっ!?……延期ですか?」
結城も聞かされてはいなかったが予想していたことなので驚きはない。風見が言い出さなければ結城が提案していた内容だった。
風見は延期と言ってはいるが、再開される見込みはないのかもしれない。
「……そうですか。……まぁ、でも、そうなるのかもしれません。その方がいいのかも。」
意外なことに野上もすんなりと納得してしまう。
あれだけ被災地での活動に拘っていたとは思えない反応だったが、結城と白井の会話を聞いていて、野上なりに何かを感じていたのだろう。
それは今回の件で白井が示した可能性の中で唯一有益なものになっていた。
「なんだ、ちゃんと分かってたんだな?」
「いえ、さっき結城さんが話してる内容を聞いていて、俺も引っかかることがあったんです。……でも、一応は延期する理由を教えてもらってもいいですか?」
「もちろんだ。」
三人だけが納得して話しているのを姫野だけが不思議そうな顔をして聞いていた。風見は姫野を取り残して話をしている状況を申し訳なく感じている。
「……姫野さんには後で説明しておいてくれよ。」
「えっ!?いいんですか?……社外秘じゃないんですか?」
「いや、姫野さんが白井のことに気付いて俺たちに教えてくれなかったら、このまま進めてしまっていたかもしれないんだ。今更、そんなことを理由にしたいくない。もしそれで責任問題になったとしても、責任者は俺だ。」
風見は再開する条件が容易でないことも分かっていた。
技術的には時間を掛ければ理想とする物が完成すると信じていたが、今回の問題は人間のモラルに関わっている。
「……分かりました。……姫野さん、詳しい話は改めてさせてもらうから。」
「あっ、はい。……あの、ありがとうございます。」
このお礼は風見と結城に向けたものだった。
情報提供者である姫野に対して、二人なりに礼を尽くしたことになる。
「結城が言っていたように、『命の価値』を正確にプログラムに組み込むことは不可能だ。機械的に判断してしまえば、『死体』には『死体』以上の価値はなくなる。」
「はい。俺は、そのことを完全に見落としていたんです。」
「だな。でも、それは『命を救う』行為においてのみ重要な要素になるんだ。……『命を奪う』行為において、『命の価値』を考える必要はない。」
「……はい。」
野上は冷静に聞いていたが、姫野は突然の話題に強張った表情になっている。「命を奪う」行為とは、「人殺し」でしかなかったからだ。
「仮面ライダーは、仮面ライダーであることが正義じゃない。仮面ライダーになっている人が正しい心を持っていてこその正義なんだ。」
「それを身につけている人が、心をなくしてしまえば危険ってことですよね?」
「あぁ、白井が考えたように薬で自我を失わせてしまえば、遠隔操作で人殺しをさせることも可能になる。……身体も心も痛みを感じない状態で、ただ『生きている人間』を攻撃してしまえる。」
企画書を作っている段階では、そんなことを考えていなかった。時間を掛けていれば、その考えに辿り着けたかもしれないが、風見たちは急ぎ過ぎていた。
「確かに、あれが完成すれば色々な場面で活用出来るかもしれない。それでも、使う側のモラル次第では危険な代物になってしまう。……俺たちは、そこまで管理できないんだ。」
「……そうですね。」
野上の言葉はそれだけだった。自分の考えていた通りの話だったらしく、この話だけで納得している。
拳銃も使う側の問題であり、火薬を使って鉛の弾を遠くに飛ばすだけの道具と言えばそれまでになってしまう。
ただし、今回の問題はスーツが頑丈であり、そのスーツを身につけていれば外部からの攻撃にも耐えられるようになる。そのスーツを身につけていれば通常よりも筋力が発揮できてしまう。
仮面の中にあるセンサーが動く人間を感知して、攻撃対象として認識させることも出来る。
麻薬を使用してでも見につけている者の自我を失わせてしまえば、センサーが指示した通りに動かせてしまえる。
想像するだけで恐ろしいことだった。
「だぶん、この話を日高と乾に聞かせれば、延期させることに異論は出ないと思うんだ。」
「はい。そう思います。……でも、どうして中止じゃなくて延期なんですか?」
「俺たちが下手に中止にしてしまえば、他の誰かが手を出すかもしれない。……一応は進めているフリだけをして、他が手を出せないようにしておきたんだ。」
「なるほど、そういうことなんですね。」
「もちろん、どこまで俺たちの管理下に置くことが出来るかは分からない。それでも、形式上は継続中であることにしておきたいと思ってる。」
それから風見は隣りに座っている結城にだけ聞こえる声で付け加える。
「まぁ、これが狙いだったとしたら、気休めにもならないかもしれないな。」
結城も同じことを危惧していていたが、そのことを口にするだけの確信はなかった。
現状でやれることは「仮面ライダー計画」を延期する事しか出来ない。ただし、企画書は提出されており会社からの許可も下りている。そのことだけが結城にも不安材料になっていた。
「……それで、別の開発を進めるんですか?」
「いや、そこまで具体的に次の動きは決めてないんだ。とりあえずは結城が持ってきた『棚ぼたカメラ』のセンサーを使って電動車イスとかの改良とかかな?」
「そうですね。元々『棚ぼたカメラ』は自動運転技術に使うための物ですから、転用出来るかもしれません。」
三人で真面目な話をしているつもりでいたが、姫野からクスッと笑ってしまった。どうやら「棚ぼたカメラ」というネーミングセンスに反応したらしい。
「……あっ、スイマセン。……本当に、そういう名前を付けているんですね。……『くろかワイヤー』も驚かされました。」
「えっ?どうして、その名前を?」
「野上さんが教えてくださいました。」
「野上、お前。……その名前は社外秘だって言っておいたよな。」
「いや、教えたつもりはないんです。思わず口にしちゃっただけなんですから。」
技術的な話は社外秘関係なく話をしていても、風見は自分のネーミングセンスが漏れる方が痛いらしい。
少し重い話にもなっていたが、普段の野上に戻ったことで風見も結城も明るい気持ちで過ごすことが出来た。野上も悲惨な現状を知ってしまった心の痛みは残っているのだろうが、姫野の存在が救ってくれるはずで風見と結城の役目は完了した。
大学で姫野とは別れて三人は会社に戻ることにした。
夜までは各自での仕事を優先させて、そこから日高と乾にもこれまでの経緯を話すことになった。風見は野上から了解をもらい、日高と乾にもこれまでのことを詳細に説明する。
二人も野上に何かあったことは予想していたが、予想外の出来事に驚きながら聞いていた。
「……心配を掛けてしまって、申し訳ない。」
風見からの説明が終わると、野上は日高と乾に頭を下げた。
当然ながら二人が野上を責めることはないが、一つの区切りとして儀式のようなものと捉えている。
「でも、あの白井先生が野上さんにそんなことをしてたなんて驚きました。」
「まぁ、あれだ。乾は、どちらかと言えば捻くれタイプだから白井のターゲットにはならなかったんだろうな。」
「何ですか?捻くれタイプって……。」
次は、「仮面ライダー計画」延期の話を二人にもすることになるのだが、そのタイミングで電話が鳴った。
他の四人には話を続けてもらい結城が対応する。
電話を掛けてきたのは姫野だった。
会社に戻っていることも考えて、スマホではなく会社へ連絡をしてくる気遣いに好感が持てる。社内で携帯電話の使用を控えていることも野上から聞いていたのかもしれない。
『……皆さんが帰られてスグに会議が開かれて、白井先生への対応が決まったみたいです。』
との連絡で、異常なほどの対応の早さに驚かされた。姫野は白井について「悪い噂」程度で認識していたが、大学にとっては噂程度ではなかった可能性もある。
解雇処分にはなっていないが、付属の高校で職員として務めることになるらしい。それが不満なら辞めてくれて構わないという意向だろうことが容易に想像出来た。
――それにしても処分が早すぎる。白井が担当していた講義もあるんじゃないのか?
そして、もう一つの謎もあった。
「それにしても、大学が白井に下した処分内容を姫野さんが知らされるなんて驚きました。」
『いえ、私は直接聞いたわけではないんです。……黒川教授が怒って、他の子に話しているのを偶然耳にしただけで。』
「黒川教授が?」
『そうなんです。……黒川教授と白井先生とは、あまり関りもなかったはずなんですが、何故か怒っていて。』
それは風見が、あの資料を「黒川教授の物だと思う」と言って届けたから怒っていたのかもしれない。
――もしかすると、別に白井に対して怒りを覚える理由があった?
周囲の反応を見るために、風見があの資料を「黒川教授の物だと思う」と言って届けていたとしたら姫野からもたらされた情報は重要になる。
「わざわざ教えていただいてありがとうございます。助かりました。」
『あっ、いえ。……あの、こちらこそ、ありがとうございました。』
姫野からのお礼が野上に関してのことだと思えて、結城は少しだけ笑ってしまう。野上にしてみれば嫌な経験もさせられたが、それ以上に大切なモノを得ているように感じていた。
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