第42話

「作業にしてしまうことの何が悪い!……問題点さえ修正できれば、その場に応じて最適化された人員が配置できるはずなんだ!」


「最適化する必要自体ないことが、まだ分からないんですか。苦しんだり、悩んだり、後悔したり……、それの何が悪いと言うのですか?そんな中でも、自分の家族を助けるために必死になってくれた人がいてくれることに感謝して、生きていくための糧とするんです。」


「そんなものは理想論だ。」


「そうです理想論です。……ですが、自分の命を危険に晒してまで他人の命を救う行為にリアリティを求めることなんて最初から出来ないんですよ。」


 結城は理想論であることも認めていた。認めた上で白井の考えを否定してしまう。


「痛みを知っている人間だからこそ、他の誰かを救うために行動することが出来る。早く苦痛から解放してあげたくて必死になれる。早く悲しみから解放してあげたくて必死になれる。……理想論の中で頑張ることの何が悪いんですか?」


「だが、野上君は私の考えに賛同してくれた。」


「はぁ……。野上は白井先生が今お話された考えに賛同なんかしませんよ。」


 白井は野上を見た。野上の目からは白井に対する軽蔑が感じ取れる。この場で唯一、自分の味方になってくれるはずの野上は、完全に白井の呪縛から解かれていた。


「あっ、白井先生の資料が別な可能性を示してくれたと最初に言ったかと思いますが覚えていますか?」


「……あぁ。」


 白井からの返事は投げ遣りになっている。この場で誰からも支持を得られず、反論する言葉もなかった白井は集中力を失っていた。

 ただ、結城と風見は「ムカつく」相手を逃すつもりはない。


「私は、『先生』と言う職業はAIが取って代わることの出来ないものだと考えていました。……ですが、あの資料を用意したのが『先生』だと知って、AIでも十分に代用が可能だと気付かされました。」


「……何だって?」


「現実なんて社会人になってから知ればいい。学校では理想を追い求めるための力を与えてくれる場所だと思っていたんです。……それが、あの資料には『夢』がない。」


 白井は怒りだしそうな顔で結城を見ていた。結城が何を言いたいのか予想出来ているのだろう。


「あの程度の選択肢しか示してあげられない、程度の低い人間が『先生』を出来ているならAIでも十分に対抗出来ますね。」


「ふざけるな!!……だ、誰が程度の低い人間だ!」


 ついに怒りをぶちまけて叫んだ白井を見て、風見は薄ら笑いを浮かべながらスマホをポケットに入れた。


「あっ、その程度の低い資料が誰の物か分からなかったので、大学の事務所に『落とし物』として届けておきましたよ。……まぁ、ウチが関わっているのは黒川教授だけなんで、黒川教授の物だと思いますとは伝えてあります。」


「……えっ!?」


 怒って真っ赤になっていた白井の顔から一瞬にして血の気が引いていた。

 あの封筒には違法薬物に関する資料ばかりが入っている。それも幻覚を見てしまうような物であれば、以前に学生たちを相手に不穏な動き取っていたと噂される白井には致命傷になる。


「私たちには不要な資料ですし、出処が分からない不審物を手許に置いておきたくはなかったので、申し訳ありません。」


 話をしているどころではなくなった白井は、結城と風見を交互に見て口をパクパク動かすだけだった。

 焦り過ぎていて言葉も出てこないらしい。


「……早く受け取りに行った方がいいと思いますよ。」


 白井は結城の言葉で我に返ったが、結城や風見にかける言葉は見つからない。

 この時点で何を言っても負け惜しみにしかならず、二人を睨みつけて教室から出ていった。


 これで白井が野上に接触することはない。それどころか、白井が東部大学に残れるかどうかも怪しくなっている。


「なぁ、野上。……人の死を悲しむのも、人を助けたいと願うのも同じ心だ。心の痛覚だけを鈍らせるなんてことできない。心としての機能を失えば、助けたいと願うこともなくなるんだ。」


「……はい。」


 結城の問い掛けに、野上はしっかりと反応していた。


「お前は悲惨な映像を見続けてからも、その状況を変えたくて必死に考えてきたんだろ?その原動力は何だ?」


「……一人でも辛い想いをする人を減らしたかった、です。」


 確実に自分の言葉で答えてくれいてる。


「それは、被災地で惨状を目の当たりにした人たちも同じはずなんだ。辛い想いをする人を一人でも減らしたから危険に立ち向かって行動できる。その原動力を奪うことなんて本末転倒だと思わないか?」


「……スイマセンでした。」


「謝る必要はないけど、正しい事をするなら正しい手段を選べ。胸を張って言えないことをした時点で、どんな正しい事をしても必ず後悔する。それは、お前自身やお前の周囲の人も不幸にする。」


「はい。」


 結城と風見は顔をお互いを見て微笑んだ。野上が必死になって今回の件に向き合っていたのは理解している。



「それじゃぁ、昼飯を食べて帰るか。」


 風見の号令に、二人は「はい。」と答えて教室を出る。廊下では三人が出てくるのを姫野が待っていた。

 数分前に白井が慌てて出ていったところも見ていたのだろう、何が起こっているのか分からず不安げな顔をしている。


「……あっ、これから昼食なんですが、姫野さんも一緒にいかがですか?」


 結城が声を掛けたことで、野上と姫野が同時に「えっ!?」と驚いてしまう。

 二人の驚く理由は全く違う。姫野は結城が緊張感のない態度で声を掛けたことに驚き、野上は結城が姫野を知っていたことに驚いている。


「貴方が姫野さんなんですね?……電話で応対した風見です。この度はありがとうございました。」


「あっ、はい。……えっと、姫野です。……あの、こちらこそ、ありがとうございました。」


 ここで姫野が風見にお礼を言う必要はないと結城は感じていた。状況が分からず混乱しているのかもしれない。

 カフェで話をしていた時も多少取り乱していたが、今日は混乱させてしまったとしても問題はなかった。


「……あのぅ。」


「後で話します。……姫野さん、ありがとうね。」


 凡そ状況を把握した野上が姫野にお礼を言う。風見と結城を動かしてくれたのが姫野であることは感じ取っていた。

 そして、あのまま白井の狙い通りになっていたとしたら自分が壊れていたことも野上は分かっている。


「……大丈夫だったんですね?」


「ええ、頼れる上司のおかげで助かりました。」


 冗談まじりに姫野に伝えるが、こんな風に話しかける野上を見て姫野は安心して泣きそうになっている。


「まぁ、結城にとっては楽勝だな?」


「相手が良かったんですよ。本当に小物でした。」


「北村常務の『アレ』を見ておいて良かったよ。あの人、苛立たせる技術だけは持ってるから真似してみた。」


「風見さんの態度で露骨に怒ってる時点でダメなんです。あれで冷静に話をする状況じゃなくなってましたね。」


 教室の中での雰囲気から一変して、風見と結城は和やかに話をしていた。野上は、そんな二人を見ていて感心してしまう。


「いや、結城さんが『夢』とか言い出してビックリしました。……俺だったら、あんな風に白井さんと言い合えなかったと思います。」


「ああいう場面では恥ずかしがったらダメなんだよ。それに普段の野上なら、あの程度の男は相手にならないと思うぞ。」


「そうでしょうか?」


「弱気なことを言うなよ。俺たちのチームの窓口はお前なんだから、自信を持ってればいいんだ。」


 結城の話が終わると、風見が野上に話し掛けた。


「まぁ、そういうことだけど。野上は明日と明後日は有休な。」


「えっ?……有休ですか?」


「お前には今回の件でお世話になった人にお礼をしてもらわないと、俺たちの気が済まないんだ。……失礼のないようにしてくれよ。」


「お世話になった人ですか?……あっ。」


 野上は、それが誰かを理解して隣りを歩いていた姫野を見る。


「……姫野さんの事ですよね?」


「当り前だろ。結城を褒めていたけど、結城だって情報提供者がいなければ、こんなに早く対応出来てないんだからな。」


「そうですね。俺も偉そうな事は言えない立場です。」


 姫野は、突然自分の話題になっていたことで恥ずかしさから俯いたまま歩いていた。ただ、野上が有休を取ることを否定もしていない。


「……分かりました。」


「それと、俺たちにはケーキを用意しておいてくれよ。」


「はい。」


 こんな感じに話をしていても、風見と結城は本当に反省している部分もある。大学に来るのが遅れてしまったことは結城の失敗であるし、こんにも早く白井と対峙出来たのも姫野が居てこその展開だった。


「風見さん、俺も今回は頑張ったんで有休いいですか?」


 結城は風見に問い掛けてみたが、返事はない。そして、何も言わないまま食堂に入り、


「昼飯奢るから、今回は勘弁してくれ。」


 と言われてしまう。

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