第41話
「……それで、私に何の話があるんですか?」
不機嫌さを露わにした口調で白井は結城に語りかける。感情をコントロール出来ていな人間は面倒ではあるが、対応は楽になると結城は考えた。
「私たちが一緒だった時点で、もうお分かりになっているじゃありませんか?」
「分からないから聞いています。私は貴方方に話すことはありません。」
「そうですか?私たちに話せなくても、野上には話すことあるなんて変ですよね。私たちは野上の上司ですから、直接話をした方が早くありませんか?」
「……個人的な話です。野上君に話していることは貴方方には関係ないと思います。」
「そう思われているのは白井先生だけです。現に、野上は我々が開発している試作品に先生の考えを取り入れようとしていた。……ですから直接話をしに来たんです。」
「だとしても、それは野上君が判断したことであり、私が貴方に話すことではない。」
「まぁ、そうですよね。……そうでなければ、あんな薬の資料を野上に渡したりはしないでしょうから。」
「……何の話でしょう?」
白井はこの状況でも誤魔化せると考えていた。野上が上司と一緒に来ている時点で全てが筒抜けになっていることを諦めるべきである。
「ご存じないのであればいいのです。私たちも何の役にも立たない資料を野上に渡したのが大学の先生であるなんて疑っていたんですから。」
「何の役にも立たない?」
結城は「分かり易くて助かる」としか見ていなかった。資料を受け取った本人である野上が黙って聞いている中で、白井が反応してしまうことは間違いである。
白井のプライドが邪魔をしていることは分かっていたが、同時に「この男は救助活動をしている人たちの心を救う気はない」と判断出来てしまった。
「ええ、何の役にも立たない、クズ資料でした。私だったら他の人に見せるのも恥ずかしいです。……完全に自己満足の資料でした。」
「……ほぅ、でも、そんな資料を当てにした野上君は無能と言っていることになりますよ。上司の方が部下を前にして、そんなおっしゃりようは感心しませんね。」
「野上は有能です。だから、あの資料の欠点を理解して、私たちとここに来ているんです。……もう貴方の言葉で野上を揺さぶることは出来ないと思います。」
結城は遠回しに白井の「洗脳」行為についても触れてみた。白井も野上の目を見て、野上の雰囲気が変わっている事には気付いていたかもしれない。
「今回の件は、野上のように物事を純粋に捉えてしまう人間は陥りやすい罠がありました。幸いにも私や風見は性格が捻くれているので、こんなゴミには何の価値も見出せません。」
「……ゴミ……、ですか。」
「あっ、失礼しました。この資料によって別の可能性を発見できたので、その点は有益だったかもしれません。」
「別な可能性?……何ですか?その別な可能性とは。」
「そうですね。資料の内容は、被災地などで救援活動をしている人たちを身体的・精神的苦痛から解放するためのものでした。黒川教授が開発された物を有効活用するために必要だと聞かされて、野上は『ある先生』から渡されたようです。」
面倒ではあったが、白井が資料の内容を知らない前提で話すことにした。もちろん無意味な説明ではあるが、白井を苛立たせる効果は見込める。
「『ある先生』ですか。……研究成果を効率的に活用できるのであれば、素晴らしい資料になるのではありませんか?」
白井は嫌味な微笑みを浮かべて結城に語りかけた。「ある先生」が白井に限定されていることをお互いに分かっている。
「素晴らしい?……本当に『あんな物』を使うことが素晴らしい結果をもたらしてくれるとは到底思えません。」
「黒川教授の研究は私も知っていますが、あれを救援活動で使うために身体的な苦痛に耐える必要があります。そして何よりも悲惨な状況を前に連日活動するには精神的苦痛からも解放する必要がある。……これまでの倫理観に従っているだけでは新しい道は切り拓けませんよ。」
「私は倫理観の話はしておりません。倫理観なんて時代と共に変遷するもので、『あんな物』でも合法だった時代はあります。それに、将来的に医療分野で活躍する可能性だってある。」
「そこまでのお考えがあるのに、あれをゴミ呼ばわりされるとは意外ですね。」
「ええ、ですから、『人を救うための行為』に『あんな物』を使うことを考えるのがバカだと言ってるんです。」
白井は「バカ」と言う発言にピクついていた。こんな場合、相手が常に冷静だと話を進めるのは結城も困難になるが、白井は容易に相手が出来てしまう。
商談する場面ではお互い腹の探り合いを始めることがある。こちらの言葉を常に冷静に聞いている相手の方が怖かった。
――白井は他人の精神の話をする前に、自分のコントロールを覚えた方がいいな。
などと結城は考えてしまう。
「いくら何でも、口が悪すぎると思いませんか?クズだとかゴミだとか、さらにはバカとまで……。それを決めているのは貴方の価値観であって、一般的な判断ではないのですよ。」
「あっ、これは申し訳ありませんでした。白井先生にとっては同じ大学で働く仲間ですからご不快に感じても仕方ありませんよね。……でも、私も腹が立ってるんです。あんな資料を作った人が生徒に教えてるなんて、愚かな状況だとは思いませんか?」
「もういい!!あの資料を用意したのは私だ!……それほどまでに愚弄するならお前たちの考えを聞かせてみろ!」
ついに白井は激昂してしまった。結城も風見も「ムカついていた」相手を怒らせるつもりでいたのだが、思った以上に簡単に事は運ぶ。
そして、この状況を野上は冷静に眺めていた。自分が一時でも信じた相手が崩れ去る瞬間になっていたのだ。
「それなら最初から、そう言っていただければ良かったのに。」
「分かっていて、こんな回りくどい言い方をしたんだろ!?……下品な人間のすることは理解に苦しむ!」
「ええ、全く同意見です。」
風見はスマホを見たままで、白井の激昂する声を聞いて薄ら笑いを浮かべている。こんな白井を前にすると風見と結城は怒りを忘れて憐れにすら感じてしまう。
「あの資料に示した薬は、これからの日本を救ってくれるシステムになる。精神を解離させた肉体をコントロール出来れば、恐怖などの雑念でミスをすることもなくなる。悲惨な現場の中でも、心が壊れることなく対処できる。素晴らしい案じゃないか。」
「それだと人間は肉体を提供するだけの『入れ物』となってしまいますね。であれば、人間ではなく、本当の機械に作業させれば良いのでは?」
「バカかお前は。倒壊した建物では瓦礫が邪魔になって、機械を持ち込めない場所が多いんだ。人間のサイズがベストなんだよ。細かな作業にも人間の身体は適している。『入れ物』として使えるだけでも十分じゃないか。」
不安定な場所でも二足歩行可能であり、器用に動かして作業できる手もある。白井は、人間の価値を「入れ物」としか見ていなかった。
そして、白井の言葉遣いも急激に悪くなり、態度には余裕がなくなっている。
「いいか、よく聞け。脳の機能と精神を切り離して考えるんだ。考えて行動させるんじゃなくて、予め組まれたプログラムに従って身体を動かすようにする。それだけで、怖がったり・悲しがったり・苦しんだり、そんなことで判断を誤ることはなくなる。」
「人間が考える代わりに、AIを組み込むことも野上に話てたみたいですね?」
「そうだ。余計な感情を取り除いた人間の肉体に黒川教授が研究している素材を身に着けさせて筋力を増強する。行動を制御するのはAIが効率的に行えば、災害大国の日本で最も有効な対策になる。ちっぽけな倫理観なんかに左右される必要などあるものか。」
悪事を悪事だと理解したうえで、自分を正当化する発言だった。
白井の中では悪事であっても、自分の理論で「正義」へと昇華してしまっているのだろう。
興奮していた白井の顔は赤みを増していた。
「被災地の救助活動で、人間としての感情を抑制して、恐怖心を取り除くことができれば、もっと効率的になるとお考えなんですよね?」
「当り前だろうが。倒壊した瓦礫の山で、人の死体が転がっていれば、まともな神経で救助活動なんて出来るわけがないだろ?人間としての感情を排除して、機械的に動いた方が効率的に決まっている。」
「危険な場所で、人間としての感情を消して、恐怖心を克服する。そんな人間に機械的に救命活動をさせる。……本当に、そんなことが必要だと思っているんですか?」
結城は溜め息混じりに話を続けた。
「では、白井先生は『命』をどう定義するんですか?」
「……『命』の定義だと?」
「ええ、予めプログラムするのであれば、救うべき『命』を明確に定義する必要があります。『命を救え』とだけプログラムするわけいにはいかないですよね?」
「そんなものは、生きていることを示しているだけだろ。救い出すのは生物として生存している人間のことだ。」
「では、生存している可能性が0%であれば救う必要はないと言うのですね?」
「当り前だ。生きていない人間に時間を割くのは効率が悪い。」
この言葉を聞いて、結城は野上を見て問い掛けた。
「野上。これはお前が求めていた答えか?」
「……いいえ。俺が求めていたのは、こんな答えじゃありません。」
野上の言葉を受けて、白井が少しだけ動揺していた。おそらくは野上にここまでの話を聞かせるつもりはなかったのだろうが、結城に対抗するために周囲が見えていなかった。
「白井先生、朝『いってらっしゃい』と挨拶した家族が突然に亡くなったとしたら、残された家族の心の中ではその人が生き続けてしまうんです。……それは生きているんですか?死んでしまったんですか?」
「そんなものは感情の問題だ!」
「そうです。感情の問題なんですよ。だから『命』を簡単に定義することなど出来ない。してはいけないんです。」
「なっ……。」
「『命』を救うことは、残された人たちの『命』を救うことでもあるんです。残された人の中で生き続ける存在を消さないように、『救命』するんです。」
そして、野上が静かに語り始めた。
「感情をなくした人間に、況してやAIに本当の『人命救助』は出来ないんですね?多くの命を『どうせ、助からない』として、機械的に諦めるだけだったんだ。」
「あぁ、そういうことだ。」
機械的に判断するということは可能性の問題であり、生存確率が10%しかなければ、早々に諦める選択をしてしまうかもしれない。
「機械的に『生きている可能性は低いので諦めましょう』が、危険な場所で作業する時は正解なんです。……でも、人としての感情が諦めることを許さないんです。『助かってほしい』と願いながら、必死に救助活動をするんです。」
白井は、反論できる言葉を探している様子だった。
「助かる可能性が0%だとしても、奇跡を信じる気持ちが身体を動かしてくれるんです。『絶望的』な状況を前にした機械が効率だけを重視すれば、『望みはない』と判断して何もしません。……それとも、その黒川教授の開発した素材で人間を無理やり動かしますか?」
「人間を無理やり動かすことなどしなくても、決められた作業として実行するはずだ。」
「人の命を救うことは作業ではありませんよ、白井『教授』。」
「だから、私は教授ではないと言っている!」
今度は結城がわざと間違えて白井を呼んだ。
「知っていますよ。でも、こんな程度の言葉で感情を抑制出来なくなる人が、他人の感情をコントロールするなんて無謀だと言っているんです。」
白井の身体は小刻みに震え始めていた。その震えの根源が、怒りなのか恥ずかしさなのかまでは判断できない。
だが、結城へ反論する言葉が見つからないのだろう、俯いて黙っている。
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