第34話
そして、アフマドは帰っていった。
一人になった部屋で結城は、さっきまで座っていたソファーに腰を下ろした。背もたれに身体を預けて目を閉じたまま、アフマドの語ったことを頭の中で反芻した。
――アフマドは、生まれてくる子どもたちが幸福になれて、女性が辛い経験をしなくても済む社会を望んでいるんだ。そんな国になるように命懸けで立ち向かい、その戦いの中で人の命を奪うことになったんだろうな……。
正しいことをしていると信じていなければ、自分自身の命を懸けることなんて出来るわけがない。
そんなことを思案しているところへ風見が戻ってきた。
結城はソファーに座っており、テーブルの上には使い捨てのコーヒーカップが二つ飲み終えた状態で置かれている。
「誰か来てたのか?」
風見は、この状況を目にして質問をする。
「……ついさっきまで、アフマドがいました。」
誰かが来ていたことは想像出来たとしても、風見は全く想像していなかった人物の名前に驚く。
「えっ?アフマドが一人で?この部屋に?」
結城も同様の反応だったのだから、風見が驚く気持ちは理解出来る。だが、現実にアフマドの姿を見た結城と、誰かが来ていた痕跡だけを見ている風見とでは、全く違っていた。
「そうですよ。一人で来たんです。物凄く深い話をして、さっき帰っていきました。……通路ですれ違いませんでしか?」
「いや、誰ともすれ違ってないよ。……深い話って、どんな話だったのか聞いてもいいか?」
そう言いながら、風見はソファーで結城と向かい合わせで座った。さっきまでアフマドが座っていた場所だ。
同じように座っているだけなのに、漂う空気感は大きく違っている。アフマドは周囲を圧倒する気迫があり、風見は周囲を和ませる気配があった。
結城はアフマドとのやり取りを思い出しながら、出来る限り細かく風見に伝える努力をした。
話の内容自体は伝わっていると思うのだが、結城が発する言葉とアフマドが発する言葉では、相手に届いた時の威力が違う。結城が発する言葉には経験が含まれていない分、単なる説明になってしまったかもしれない。
「その話を、あの男から直接聞かされたんだから、相当疲れただろ?俺は、一度しか会っていないけど、あの存在感は忘れてないよ。」
風見は説明を聞いていただけなのだが、疲れてしまったようだ。前屈みの体勢でソファーに座り、ぐったりとしてしまっていた。
「……でも、本当に何しに来たんだ。北村常務の指示だったのか?」
「何か指示されて来た感じではなかったですけど……。ただ、話をしに来ただけって、本当にそんな感じです。」
「何か探りを入れに来たとか……、そんなこともないのか?」
「それはないと思います。もし、何か目的があったのなら、あの男は回りくどいやり方なんてしませんよ。……それだけは間違いないと思います。」
風見は、「そうか。」と短く答えた。
結城は社内でアフマドを見かけた時も、こそこそ隠れるような態度はなかった。堂々と歩いている姿を思い出している。
「……風見さん。俺はたぶん、あのアフマドって男のことを嫌いではありません。」
再び、「そうか。」とだけの短い言葉だった。
そして、しばらくの沈黙の後、風見は静かに話し始めた。
「……でも、北村常務との関係も謎のままだ。……それに、それだけの男が、ただ単に日本に買い物をしに来たとも思えない。」
「そうですね。」
風見は、それ以上何も言うことはしなかった。
これから先、アフマドがどう関与してくるかも分からないのだから注意しなければいけない存在だ。そのことを無視することは出来なかった。
だが、結城が「好き」ではなく「嫌いではない」との表現に留めていることで、風見は理解してくれていた。
その日、結城はそのまま帰宅することにした。
アフマドと語り合ってしまったことで、結城は社内で起こっている新たな矛盾に気付いてしまっている。
アフマド来訪からしばらくは、五人全員が顔を合わせる機会も少ないままに業務を継続していた。
企画書作成の進捗に応じて必要になる情報が刻々と変わっている。技術部にも実現可能かを事前確認する必要もあるので、意見交換に時間が掛かってしまう。
契約書のドラフト修正版が出来たことにより、風見と結城は法務部と打合せで部屋を空けることが多くなっていた。
それぞれが出たり入ったりを繰り返す毎日と、週末が祝日なことも重なり気付けば一週間が終わっている感覚しかない。
◇
更に週が明けてからの数日もトラブルなく過ごしていた。
やり残してしまった業務、その他の雑多な業務に五人は追われてしまい、週は半分を過ぎてしまっている。
そして、木曜日の午前中に結城は風見から企画書の完成報告を受けた。
それは一見しただけだと「仮面ライダーの設計図」でしかない。
企画書の中身を喜々として語る風見と日高を見ていると、結城の頭の中には「マッドサイエンティスト」という単語が浮かんでしまう。
通常、この企画書を上役に提出するだけでも結構な勇気がいる仕事になるのだが、高揚している風見であれば抵抗なく行えてしまうのだろう。
この企画書を提出しなければならず、会社からの許可が得られなければ全くの徒労に終わってしまう。だが、風見と日高は無根拠な自信を持って「仮面ライダー」の設計図を眺めていた。
結城は盛り上がっている企画書組と対照的に、再び思い悩んでいる様子の野上を気にしていた。
企画書には野上が熱望していた機能も含まれているのだが、そのことに喜びを感じている様子もなく塞ぎこんでいた。
野上が希望している「救援活動でも役に立てたい」という道は続いている。これから先も問題点は出てくるだろうが、動き始めている試作機制作を前に塞ぎ込む理由はないはずだ。
野上の様子を見て、結城は事務作業を片付けてから東部大学に行ってみようと思い至っていた。野上の心境に変化を齎すのは、現状で東部大学にしかないと考えている。
午後から出かける時間を作るために結城は集中して業務に臨んでいた。そして、気付いた時には結城と日高だけしか残されていない。
「あれ?……風見さんも出掛けた?」
結城が日高に話しかけると、日高はニヤッと笑みを浮かべた。
「試作の企画書を東山部長のところへ持って行きましたよ。」
「えっ?もう、最終確認も終わってたのか?」
「実は、結構前から準備を進めていたので問題ないと思います。……野上からの要望を受ける前にサンドイッチ構造の服も考えてたんで、外見以外は完璧です。」
結城は、「まぁ、そうだろうな。」と納得していた。傍から見ていても、あまりに手際良く段取りがされていた。
「日高は、いつから『仮面ライダー計画』のこと知ってたの?」
「なんですか?その『仮面ライダー計画』って……。何かの組織みたいになってるじゃないですか。」
「いや、やってることは大差ないと思うけど?」
「俺も自分の説明を終えて、あの人形を見せられるまでは具体的には知らされてませんでした。結城さんたちと同じタイミングで知らされたんです。」
「ってことは、秘密裏に風見さんが計画してたんだ。」
「俺も、皆と同じで驚かされました。でも、ある意味で壮大な計画になりましたね?」
本当に壮大な計画になっていると結城も感じていた。
五人は介護福祉に関わる新たな機器を目的に進んでいたはずだったが、企画書の内容を見て介護福祉に関係している開発を進めているとは誰も思わないだろう。全く違う目的地に到着しようとしている。
しかしながら、擬似・仮面ライダーが完成したとしても目的は介護の手助けになる。
野上の要望から被災地の救援活動という性能も付随させることにはなったが、基本路線を変えているつもりはなかった。その技術レベルを検証するためのカタチが、偶然「仮面ライダー」の外見に近くなってしまっただけなのである。
――まぁ、偶然じゃなくて風見さんの理想なんだよな……。
正直なところ、風見だけでなく皆が作りたくなってしまっていた。
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