第33話

「それは国の違いも関係なく、人間そのものが失敗作と言う評価になるんでしょうか?」


「そうです。所詮、人間という存在は『神の失敗作』でしかありません。これは国籍など関係ない話です。人間という種そのものに与えられる評価です。」


「……貴方が失敗作という根拠を教えてもらえませんか?」


 アフマドは『フッ』と自嘲気味に笑ってから、結城の質問の答えを話し始める。


「まず、人間が子孫を残すための行為に、快楽を与えしまったことには何の意味があったのでしょうか?」


 人間も動物なのだから、本能として持っている欲求でしかない。結城の回答として言えられるのは、それ以上でもそれ以下でもなかった。


「それは、三大欲求の中にある『性欲』で、異性を求めることが種の保存には必要不可欠だと思うんですが……。」


 女性と関係を持つときに、本能だとか種の保存だとかを考えたことはない。おそらく、そんなことを考えている人はいないのだろう。


「もっともらしい話ですね。知能の低い動物であれば、本能のままに交尾をすることが当然です。……でも、人間には高い知能を持つことが許されました。その時点で、『性欲』と『種の保存』を切り離さなければならなかったのです。」


「……申し訳ない。言っていることが、よく分からないです。」


 結城としても全く理解出来ていないわけではないのだが、動物としての本能を持っていることが失敗作と言われる意味が分からなかった。


 アフマドは、真剣な眼差しを結城へ向けて言った。


「本当に、子孫を残したいと願う気持ちが人間にあるなら、その行為には痛みや苦しみを与える必要があったのです。」


「でも、苦痛を伴う性行為であれば、その行為自体を避ける人が増えてしまう。そうなると、人間は種の保存から遠ざかってしまうのではありませんか?」


 ただでさえ、現在の日本は少子高齢化が叫ばれている。男女間で性行為を避けてしまうようになれば、少子化が加速することになりかねないと結城は考えていた。


「本当に、そうでしょうか?」


 この問いかけに対して、結城は言葉が出てこなかった。

 アフマドが何に疑問を抱いているのか、結城の理解は全く追いついていなかった。動物としての本能を否定した見識など持ったことがない。

 

 そして、アフマドの再び結城に質問を投げかける。


「愛する人との間に子どもが欲しいと願う気持ち。家族を築きたいと願う気持ち。そこに多少の痛みがあったとしたら、その望みを人間は諦めてしまうのでしょうか?」


 結城も、これまでに結婚を意識した相手がいた時期もある。その時には、子どもがいる家族を疑いなく想像していた。


「本当に子どもが欲しいと望んでいる人であれば、苦痛はその障害にはならないってことでしょうか?」


「結城さんは、そう思いませんか?現に、女性は子どもを生むために長く大変な時間を必要としています。そして、出産のときには激しい痛みも体験します。それでも、子どもを望んでいます。」


 性行為に苦痛はなくても、女性には出産の痛みがある。男である結城が、想像する痛みよりも遥かに激しいものだと聞いたこともある。

 でも、男には快楽ばかりになっている。そこには、不公平だと感じて同意するしかなかった。


「……男には覚悟がないのかもしれない。『子作り』という言い方も『作業』みたいで嫌ですね。でも、性行為に快楽があることで人間が失敗作になる意味が分からないです。」


 結城は、話の本質まで辿り着けていない。

 それを聞いたアフマドは、目を閉じて静かに語り始めた。


「生まれてくることを望まれなかった子どもたちが、どれほどの理不尽な不幸を背負わされるのか想像したことがありますか?……もちろん、そんな子どもを産まなくてはならなかった女性の不幸もです。」


 内戦状態で治安が悪ければ、女性たちへの扱いは酷いものだと容易に想像することが出来た。また、多くの子どもは教育を受けることも出来ず、虐げられてしまう。それゆえ、武器を手に取るしか生きる選択肢がないらしい。


 だが、それは情報としての知識でしかなく、結城はそんな光景を目の当たりにしてきたわけではない。そのことが結城とアフマドの価値観を大きく隔ててしまっていた。


 アフマドは、そんな子どもを見ることに耐えられなかったのかもしれない。男の身勝手な本能がもたらす悲惨な結末が許せなかったのだろう。

 アフマド自身の善悪が歪められた原因がそこにあるのだとしたら、やはり結城にアフマドの罪を咎めることは出来ない。


 人間には高度な知能があると言っているのに、低俗な本能で不幸を生み出す。そんな人間を『失敗作』だと考えてしまうことは仕方ないことかもしれない。

 結城は、自分なりに思案を巡らせていた。


「ご理解いただけましたか?『畜生』という言葉をご存知かと思いますが、『人間以外』を『畜生』と表現します。それは人間を別格に位置しているはずなんです。」


 アフマドの声が頭に響いている。


「人間は、高度で文化的な社会を形成してきました。『食欲』や『睡眠欲』は、生きるために最低限必要なものです。でも、『性欲』を人間に残したのは、神の最大の過ちです。」


 過度な意見かもしれないが、結城と経験してきたものが違う。見てきた世界が違う。アフマドには、この言葉を発するだけの「資格」があるのだ。


「野に生きる動物で、オスに乱暴されたことを気に病むメスがいるのでしょうか。人間は羞恥心も与えられています。何故、本能を残したままで羞恥心を持たせたのでしょう。……これでも、結城さんは、人間が失敗作ではないと反論ができますか?」


 結城は、アフマドの話を聞きながら涙を堪えている。

 

 アフマドは地獄を見たことがあるのだろう。語られる言葉の裏には悲しみしか伝わってこなかった。


 他人を殺したことがあると言った人間が、人間を苦しめるシステムに憎しみを語っている。これほどの矛盾を内に秘めてきた人間に、結城が伝えられる言葉など見つかるはずもなかった。


 完全に沈黙してしまった結城に、アフマドは声を掛けた。


「どうでもいい話を長々としてしまい、本当に申し訳ありませんでした。私の生まれ育った国と日本を比べてみてしまい、苛立っていたのかもしれません。」


 アフマドは深々と頭を下げた。


「その苛立ちを結城さんにぶつけてしまって、心から謝罪したい。」


「……頭を上げてください。私は、私の無知が恥ずかしかっただけです。貴方の話を聞けて良かったです。」


 この言葉も結城は本心から語っている。

 知識として知っているだけでは意味がないことを教えられた。安穏と生活している結城が、人間の本能に対して疑問を抱くことなどあるはずもなかった。


「いえ、結城さんは私の話に心から向き合ってくださいました。貴方のチームのコンセプトが素晴らしい理由が分かったように思えます。」


 そこでアフマドが少しだけ微笑んだように見えた。


「本当に長居してしまいました、これで失礼します。」


 アフマドは徐に立ち上がる。

 結局、目的は全く分からないまま会話を続けることになってしまったのだが、結城は嫌な気分ではなかった。


「コーヒーありがとうございました。美味しかったです。」


「いえ、インスタントコーヒーでお恥ずかしい。」


「貴方とお話できて良かった。」


 アフマドは右手を結城に差し出してきた。

 結城も迷うことなく右手を差し出し、握手を交わした。


 「人殺しとの握手」となれば、この行為も非難されることかもしれない。それでも、アフマドの手を握り返すことに結城は一切躊躇しなかった。

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