第32話

「ありがとうございます。日本は平和で良い国ですね。私のような人間にも親切にしてくれる。」


 つい先日、野上が「俺のような人間」と言ったことを風見は指摘して、使うべきでない言葉だと注意をした。

 だが、アフマドが言っている「私のような人間」は指し示す意味が全く違って聞こえてしまう。


「日本も、最近は物騒なことが多くなっているので注意は必要ですよ。」


「……ですが、笑いながら食事ができて、ゆっくりと眠れる環境がある。子どもたちが安心して勉強できる学校がある。女性がお洒落を楽しめる街がある。そのことが当然とされている社会が平和ではないとおっしゃるのですか?」


 アフマドの言葉に怒気が混ざり始めていた。「平和」に対する認識が違うことを伝えたかったらしい。


「申し訳ありません。そんなつもりで言ったわけではないのですが……。」


 結城は、純粋に謝罪した。

 北村常務との関係性を考えれば警戒すべき相手ではあるのだが、今のアフマドの言葉には違う想いを感じている。


「……いや、こちらこそ申し訳ないです。少しだけ感情的になりました。」


 間近で対面するアフマドは得体のしれない迫力があった。緊張感があり、心拍数も上がってきているような気がしていた。


「いただきます。」


 アフマドは自分に用意されたコーヒーを飲んだ。


「……私が怖いですか?」


「えっ?」


 突然の言葉に結城は慌てていた。

 無意識のうちに変な態度でも見せてしまったのだろうか、そんな心配も生まれている。


「結城さんから緊張感が伝わってきています。私の言葉に過剰に反応している様子も分かります。」


 結城は、どう返事をすればいいのか分からなくなっていた。


「先ほど、私は自分のことを『私のような人間』と言いました。この言い方が日本では、自分を貶める表現だと理解して使っております。」


 心の中を読まれているような錯覚に陥っていた。

 結城は、この空気に飲まれないように集中力を保つことに必死だった。少しでも気を緩めると、アフマドの気迫に負けてしまいそうになる。


「結城さんが怖いと思って当然です。私は人を何人も殺していますから。」


 唐突な「殺人の告白」だった。


「人を殺すことが悪いことだとも知らなかったんです。自分が生きていくため、家族を守るためには人を殺す必要がありました。」


 現実感のない言葉が続いていた。


 アフマドの出身国については、滝田部長からの情報を基にして少しだけ調査していた。内戦状態で国内は荒んでおり、常に危険と隣り合わせの生活を強いられていることは知っていた。

 それゆえに、アフマドの告白には偽りがないのだろうが、他人の命を奪った経験を聞くことなど考えてもいなかった。


「日本なら、私は殺人犯として死刑になるでしょう。私が奪った命は一人や二人ではないんです。……でも、もし罪を償えと言われてたとしても、私には過去に犯罪を犯したという感覚がないんです。」


 結城は、言葉を絞り出した。


「……それは、貴方が言っている平和な国の人間の価値観で断罪することなどは出来ないんだと思います。……貴方は犯罪をした感覚がないと言いましたが、自分自身を貶める言葉を使ったのは何故なんですか?」


 結城は仕事上で様々な経験は積んできている。交渉事やトラブルがあっても凡そのことには対処できる自信があった。

 だが、今は「何を言えばいいのか分からない。」と脆さを露呈する情けなさを感じていた。


「私自身は善悪の判断をすることが出来ません。でも、この国で生活する人を見ているうちに、自分の存在を恥ずかしいと思うようになりました。……その苦しみがあります。」


 結城は、アフマドの言葉を聞いて深呼吸をした。

 相手が本心を語っている以上、誠実に向き合わなければならないと考えていた。

 恐怖心を全て消し去ることは不可能だが、自分を貶めて話しているアフマドと結城は向き合いたいと思っている。


「……正直、私は貴方が怖かったです。得体の知れない迫力を感じていました。……でも、人を殺したと聞いた後の方が怖くはなくなっているように感じます。」


「……それは何故でしょうか?」


「貴方が苦しんでいることが分かったからです。私は、普遍的な善悪の存在を否定しています。それでも、今の貴方が苦しんでいるのなら、怖がる理由はありません。」


「それでも、私が犯した罪は許されないことです。自分が生き残るためとは言え、罪を犯し続けていたんです。」


「……えぇ、それは許されないことかもしれません。私は死刑廃止論者ではありませんから、犯した罪は相応に償わせるべきだと考えています。」


 結城は、アフマドの目を真っ直ぐに見て話をする。


「でも、それを貴方に要求することは卑怯な気がするんです。」


「……卑怯ですか?」


「一応、日本には『緊急避難』というものがあります。命や財産に危険が迫った時に、回避するために取った行為は罰しない、というものです。」


「『緊急避難』ですか。……正当防衛のようなものですね。」


「ええ、自分に都合良く解釈出来てしまう曖昧なものかもしれません。貴方の行為が正当防衛とするのなら、やむを得ないことになるとも思うんです。」


「……両手の指全てを折っても、数えきれない命を奪ったことが『やむを得ない』と言えるのでしょうか?」


「分かりません。……でも、私は貴方の人生を知りません。そんな私が貴方に対して『人殺しは罪だ』と言い切ってしまうことも出来ないんです。」


「ありがとうございます。そう言ってもらえたことは、私にとって救いになります。」


 お互いにコーヒーを一口飲んだ。

 北村常務との繋がりを考慮するのならば、アフマドと会話を続けるべきではないかもしれない。それでも、結城は正直に向き合うことにした。


「突然こんな話をしてしまい申し訳ありませんでした。私の国の状況を少しでも知ってもらいたかったんです。」


「ええ、承知しております。」


 結城は、この言葉もアフマドの本心だと考えていた。

 本来は必要のない会話であり、結城を無駄に警戒させるだけになってしまう。アフマドの国が切羽詰まった状況であることを結城に理解させるために、自らを『人殺し』だと名乗ったことになる。


「それで、私たちが取り組んでいることが、アフマドさんの国の人たちの生活に役立つんでしょうか?」


「……それは間違いないと信じております。私たちの国には技術がありませんから、欲しいものばかりなんです。その中でも、結城さんたちのチームが開発に着手されている内容は非常に有益なものでした。」


 アフマドから提供できる技術がないのであれば、風見が提示している交換条件は実現しない。

 ただ実現しなかったとしても、北村常務が強引に話を進めてしまうのかもしれなかった。


「私は、結城さんたちのチームで企画しているテーマについては共感しております。非常に面白いテーマだと思うんです。」


「それは、ありがとうございます。」


「人間は不完全なものですから、正しくあるように矯正することは必要な措置だと思うんです。」


「ただ単に『姿勢』を正しくするだけのテーマですよ。そんな大袈裟な物でもありません。まだ身体にかかる負担を軽減するだけの装置でしかないんです。」


 アフマドが言う「人間は不完全」を、嫌な表現だと結城は感じていた。


「人間が正しい姿勢で正しい動作を出来るように手助けする。……素晴らしい発想だと思いますよ。」


「『人間は不完全』だからですか?」


 結城は、何故かこの言葉を聞き流すことが出来なかった。


「そうですね。ですが、表現を間違えたかもしれません。『不完全』ではなく、元々『人間は失敗作』だったんですから『完全』になることはなかったんです。」


 言い直したとしても嫌な表現に変わりはなく、人間に欠落しているものがあることは変わらない。

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