第29話
「余計な心配をさせたくないから、野上と乾には俺たちが滝田部長に呼ばれたことは伏せておいてくれ。」
風見は、日高から滝田とのことが漏れることを予防した。風見としては漏れ伝わったとしても差支えないと考えてはいるのだが、念のためと言ったところだろう。
それからは普段通りの業務に戻った。しばらくすると、野上と乾も帰ってきて事務作業に入っている。
結城は、無意識に乾の動きを目で追ってしまっている。当たり前のことだが、変わった様子など一切見られない。
普段通りに仕事をしている姿を見ていると、嘘を言っているのが滝田部長ではないかと考えてしまう。それでも、「今は、あれこれ考えるのは止めよう。」となり、現状ではそこにしか行きつかなかった。
野上の表情は多少固く感じられたが、無表情に考え込むような時間は減っている。結城は、コーヒーを二人分用意してから野上と乾に声を掛けた。
「ケーキごちそうさま、ありがとう。……あとは二人の分だから。」
二人にも一息入れるように促した。
「あ、すいません。ありがとうございます。」
乾は突然のケーキに驚いていたのだが、事情を伝えると野上に御礼を伝え喜んで食べていた。
「風見さん、結城さん、あとで少し時間もらえませんか?」
ケーキを食べる手を止めて、野上が二人に声を掛けた。
二人は取り掛かっていた仕事の区切りをつけて、およそ十分後に応接セットで三人が揃った。
「ケーキありがとうな。今日は糖分補給がしっかり出来てるから、しっかり相談に乗れると思うから任せてくれ。」
野上が話しにくそうにしていたので、風見がきっかけを作ることにした。
話し始めることが出来さえすれば、解決策を探れば良い。金曜日の夜に、結城と野上はコミュニケーションを取る場が持てたので、今回は風見の出番でもある。
「えっと、お二人は東部大学の白井さんの話を覚えてますか?」
「あー、覚えてるよ。話が噛み合わない先生だろ?」
白川という男は、野上と乾に被災地の救援活動に関しての開発を提案してきた人物だった。
野上は、風見の言葉に頷いてから質問を重ねる。
「その先生が言ってた、『筋力サポート』のアイデアについては覚えてますか?」
「『くろかワイヤー』を強化出来れば、『筋力サポート』も実現可能になるって言ってたんだろ?もちろん覚えてるよ。俺も、その方向性で進めてるからな。」
「そうなんです。今は人の関節の動きを少し調整するくらいでの利用を検討してると思うんですが、白井さんの言っている可能性についても考えてみたいんです。」
猫背の人の背筋をワイヤーで伸ばすように矯正する。歩く時の脚の曲がり方などを正しく矯正する。
最初の段階では、その程度から『くろかワイヤー』の活用を探ることが現実的と考えていた。
筋力サポートまでの機器に活用できる手段があれば、やってみたいとは望んではいるのだが強化方法について思案中である。
身体への負担が大きい介護では、筋力サポートは必要不可欠になってくると見込んでいた。しかしながら、『くろかワイヤー』が現段階で活用できるレベルかは未知数である。時間をかけて検証しなければならない。
「他の部署にも協力してもらって、強化する方法はないか確認しているんだ。……『くろかワイヤー』を有効活用するためには避けては通れない道かもしれない。」
「それが、もし実現出来たら、災害現場での『筋力サポート』も本当に可能かもしれないって考えたんです。作業とかの効率を上げることが出来るんじゃないかなって思うんですよ。」
「……白井先生の影響か?」
「きっかけはそうです。でも、作ってみたいと思ったのは俺の考えです。」
「最近、様子がおかしいと思っていたんだが……、原因はそれか?」
「……ずっと、考えてたんです。知らなければ、それで過ぎていったと思うんですけど、知っちゃったんです。俺みたいな人間でも、出来ることがあるならやってみたくなったんです。」
「知ったって、何を知ったんだ?災害の情報は、今までもニュースやネットで知る機会なんて沢山あっただろ?」
「……白井さんが、報道されないような写真を少しだけ見せてくれたんです。……俺が考えていたものより、ずっと悲惨な状況でした。」
「まぁ、当然そんなのもあるだろうな。一般に公開できるレベルなんて限界がある。……それで野上は何を考えたんだ?」
「はい。試作機を製作するって話を聞いて、せっかくチャンスがあるなら試作機でも『筋力サポート』の性能がテストできるように追加して欲しいんです。」
「……結城は、どう思う?」
風見は、ここまでのやり取りを黙って聞いていた結城に意見を求めた。
「俺ですか?いずれは試してみることですから、遅いか早いかの違いしかないと考えますね。今回がダメになったとしても、改善点が早くに見つかるのは悪いことではないですから、反対することはありません。」
「『失敗は成功の母』ってことか。でも、会社からすると余計な経費を見込まないといけないから、許可が下りるかは分からないぞ。」
ここでの議論が全くの無駄になる可能性も考えなければならない。これから製作依頼書を作成して、許可が下りなければ作り直しになってしまう。
「それでもチャンスがあるならやってみたいです。」
「まぁ、結城も同意してるみたいだし、やってみるか。多少の無理はあるかもしれないけど、検討してみよう。」
風見の賛同も得られて、野上は安堵の表情を浮かべた。そして、風見は諭すように言った。
「それと、野上。……『俺みたいな人間でも』なんて言うヤツは、何をやっても上手くいかなくなる。悩むのは仕方ないけど、どんな時でも自分を卑下するなよ。」
「はい……・、ありがとうございます。」
野上が小声で応えた。
業務として開発するのだから、いずれは会社の利益に結びつくものになる。したがって、野上の提案は偽善的な行為に分類されるかもしれない。
それでも、社会の中で役に立つ物になれば無駄ではないと結城は考えていた。
それが介護の仕事で役に立つものを作ったとしても同じことだった。「結局はお金儲けでしょ?」は、よく聞かされた言葉である。チームの五人は、その通りであると認めている。
お金儲けがしたいから、売れるものを一生懸命に作ることが出来る。個人レベルでは出来ないことを会社組織で行うためには「お金儲け」は必要だった。世の中に「善意」は「偽善」の結果でしかない。諺にある「情けは人の為ならず」でも、偽善を認めてくれていた。
野上との話が済んで、風見は日高と打合せを始めていた。
風見は、何かを書きながら日高に説明をしている。日高は、難しい顔をしながらも書かれた内容を読み解いていた。
次に、日高と乾が打合せを始めた。調達して欲しい部材のリストを作成して依頼をしている。野上からの提案は予定外の出来事であったはずなのに、段取りは早急に執り行われていた。
結城が見ている限りでは、野上の提案がなかったとしても風見は「筋力サポート」を進めるための検討していたと判断する。
風見は、北村常務の影響で多少経費が嵩んだとしても許可が得られることも見込んでいるのだろう。その状況は最大限で利用するつもりらしい。
北村常務の指示、アフマドの存在、乾の嘘。
結城には憂鬱になる事案も残っていたが、仕事が着実に前進していく様子は嬉しくもあった。
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