第28話
唖然としている二人を無視して、北村常務は席を立った。
「それじゃ、滝田君、後は任せたよ。」
それだけを言い残して、北村常務はアフマドを伴い部屋を出ていった。徹頭徹尾、周囲の人間を苛立たせる態度であり、敵意を向けるのには困らない相手だった。
ただし、東山部長から聞いた噂の真偽は不明のままで、現状は「常務」として存在するには取り扱い注意になる。
二人が部屋を出た後で、滝田は内線電話を使い「コーヒー三人分を第一会議室へ。」と、依頼した。
「ちょっと一息つきませんか?」
そう言って座ると、少しネクタイを緩めてしまった。結城は、滝田の気を抜いた行動にも驚かされてしまう。
「申し訳ありませんでした。突然、こんな話になってしまって。……お二人を驚かせるつもりはなかったんですが、私も詳しく事態を把握できていないんです。」
結城は余計なことを考えず、雰囲気の変化に便乗して疑問をぶつけることにした。
「あのアフマドという方は、どのような人なんですか?」
滝田は、隠すこともなく困り顔を見せている。
「正直に言って、何も分からないんです。私も風見さんに連絡する十分くらい前に北村常務から紹介されただけなので。……詳しいことを聞く間もありませんでした。」
「北村常務のお知り合いなんでしょうか?」
「それも分からないんです。どういった経緯で、アフマド氏が来ているのかも謎なんです。」
ドアがノックされる音が響く。滝田部長が入るように促すと、女性社員がコーヒーを運んできてくれた。
滝田が「ありがとうございました。」と声を掛けると、軽く頭を下げて部屋を出て行った。これだけの対応にもスマートさが滲み出ている。
二人は、開発チームで飲んできたばかりだったが、この短時間で喉が渇いていたので有難く感じていた。
砂糖を入れてコーヒーをかき混ぜながら、風見が話し始めた。普段はブラックで飲んでいるのだが、ケーキで補充していたはずの糖分が切れて脳が要求しているのだろう。
「社外秘であるはずの企画書の中身を、あのアフマドって男は何故知っているんだ?内部資料の管理が杜撰なだけなのか?」
結城は、驚いて風見を見た。
風見は滝田より年上ではあるが、役職が上の滝田に対しては横柄な物言いになり過ぎている。
しかしながら、滝田は全く意に介していない。
「そう、それが一番の問題なんですよ。アフマド氏が、この会社のことを調べたとしても、企画書レベルの情報なんて辿り着けるはずがないんです。」
「……だろうね。滝田には悪いけど、あの男の素性が分からないことには協力できない。」
結城は、この状況に堪えきれなくなってしまった。
「風見さん、滝田部長に対して失礼じゃないですか?」
その言葉に慌てたのは、何故か滝田の方であった。
「いえ、大丈夫ですよ。風見さんは、私の教育担当だったんです。入社してスグは風見さんにいろいろと指導していただいたんですから、私の恩人なんです。」
これもまた結城にとっては意外な事実であった。風見と滝田に接点はないと勝手に思い込んでいた。
「滝田は、入社して三ヶ月目で人間関係に悩んで会社辞めようとしてたんだよ。俺が、残って頑張るように説得したんだけど、今思えば失敗だった。」
「どうしてですか?私は感謝してるんですよ。」
「いや、あの時に辞めてもらってれば、俺が出世してたかもしれないんだ。明らかに失敗だよ。」
滝田は笑いながら聞いていたが、元の真剣な表情に戻って話を続けることにした。
「まぁ、過去の話はここまでにして……。問題は、北村常務とアフマドですね。何だか、すごく嫌な感じがしてるんです。」
「そうだな、それは俺も同感だ。……同感なんだけど『滝田部長』は、俺たちの味方と認識していても大丈夫なのか?」
「一応、風見さんには、かなりの恩義を感じているんです。風見さんを裏切って仕事のことを優先させないといけないなら、そんな会社は辞めますよ。」
この会社で滝田のポジションと将来性となれば、それなりの収入を約束されていると考えられた。
大袈裟な表現に結城は疑問を持つ。滝田も未だ独身とは言え、これまで必死に築き上げたものを恩人の為に無駄にすることなどとは思えなかった。
本当に信用して大丈夫なのだろうか?――結城は不安に思っている。だが、風見から出てきた言葉は、
「その覚悟があるなら、滝田を信用する。」
だけであった。
結城としては、風見が「信用する」と言った以上は余計なことを考えないように決めた。疑い始めたらキリがなくなってしまうので、どこかで腹をくくることも必要になってくる。
「それで、どうしますか?」
滝田からの質問に、風見は腕を組んで考え始めた。その間、滝田と結城はコーヒーを飲んでいる。
「……共同開発は、アフマド側からの有益な情報提供か大量購入前提が必須だから、それがなければ無理だって伝えておいてくれ。……で、有益な情報かどうかの確認は、会議を開くようにって念押しも忘れずにな。」
「意地の悪い言い方ですね。とりあえず、分かりました。」
北村常務への伝言として軽易な仕事として引き受けたのだが、滝田にとっても言い難いはずだ。現在のポジションは伊達ではないのだろう、肝は据わっている。
「ところで、北村常務の醜聞についての情報は入ってる?」
風見の質問に滝田は驚いた顔を一瞬見せたが、
「……知っています。真偽については確認中らしいですが、信憑性は高いと思います。」
「本当なら、かなりマズイことになるんじゃないのか?」
「それは……、もう。」
大変な事態を生み出すことには間違いないらしい。その渦中の人物が、得体のしれない男を紹介するためだけに行動している。
普段であれば関わることのない人物の北村常務だが、よりにもよって最悪のタイミングで関与させられることになった。
「あと、もう一つ聞いていいか?」
「どうぞ。」
「滝田は、東部大学の黒川教授って知っているか?」
「……東部大学は以前に共同研究の打診がありましたけど、そんな名前の教授は知りません。……と言うか、教授個人と連絡を取り合うことなんてないですから。」
結城は突然の質疑に意味が分からず、ただ聞いていた。
だが、記憶を辿り思い出す。
乾に黒川教授を紹介したのは滝田部長のはずだった。乾自身から、その事実は聞かされている。
結城は困惑して風見を見た。「どちらかが嘘を言っている。」それしかあり得ない状況になった。
「その人に何かあるんですか?」
二人の様子が変わり異変を感じた滝田が問いかける。
「知らないならいいんだ。……信じるぞ。」
風見の念を押すような言葉を聞いて、瞬間的に滝田は真顔になっていた。
「信じてください。嘘なんて言いません。」
そう言い切る。
それならば、乾が嘘を言ったことになる。紹介してくれただけの人間を隠す意味など無い。二人に嘘をついてまで隠す必要があるとすれば、その人物は限られてきた。
第一会議室を出て、開発ルームに戻ることにした。
とりあえず、ここでの話は風見と結城だけで留めることにしておいた。乾に紹介者を白状させるように迫る行為も封印しておくことになった。
現状、理解できていないことが多すぎる。理解できていないまま、疑う人間を増やすことを続けても事態は好転しないと考えての結果だった。
開発ルームに戻ると、日高が心配して声を掛けてきた。
「お疲れ様です。結構時間かかりましたけど、何か問題でもあったんですか?」
「いや、本題はすぐに終わって、少し雑談をしてたんだ。」
「……雑談、ですか?滝田部長と?」
「そう、今のところ順調にいってるから、このペースを維持するように発破をかけられた。」
「はぁ……、そうですか。」
風見は、当たり障りのない内容を伝えて無難に回避する。日高としては少し拍子抜けだったのかもしれない。
日高が「コーヒーでも飲み直しますか?」と聞いてくれたが、二人は微笑みながら丁重に断った。
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