第27話
この開発ルームで、ケーキとコーヒーの休憩時間などは初めてのことだった。
「このチームで、初めてですよね。ちゃんとした休憩の過ごし方するのって。」
同じことを考えていた日高からの感想である。元から休憩時間の設定がないのだから仕方ないことになる。
「なんで、今日はこんなに穏やかなんだ?」
風見は平穏な一日に不満気な様子だったが、普通ではあり得ないような愚痴を漏らす。
「月曜日から平和なんて、いいことじゃないですか?何か不満なことでもあるんですか?」
風見の態度に納得いかない日高が問いかける。
「んー、不満ではないんだ。……でも、平穏な時ほど、その平穏を消し去る出来事が起こるんだよ。毎日、適当にバタバタしてるくらいの方がいいんだ。」
「……『フラグ』ってやつですか?」
日高の不吉な言葉に、風見と結城は不安になり身構えてしまう。そして内線電話が鳴り、立てたフラグは一瞬で回収されたことになる。
明らかに暗い表情で、風見が電話に出た。
「はい、十五分後に第一会議室ですね。大丈夫です。」
電話が終わり受話器を戻したのを確認してから、日高が話しかける。
「……もしかして、フラグ回収イベントですか?」
風見は黙って頷いた。そして、結城を見て、
「でも、今回は道連れがいるけどね。」
と伝えられたことで、二人の不安は見事に的中したらしい。
「誰からの呼び出しなんですか?」
「滝田部長だよ。」
「えっ?」
結城は、風見が言っていたように適度なバタバタ感が継続するほうが幸せなんだと共感していた。新たな展開で、何が起こるかを知る前に疲れてしまう。
最後の晩餐のようにケーキを食べて、コーヒーを飲んだ。そして、重苦しい空気と共に部屋を出ていくことになるが、脳に糖分補給だけはしておきたかった。
指定された会議室には三分前に到着する。
部屋のドアにあるプレートは「使用中」に切替えてあったので、呼び出した主は既に入室している。
風見がドアをノックすると応答があり、二人は入室することにした。部屋の中を見た瞬間、二人は驚いて立ち止まってしまう。
会議室の中には、三人が座っていた。
滝田部長の他にも二人が座って待っていたのだ。一人は、日本人ではない見知らぬ誰か。あとの一人が、北村常務だった。
北村常務は、スマホを操作しており二人の方は全く見ない。椅子にふんぞり返ってスマホを見ている様子だけで、他人をイラつかせる能力が健在なことは確認できた。
三人は並んで座っていたのだが、滝田は立ち上がって風見たちを迎えてくれる。
「お疲れ様です。どうぞ、座ってください。」
失礼します――と、一声かけてから、勧められた向かいの席に二人は並んで座った。
正面真ん中に北村常務が座り、向かって左手側に滝田部長、右手側に謎の外国人という並びになっている。
「忙しいところ、申し訳ありませんでした。今後の業務についてのご相談と、お二人に紹介したい方がおりましたので時間を作っていただきました。」
滝田は、そこまで話すと北村常務の様子を窺った。その時点でも、スマホを操作し続けている。
滝田は、全部署の情報を統制する総括部の部長で、結城と同じ歳だった。最年少の部長職であり、幹部候補とされていることは疑いようはない。
人格者で、悪い評判を聞くことはないのだが、将来を見越してアンタッチャブルな存在になっているだけかもしれなかった。
北村常務については、東山部長からの情報で名前が上がっており、警戒していた人物だ。それが二人の前に登場したことにより、疑惑はさらに色濃くなる。
北村常務が、部下との面談に会議室へ出向いてくるなんて二人は聞いたことがない。基本的には、自室に呼びつけるだけだ。
結城は、目の前に並んだ上司二人を見ていて複雑な気分になっている。あまりにも対照的な存在だった。
背筋が伸びて姿勢正しく座る好印象な人物。脚を組んだままスマホをいじって話している相手の目を見ることもない下衆な印象の人物。
この二人が身に着けているスーツも高価だと思うが、全く見え方が違っている。
しかしながら、共通していることもあった。
結城にとっては二人とも要注意人物でしかない。印象が良すぎることも、反って怪しく感じられる。
そこでやっと、北村常務がスマホに向けていた目線を外して、二人を見た。
「すまないね、忙しいところ。まぁ、用件だけ手短に話すとしようか。」
前置きもそこそこにして、北村常務が話を進めた。
「こちらは、アフマドさんだ。……アフマドさんの出身国は、ちょっと事情があって穏やかではない状況が続いている。」
語りながら横に座る男性を二人に紹介した。
アフマドと紹介された男性は無表情で黙っており、軽く頭を下げただけだった。
――国の事情が、穏やかではない……。
手短にと言ったにもかかわらず、遠回しな表現をする。
――日本語を話せないのだろうか?
と結城は考えたが、言葉が通じていない相手に配慮して、遠回しな表現を使う必要はない。
アフマドは、この部屋の中で異質な気配を漂わせている。日に焼けた肌、二人を捉えている鋭い瞳、存在感が違う。独特な緊張感を身にまとっていた。
スーツを着てビジネスマンの体裁は保っているが、全く異質なものである。曲者上司二人とは別な警戒心が本能的に湧き上がってくる。
「……まぁ、その影響で、身体が不自由な人が多いらしい。……それで、日本の製品に興味をお持ちになったんだ。」
北村常務からの話は続いていたが、何の影響かも分からないのに「それで」と当たり前のように言われても二人は困惑するしかない。
いつも横柄な話し方しかしていないので、言葉を選んで相手に伝わるように説明することが極端に下手だった。
北村常務は、そこまで話したところで、滝田部長を見た。滝田は目配せに気が付いて、引き継いで話を続けることになる。
「穏やかではない状況、と言うのは内戦のことなんですが……。当然、その影響で弱い方が虐げられて、理不尽に傷付けられている方が少なくありません。」
滝田が説明を補足する。聞いている北村常務は、明らかに不服そうな表情になっていた。
自身の説明不足を部下に指摘された気分で気に入らなかったのだろう。自ら滝田部長に任せたのだが、器が小さ過ぎる。
「それでアフマドさんは、その方々を助ける手段を模索していたみたいなんです。もちろん、日本国内で既に販売されている製品も、本国へご手配はされているのですが、それ以外にも関心をお持ちで……。」
「偶然ですが、こちらの会社で新たな機器の開発しているとの話を聞きつけて、お話を進めさせていただきました。」
滝田に次いで語り始めたアフマドは、流暢な日本語で話した。低く響く迫力のある声ではあったが、聞き取り易い。
「私たちのチームで開発を企画している機器のことでしょうか?」
風見の問いかけに対して、アフマドは「そうです。」と、短く答えた。
「まだ、企画書の段階で、どんな製品になっていくか未知のものですが……。」
そこまで言って、風見は滝田部長を見た。滝田は、小さな声で言いにくそうに、
「そうですよね。……実は、風見課長のチームの進捗をアフマド氏にも共有してもらい、場合によっては共同開発の道も検討したいと考えているんです。」
滝田からの提案には、二人も驚きを隠すことができない。
このアフマドという男について、名前以外の情報が何も明かされていない状況で、共同開発の提案を受けることは異常過ぎた。アフマド個人に対して、社外秘である開発チームの情報を開示する価値を会社が見出していることになる。
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