第26話
風見には長く付き合った彼女もいたが、性格的な誤解を解消することが出来ずに別れてしまった。
着ている物が似合うと思ったから、似合ってると言ったつもり。作ってもらった料理が美味しいと思ったから、美味しいと言ったつもり。――それでも、その言葉に感情がこもっていないと言われ、怒られ続けてしまった。
似合っている、美味しい、と感じる許容範囲が他の人よりも広かっただけである。適当に答えていたわけではなく、他の他人よりもストライクゾーンが広かっただけだった。
だからこそ、相手から別れの言葉を聞いた時は悲しかった。
それでも相手の気持ちを受け入れることを優先してしまい、自身の感情も表に出すことを躊躇ってしまった。風見に部署異動の辞令があったのは、ちょうどそんな時期だった。
部下の人数も少なくなるが、新規事業の立ち上げ責任者として仕事に集中できると考えていた。タイミングだけで引き受けたに過ぎず、動機としては不純だったかもしれない。
配属されてきた四人は、過去の部下と違っており最初は戸惑うことになる。だが、風見は半年を経過して、このチームでの仕事を楽しいと感じていた。
副責任者となる結城は、自動運転車のGPSセンサー開発責任者として社内での評価も高かった。
違う部署の風見も結城の評判は届いており、それほどに評価されている人物の配置換えには多少の疑問もあった。結城にとって、今回の異動は良い意味を持っていないことになる。
それでも、木本部長から「結城には問題ない」と聞かされたことで、事実確認をするつもりはなかった。
日高は、ある種の曲者感があった。
ほとんどを技術部で過ごしていたので知識が広く、「風鈴チーム」が成立するための業務の大半をフォローしてくれている。
風見と同種の雰囲気を持っており、物事への関心が低い印象を与えることも多いが、仕事への熱意は感じられる。
野上は、事業開拓部からの異動だった。
明るく、人当たりの良さで周囲を巻き込むことが出来る。勤勉さがあり、取引先からも好かれており信頼もある。
多少とぼけた言動はあるが、周囲の助けを受けながらでトラブルに至ることはない。
乾も事業開拓部から異動だが、社内調整担当だったらしく野上と仕事が被ることは少なかった。
情報収集、知識の集約で新たな可能性を探ることを得意としている。また、得意分野を活かせるだけの行動力がある。風見や日高とは対極になる「熱い男」ではあるが、周囲への無理強いをすることはない。
結城が裏でチーム内の熱量調整をしてくれているので、バランス良く業務を遂行できていた。
きっかけとなる風見の動機には負の要素があったが、仕事にやりがいを感じている現在を純粋に楽しんでいた。楽しいと感じてしまう環境になっていることで、悩んでしまうこともある。
社内には確実に一定数の嫌な奴が存在している。
仕事をサボる。愚痴が多い。言い訳ばかり。利己的。……。理由は様々あるが、一緒に働いているだけでストレスを感じる人間と組まされる機会は多かった。
喫茶店で結城と話した時にも、チームの人選について疑問があることは伝えていた。
結城は、チームとしての平均年齢が低すぎることを指摘したが、風見は別のことも懸念していた。
――風鈴チームには、真面目な人間が集められている。
真面目な人間の中に風見自身を含めることに抵抗はあったが、他の四人は確実に該当していた。
もちろん良好な時ばかりではなかったが、与えられた仕事を懸命に遂行して、決定的に破綻するようなことはない。お互いに信頼し合っていることもあるが、結城のフォローも大きかった。
――少人数で最大の効果を得るために北村常務が何かを画策しているのかもしれないな。
先日の木本部長との話で、北村常務の関与が疑われていた。
ただ人数を集めるだけではなく、効率的に業務を進めていける編成であり、他部署の協力も得られるように根回しされている。
――今は、その状況を利用して進めばいいだけ。良いものを作って、役立ててもらうことは悪いことではない。そのチャンスをもらったと思えば悪いことではない。
風見は、自分に言い聞かせていた。
それでも、何か起こった時に対処できるように緊張感を持っていなければならなかった。責任者として自分が出来ることは、それくらいしかないと考えている。
風見も野上の様子がおかしいことに気付いてはいた。それでも結城と食事に行くと聞いたので、結城に預けることにした。
東部大学との折衝を結城が手伝うと言った時、結城が野上の態度に異変を感じていることを感じ取った。
――とりあえず、個別の問題は結城を頼ろう。
そう風見は考えていた。全てを一人で抱え込むには限界がある。
石橋を叩いて渡る必要はあるが、叩きすぎて壊してしまっては本末転倒になる。
目的は対岸に辿り着くことであり、石橋を安全に渡ることではない。多少危険な目にあったとしても、対岸へ渡ることが出来れば目的は達成できる。目的と手段を勘違いしてしまえば、目的を達成することは難しくなる。
部屋の中で、そんなことを真面目に考えてはいたが、表情に緊張感は欠片もなかった。ニヤニヤしてながら日本酒を飲んでフィギュアを鑑賞しているだけになっている。
◇
月曜日になり、結城は再び瀬川と連絡を取っていた。カメラの精度を上げるためのセンサーがないか問い合わせたり、映像の3D化処理を短時間で出来る方法を探っていた。
乾は、日高からの相談を受けて社内での確認作業を進めている。社内の情報だけで不満を感じれば、独自の判断で協力会社などへも連絡を入れて外出しようと考えている。
野上は、先週末の食事会であったことを結城に詫びてから外出していった。風見からの依頼を受けて、「風鈴」で開発した製品の評判を聞いて回るらしい。
「休憩時に食べてください。」
少し照れくさそうな言い方で結城に言い残して、冷蔵庫にケーキの箱を入れていった。
「んー、なんか今日は静かだね。」
唐突に風見が言葉を発した。平穏な時ほど落ち着かない様子になる風見だった。
普段は話しかけられるまで自分の作業を黙々と進めるのだが、午前中は皆の進捗を聞いて回っている。
昼過ぎになると、自身の席で腕を組んで考え事を始めていた。そうかと思えば、「棚ぼたカメラ」と「くろかワイヤー」のサンプルを眺めては調べものをしたりを繰り返した。
「少し休憩でもしますか?」
結城は、そう言って席を離れた。部屋に残っているたのは、風見と結城と日高の三人である。コーヒーを入れ始めた結城を見て、日高は慌てて代わろうと立ち上がった。
「大丈夫だよ。自分の仕事を進めててくれ。」
結城は、日高に声を掛けて制止した。お茶汲みなどは手が空いている者がやれば構わないと考えている。それでも、役職や年齢を気にする輩はどこにでも残存しているので、気にする素振りが見られれば構わなかった。
三人分のコーヒーを淹れ終えて、冷蔵庫の中にあるケーキ箱を取り出した。箱の中にはシンプルなショートケーキが五つ入っていた。
プラスチックのフォークはケーキと同数一緒に封入されていたが、お皿はない。見栄えは悪くなるのがアルミ台紙のままケーキを風見と日高にも渡すことにした。
「どうしたの?このケーキ。」
目の前に置かれたケーキを見て、風見が質問する。
「野上からの差し入れ?……陣中見舞い?みたいなものですよ。」
「どこに『陣』なんかあるんですか?」
結城は細かい理由を話すことはせず言葉を濁したが、日高が笑いながら聞き返してきた。
「開発チームも、広い意味で『陣』と同じようなものになるのかな。……でも、なんで野上がケーキなんて持ってきたんだ?」
「……たぶん、そんな気分だったんですよ。」
結城は、曖昧な返事を繰り返した。「自分が食べたかっただけか。」と、風見は言って、それ以上追及をすることはなかった。
野上が結城にケーキを渡していったことで、風見としては何かを察していたのかもしれない。
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