第21話

 生きていれば適度に障害がある。人間関係は適度な損得勘定の上に成り立つこともある。ビジネスシーンであれば、より顕著に現れる方が自然な流れに感じることが出来る。


「今後、東部大学との折衝は俺も手伝うから、お互い注意するようにしよう。」


 結城は風見を見ながら話て許可を求めた。風見も結城を見返して頷いて、無言で承諾をする。


 野上の変化の原因が大学にあると結城は考えている。結城は自分も関わることで探りを入れようとしていた。

 こちらの件も、ただの思い過ごしかもしれない。野上にも、調子の良い時と悪い時が当然ある。結城自身、業務以外で懸念材料があることで少し神経質になっているのかもしれない。


「……結城さん、俺も大学の件は手伝わせてください。」


 乾も何か思うところがあるのだろう。


「逆に、乾の方が大学に詳しいから、こっちから頼むよ。」


「はい、お願いします。」


 結城は、まだ大学内で黒川教授とだけしか面会出来ていない。白井という男の存在も不気味には感じていた。


「教授の態度も気になるところだけど、変な先入観を持つことは禁物だからな。」


「……それ、先入観を植え付けた人が言うことなんですか?」


 風見の言葉に必要以上の緊張感を与えないように、結城が少しだけ茶化してみる。このやり取りに日高も乾も同意して、笑っていた。



 黒川教授の研究成果について、必要になるデータは大部分を既に受け取っている。それゆえに今後の面会する機会は多くないかもしれないが、野上だけに任せておくことはしたくなかった。



 金曜日の午前中は報告会が通例となっているが、前日の大学訪問で行動を共にしていたことから今週は中止とした。


 風見と乾が「くろかワイヤー」の試作品を手にして、いろいろと試しながら話し合っている。

 黒川教授には、契約書を取り交すまで保留と伝えてはあるのだが、時間を無駄にしたくないので先に進めておきたい気持ちがあった。


 結城は、日高と相談しながら3Dデータ化アプリの改善を進めていた。可能な限りシンプルに設計することで処理に掛かる時間を短縮できると考えているのだ。


 野上は、全員訪問の後で教授から追加で受け取った資料に目を通していた。

 資料の内容は詳しく話されていないが、新規のテスト結果とのことらしい。



 それぞれに仕事を進めているところに内線電話が鳴った。一番近くに座っていた野上が最初に対応して、風見に繋いだ。


 渋い顔をして受話器を戻した風見は、結城を見た。


「ゴメン、東山さんから呼ばれたから一緒に来てくれるか?」


「えっ?俺もですか?」


「そう、今から二人で会議ルームへ来いって。」


 東山とは、開発部の部長である。現在は福祉介護事業部の部長も兼務しているので、直属の上司に当たる人物だ。ただし、開発部としての業務に追われているので形式上だけであり、「風鈴」での業務は全くしていない。

 40歳代の半ばらしいのだが、豪快な性格で非常に若々しい印象がある。

 

「何か怒られるようなことしました?」


 会議ルームへ向かう途中で、結城は風見に聞いてみた。

 身に覚えがあるのであれば事前に聞くことで、心の準備が出来ると考えての質問である。


「いや、一応は業績も順調だし、問題ないと思うんだけどね。」


「昨日の東部大学の件が絡んでるとかはないですか?」


「契約書の件で呼び出すんだったら、俺か結城のどちらかだけでいいはずだ。……二人揃って行く必要なんてないと思うんだよな。」


 結城が記憶している限り、二人揃って呼び出された時に褒められたことは一度もなかった。

 怒られるか、業務命令か、面倒な話になることが予想される。


 会議ルームのドアをノックすると、部屋の中から返事があった。


「失礼します。」


 風見と結城は、同時に挨拶をして部屋に入る。


「おう、二人ともお疲れ様。呼び出して悪かったな、座ってくれ。」


 木本部長の正面には紙の資料が無造作に置かれている。呼び出された原因が記されているだろう書類を気にして二人は覗き込んだ。


「お疲れ様です。失礼します。」


 内容までを読み取ることが出来ず、仕方なく勧められるまま席に着いた。


「順調にいってるみたいだな。計画通りに進めているのは、流石だよ。」


 風見は、「ありがとうございます。」と返すが、その表情は少し強張っているようだ。「アメとムチ」の原理が働き、褒められた後の展開には注意が必要になる。


「まぁ、今日、呼び出された理由は分かってるだろ?」


 東山部長という人物は余計な雑談少なめに本題に入る。プロローグは短めで、エピローグが長めな展開が予想される。


「すいません、分かってないです。」


 風見も簡素な返事で応じる。

 結城は、この二人のシンプルな会話が心地良かった。


「相変わらず図太いヤツだな。こんな書類を会社に提出しておいて、身に覚えがないって言える神経を疑う。」


 東山は目の前にある紙束の中から一枚を取り出して、二人に示した。共に見覚えがる表題がつけられているレポートだ。


「あっ。」


 風見と結城の発した声は期せずして揃ってしまう。

 提出する時、結城にも嫌な予感はあったのだが、やはりAI導入についての書類が呼び出し対象になっているらしい。


「とりあえず、身に覚えはあった様子で安心したよ。」


 東山部長は、二人の反応を見て笑いながら言った。

 風見と結城が「申し訳ありませんでした。」再び声を揃えて、お詫びをする。


「これからは、もう少し考えて提出するようにしろよ。上の人間は、ちょっとしたことで機嫌が悪くなるんだから。」


 東山部長が直接怒っているのではなく、上からの指示を受けて呼び出したらしい。


「でも、俺は嫌いじゃなかったな。……本当の意味でAIの可能性を探るなら、あれぐらい過激な方が議論の幅が広がると思ってる。」


「ありがとうございます。発案者は、日高なんですけどね。」


「あぁ、日高か。独特の感覚で生きてるよな、アイツは。……でも、感性豊かなヤツは変人扱いされる危険性もあるから、お前たちもフォローを怠るなよ。」


 褒められた時には自身の手柄にすることなく、部下の名前を伝えられる風見。決して接点が多くない社員の名前を聞いただけで、即座に人物を特定することが出来る東山。

 どちらも敬える上司であると傍で聞いている結城は考えていた。


「でも、多様な意見を拾いたいからレポート出させたのに、少し変則的な意見があっただけで嫌な顔するなんてナンセンスだよな?社内でしか使用しない資料に難癖付けないで、ちゃんと仕事しろって思うよ、俺は。」


 あからさまな会社批判を東山から二人は聞かされたのだが、反対意見を持ち合わせていないので黙って頷く。


「お前たちも、裁判官なんて中途半端なところを攻めずに、『政治家』くらいは書いておけよ。……将来、日本の政治はAIが担当しますって……。巨額な議員報酬も削減できるし、既得権益に絡んだしがらみもないので、良い政治が実現できます。くらい書いてやれば良かったんだ。」


 居酒屋会議中、裁判官の話が出た時でさえも重い雰囲気で議論することになった。それを超える話を東山はあっさりと口にしてしまう。

 このくらい軽口で触れた方が、あれこれ悩みながら議論を重ねるよりも説得力があるのかもしれない。


「それなら、東山部長がその内容でレポート作成して渡してくださいよ。」


 風見の提案に、東山部長は首を横に振る。


「それは無理な相談だ。俺には、守るべき家族がいるからね。」


「独り者の俺たちなら、犠牲になっても問題ないってことですか?酷いこと言う上司ですね。」


 それを受けて東山部長は笑いながら俺たちに、二人に向かって「早く結婚しろ。」と言ってきた。

 結城は、最近この台詞をよく耳にしているように感じている。


「それで、俺たちのレポートに厳重注意でも与えるように言われたんですか?」


 風見は、少しだけ面倒そうに言った。

 こういった態度で上司と接することが出来る風見を、結城は羨ましく思ってしまう。

 こればかりは生来の性格に由来するものなので、真似しようとしても真似できるとは限らない。

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