第20話

「お忙しいところ、長々と申し話ありませんでした。」


 風見が、切り上げる言葉を口にする。


「こちらこそ、大したおもてなしもできず、申し訳ない。」


「とんでもないです。お茶、ご馳走様でした。唐突に大勢で押しかけてしまい申し訳ございませんでした。」


 風見と黒川教授が言葉を返しながら、お互いに立ち上がった。 


「契約関係はお任せください。今後とも、良い関係で、お話を進められることを願っております。」


 と言いながら、黒川教授は風見に右手を差し出した。

 風見は、それに応えて立ち上がり、黒川教授と握手を交わす。


「本当にありがとうございます。よろしくお願いします。」


 黒川教授は、続いて立ち上がった結城と日高とも握手を交わすことになる。おそらく、野上と乾は初回訪問時に握手を交わし終えているのだろう。


「それでは、失礼いたします。」


 それぞれに挨拶をして、研究室を後にした。


 学舎から出て、駐車場へ向かおうとして歩き始めたが野上が言葉を発した。


「すいません。まだ、教授に今後の予定を確認したいので、俺は残りたいんですけど。」


 野上と結城の車二台で来ていたので、野上が残るとなると一台だけで帰社することになるのだ。


「……あぁ、それなら、俺の車で三人乗れるから大丈夫だよ。」


 全員が立ち止まって、結城と野上の会話を聞いていた。

 日高と乾は話している二人を交互に見ているが、風見だけは別の方向をボーっと眺めていた。


「それなら、お任せしてしまって大丈夫でしょうか?」


「あぁ、問題ないよ。今日は、会社に戻れるのか?」


「特に戻ってからやることもないので、直帰でも問題ないですか?」


「それは構わないけど……、今日は早めに仕事切り上げろよ。」


「ありがとうございます。では、お疲れ様です。」


 成り行きを見ていた三人は、それぞれに野上へ挨拶をした。野上は、軽く頭を下げて来た道を戻って研究室へ向かった。


「それじゃあ、俺たちは帰ろうか。」


 野上の去っていく姿を眺めていたが、風見の言葉をきっかけにして四人は駐車場へ再び歩き始めた。


 日高と乾は、風見に質問したい気持ちを抑えながら歩いている。風見と結城は、二人の気持ちを理解しながら何も言わずに歩いている。


 風見が助手席に座ったが、後部座席の二人は何故か黙ったままだった。帰りの車内は質疑応答の場になるかと思っていた風見と結城は拍子抜けしてしまう。


 風見は、窓から景色を眺めているだけで何も言ってこない。結城が運転している様子を後ろから見ていた乾が、「マニュアル車は楽しそうですね。」と話しかけたくらいで沈黙が長かった。


 開発ルームに戻ってから、無言のまま乾が人数分のコーヒーを入れてくれた。それぞれのデスクにコーヒーを置いていき、自身の分を持ち席に着いた。

 そして、意を決したように一呼吸置いて話し始める。


「あのぅ、風見さん、結城さん。……聞いてもいいですか?」


 風見は、コーヒーを一口飲んでから、「どうぞ。」と短く応じる。


「何で、黒川教授との協力体制を先送りするみたいな話をしたんですか?」


 乾からすれば、一週間かけて取りまとめをした仕事なのだから当然の疑問である。むしろ、あの場で何も言わずに堪えられたことを評価したい。


「悪かったな。事前に断りもなく、あんな話にして。……乾の立場なら納得出来ないことだよな?」


「いえ、それは大丈夫なんですけど。……別に納得いかないとかはないんです。……ただ、何かあったのかなって。」


 事実、乾の口調は落ち着いており、苛立っている様子は見られない。風見を信頼しているからこそ、この時間まで質問する機会を待っていたのだろう。


「そうか。……俺も、乾から報告を受けた時は少し浮かれ過ぎてたから、冷静に対応しただけなんだ。」


 その時の様子を思い返してみても、風見が浮かれていた姿の記憶は誰にもなかった。


「えっ?浮かれてたんですか?」


「浮かれたと言うか、舞い上がると言うか、そんな感じだったよ。あれだけの研究データをそのまま使えるなんて幸運は滅多にあることじゃないんだからな。」


 風見の言葉に嘘はないのだろう。

 開発責任者としての立場であれば、良い結果につながる要素が増えるのは純粋に喜ばしいことになる。それも、大した対価も必要とせずに大学の研究成果を運用出来るとなれば、かなり幸運なことだった。


「でも、企業としての対応としては、ちゃんとした手順で進めていかないとね。後々で問題になるようなことがあれば、会社に迷惑をかけることになるし。……手放しで浮かれてたらダメだなって反省したんだ。」


 風見からの回答を聞いて、乾は黙ってしまった。


 同意するとか、反論するとかの反応が全くないのだ。その場で話を聞いている日高と同様に思い悩んでしまっている。


 黙ってしまった二人の代わりに結城が話に割って入った。


「俺も、風見さんが黒川教授に言ったことは正しいことだし、重要な話だと思って聞いてたんだ。順調に行き過ぎてたから忘れてたんだよ。……まぁ、俺も知らされてなかったから驚いたけどね。」


 結城の言葉には嘘がある。突然の風見の対応には、それほど驚いていなかった。


 驚かずに済んだ理由は、喫茶店で風見から相談されていた話を思い出していたからだ。風見は現状で発生する事案全てに、疑問を持っているのかもしれないと考えていた。


 しばらく考え込んでいた乾が再び話始める。


「俺も野上さんも、教授が研究データをいろいろと教えてくれるから、契約について話を詰めるの忘れてたんですね。スイマセンでした。……でも、それなら、あの時の教授の態度は変じゃないですか?」


「……何が変だった?」


 結城が聞き返した。


「いや、だって、風見さんが言ってたことは正しいと思うんですよ。大切な契約を交わさないまま進めるのは、危険だって説明してるわけだから。……でも、教授は契約なんて後回しで問題ないって言い続けたんですよ?」


 乾の言葉に、日高も続けて話す。


「俺も、あの場に居て、黒川教授の態度には違和感がありました。それに、後は任せてくれって言うのも、おかしいですよ。」


「そうだね。でも、ただ単に自分の研究成果を一刻も早く世に知らしめたいだけの言動かもしれないから、邪推は出来ない。」


 結城は落ち着いた口調で答えた。


 風見と喫茶店で話をした時、結城が抱くことになった疑問と同じことを日高と乾が一緒に考える機会になった。


「……邪推、なんでしょうか?」


 日高が聞いてきた。


「それは、今の段階では何も分からないよ。分からないことは、分かるようにするしかない。あの教授が大盤振る舞いする理由も何かあると思うんだ。」


「結城さんは、予想できてるんですか?」


「今日、初めて会ったんだ。一週間通ってた乾の方が、何か気付くことがあるんじゃないか?」


「そう聞かれても、困りますね。……教授と話をするときは、一方的に新素材の説明をされるだけだったので、理解するのに必死だったんですよ。だから、教授がどんな人かなんて印象は薄いです。」


 黒川教授の性格が悪かったとしても、研究成果が素晴らしければ問題はない。私的な付き合いをするわけではないから、違法行為に手を染めていなければ、ある程度は割り切って応対する。


 乾も、黒川教授が「悪人」でなければ割り切って付き合っていくつもりで臨んでいたのだろう。そして、人としての善悪が短時間で判断出来るはずもなかった。

 現に、教授に不審な点は出てきたが「悪人」と言うわけではない。どちらかと言えば、教授の態度は友好的であり、悪意とは程遠いのだ。


 だが、過度に友好的な教授の態度は怪しく思えていた。

 仕事も順調に進み過ぎれば疑念が湧くこともあるし、親切すぎる相手には不信感を持つこともある。不自然な流れがあれば、備えておかなければならなかった。

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