第19話

 きっちり五分前に、目的の研究室に到着。

 野上がノックをすると、部屋の中から「どうぞ。」と男性の声が返ってきた。


 ドアを開けると狭い部屋の中は本棚で囲まれており、正面に教授のデスクがあった。黒川教授と思わしき人物は椅子から立ち上がり、五人を迎え入れる態勢を整えてくれた。


 入室すると、風見が先立って挨拶をする。


「初めまして。私、フューチャーシェアリング株式会社、福祉介護事業部の風見と申します。この度は、大変お世話になりまして、誠に恐縮です。また、本日はお時間を割いていただき、ありがとうございます。」


 改まった場面での風見の態度に、四人は毎回驚くことになる。 この人も、「ちゃんとできるんだ。」というのが正直な感想だ。

 チーム名の「風鈴」は会社内での呼称であり、対外的には「福祉介護事業部」となっている。


「こちらこそ、初めまして。東部大学の黒川です。ようこそ、お越しくださいました。大変に狭い部屋で申し訳ございませんが、どうぞお掛けください。」


 部屋の中央にはある応接セットのソファーを勧められた。

 風見から結城と日高の紹介もされて、それぞれ挨拶を済ませてソファーに腰かける。

 黒川教授は、ソファーでなく自分の椅子に座り直した。


「こんな大人数で押しかけてしまい申し訳ありません。今後のことも考えて、私たちのメンバー全員でご挨拶をしておきたかったものですから。」


「そんなことはお気になさらないでください。皆さんとお会いできる機会を設けていただいて嬉しいんですから。こちらとしては狭い部屋で申し訳ないですよ。」


 教授の言葉通り、応接用ソファーは五人が座ることで満席になってしまっている。本棚に囲まれた圧迫感も手伝い、室内は実際よりも狭く錯覚させれらる。


「いや、大学の構内に入るなんて、十数年ぶりのことでしたので、少し気後れしてしまいました。」


「いえいえ、見たところ、まだまだお若いじゃないですか。野上さんや乾さんも、数日こちらに通っていただいておりますが、すっかり溶け込んだ印象ですよ。」


 風見と黒川教授が、当たり障りのない会話から流れを作り始める。黒川教授は、外見から予想される年齢が五十代前半くらいだろう。

 普段の格好を知らないのだが、今日はスーツ姿で応対してくれいている。柔らかな物腰で口調は丁寧、風見と笑顔で会話する様子からは教職者の雰囲気を感じられない。


 研究室のドアが開き、お茶を運んできた女性が入ってきた。黒川教授の研究室を手伝っている学生だろうか、白衣を羽織っている。

 しかしながら、五人がここへ来た時に教授以外は室内にいなかったのだ。教授が誰かに連絡している素振りも見せていないので、時間になったら準備するように伝わっていたのかもしれない。


 お茶が一人一人の前に置かれ、それぞれが御礼を言い述べてから、風見は会話を続けた。


「野上が、こんなにも長期間お世話になってしまい申し訳ありませんでした。……それに、大切な教授の研究成果まで公開していただいて、こちらとしては本当にありがたい限りです。」


「ハハハ、いや、意欲的な若い方に協力したかっただけなんです。それに、公開なんて大袈裟なものでもないんですよ。……数年前には概要も出来ていたんです。それから有益な導入先を増やせるように、いろいろと声を掛けていたところだったんです。」


 教授は終始笑顔で話しているので、真意が捉えにくい。

 座った位置関係で黒川教授の背後に窓があり、逆光になっていたために表情も読み取りにくかった。


「野上や乾からも、そのように聞いております。教授の研究成果は、私たちで取り組んでおります機器の開発に光明をもたらしてくれました。……ただ、教授の研究成果への対価などの条件が社内で協議されていない状況ですので、少しお時間をいただくことになると思うんです。」


 黒川教授からは「えっ!?」と、声が漏れ聞こえた。


「いや、その点についても、野上さんたちにお伝えしてありますが、御社からお支払いいただける最低限でも構わないと考えております。」


「ですが、大切な情報ですから、最低限なんて失礼なことは出来ません。我々も、憚りながら研究開発の一端を担っておりますので、新たな技術を生み出す大変さは理解しております。その上で、ご納得いただける形で、お話を進めたいと考えております。」


「……それは、ありがとうございます。そのように、お考えいただいているだけで、十分です。……正直、金銭的な問題は、あまり重要視していないのです。それよりも、社会貢献できる技術として、一般活用してもらうことを優先して考えております。ですから、……。」


 結城以外の三人は、会話が予想外の展開を見せていることに驚いていた。その中でも野上は動揺しているように感じてしまう。


 野上と乾が、大学から研究成果を持ち帰った後は、すぐに利用する方法を検討する流れであった。それゆえ、研究成果の活用と契約の話は風見が最優先で進めるものと考えていた。


 ところが、今の話では研究の対価を社内で再検討することになり、その決着がなければ黒川教授との話は先送りになる。

 風見は、直接的な言い方は避けていたが、保留しているように受け取られてしまう。


 事前の打合せをしていたわけではないのだが、結城だけは風見の翻意にも思考を追いつかせることが出来ていた。


 しかしながら、他の三人は今日の訪問目的を研究成果を使用する御礼と、今後の段取りについての打合せを兼ねたものと考えていたので寝耳に水状態である。


「もちろん、教授のお考えは尊重させていただきます。ですが、契約に関してを疎かにすると、私も上司から怒られてしまいます。契約締結後に、野上たちが持ち帰っております資料を使わせていただこうかと考えておりますが、如何でしょう。」


「……確かに、風見さんもお立場がありますから、賢明なご判断と思います。……分かりました、私も御社で幾度かお世話になっておりますので、過去の契約が参考になると思いますので、円滑に進むようにご連絡させていただきます。」


 会話に微妙な間が生まれた。

 黒川教授も、自身の想定していた展開と違っているのだろう。必死に冷静を装って入るが、所々に焦りが感じられるようになっている。

 そして、風見と結城は黒川教授の言葉の中で新しい情報を得ていた。「御社で幾度かお世話になっている」の部分である。過去の実績については知らないことだった。


「あっ、そうでしたね。それでは、お言葉に甘えてしまってもよろしいでしょうか?」


「ええ、すぐにでも準備いたします。時間はかからないと思いますので、風見さんたちのチームで取り組んでいる開発には支障が出ないようにします。」


 風見は、「それは助かるな。」と結城にわざとらしく声を掛けた。結城は風見の芝居染みた口調に一瞬吹き出しそうになったのだが、なんとか堪えることが出来た。


 他の三人は、ただ黙って成り行きを見守るだけになる。


「ところで、私たちの研究成果は、風見さんたちのお仕事でも役に立つと伺っておりますが?その認識で、お話を進めても問題はないでしょうか?」


「それは、間違いないです。我々も、悩まされていた問題を解消する目処が立ったのですから、教授からの情報提供は本当に助かりました。」


「それは良かった。」


 黒川教授は満足気な笑顔で応じた。

 崩れかかった体勢を必死に取り繕っている印象を受けるが、最後まで笑顔を消すことは出来なさそうだった。


 その後は雑談も交えて、一時間ほど研究室に滞在した。

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