第10話

 三人は、デスクにある自分のパソコンで今週の予定などを各々で確認し始めていた。

 チーム毎に一部屋、開発ルームが割り当てられる。開発ルームに入るにはIDカードの認証と暗証番号の入力が必要で、五人以外が入室できるのは災害などの緊急時に限定される。


 室内は未だ閑散としており、人数分の机とイス、ロッカー、資料用の書庫、大きなホワイトボードが準備されている程度でしかない。それぞれの机は、パテーションで分断されずに並んで配置されている。

 部屋の隅には、簡易の応接スペースも作ってはあるが、使う機会は稀にしかない。


 正式な部署になれば増員となることは必然であり、遠くない未来の引っ越しを懸念して室内品を最低限にしている、らしい。


 結城も、十五分程度の事務作業を終えていた。

 ホワイトボードにある個人予定スペースに、本日予定を「エスドラルーム」と書き込んで、出掛けることにした。

 

「午前中は外してますので、何かあれば内線ください。」


 作業を続けている二人に断りを入れて、彼も部屋を出た。


 各人の業務は、担当が明確に割り振っているわけではない。自然と得意分野で進めているので、事前に細かな報告はせず結果だけをまとめて報告するスタイルを取っている。

 事務担当の社員も配属されていないので、事務作業も各々で行わなければならない。

 上手く機能しなければ変更する予定でいたのだが、気が付けば当たり前のスタイルとして定着していた。


 結城は、「風鈴」に配属される前にいたた「エスドラルーム」で打ち合わせる予定を前週から組んでいた。

 自動運転車に関わるセンサー類の開発を進めているのが、セルフドライビングを省略して呼称している「エスドラルーム」である。「風鈴」配属前の結城は、「エスドラルーム」の中にあるGPSセンサー部門の責任者をしていた。 



 チーム風鈴が発足されてから半年ほどは、既存製品の介護用具を改良して、何点かを市場に出すことが出来ている。

 ゼロからの商品開発は、事業として成立すると判断されなければ難しい。見極めが完了するまでは許可されないはずだったオリジナル商品の開発だったが、好調な滑り出しで一定の評価を得ることで緩和されていた。


 社内外を問わず、転用可能な技術があれば、優先して活用すること。先行投資のリスクは、可能な限り減らすこと。

 この点については、考え方を変えることなく、新たなテーマへ移行する段階に来ていた。


 全員で話し合った結果、チーム風鈴の開発テーマは「人間の姿勢」として取り組んでいくことで決定している。


 人間が行動する時、正しい姿勢を保てないことで生じる問題を解決すべく探求することを始めていた。

 介護する側の人が、無理な体勢で動作をすることで、身体に余計な負担が掛かり怪我の原因ともなる。介護される側の人も、強引に動かされたりすることで、身体を痛めてしまう危険性がある。


 また、リハビリでも実施される歩行訓練や関節可動域訓練などでも、姿勢を制御することで効果を見込めると考えた。

 

 する側、される側、改善治療。活用できる範囲を限定することなく、多方面での転用に可能性を持たせることは開発のリスクを軽減できると考えていた。

 しかしながら、客観的に人間の姿勢を分析する手段がなく、現状は対策が難しいポイントとしている。 


 そのために必要な物は、

「客観的に人間の姿勢を分析する装置」

「分析したデータを基にして姿勢を矯正する装置」

 の二つと考えられる。

 

 客観的に姿勢を分析することは、それほど難しい課題とは考えていなかった。必要になるのは人間の骨組みだけなので、情報量としても大きくはならない。

 

 しかし、人間の姿勢を強制するための装置は厄介だった。人間の骨組み情報からの分析結果を基にして、外部からの力で強制的に関節の曲がり具合を調整しなければならないのだ。

 止まっている物を矯正するのは比較的容易である。しかしながら、瞬間的に人間の動作を制御することは至難の業。分析したデータをリアルタイムで分析して対応しなければ意味が無い。


 そこで結城が考えたのが、瞬時の対応を前提としている自動運転車を対象にした開発ルームである。ここの技術であれば使えるものが多くあると想定していた。



 自身が担当している開発ルーム以外への入室は、迎え入れてもらわなければならない。

 IDカードをリーダーに通した後で、「コールボタン」を押さなければならない。それにより、部屋の中に訪問者の名前が表示されて応対してもらうことになる。


 結城は、首から下げているIDカードを機械に通してからボタンを押した。

 その場で二分ほど待たされたが、おもむろにドアが開いた。


「おはようございます。あれ?手ぶらで来たんですか。」


「おはよう。何で同じ会社の人間に、手土産がいるんだ?当然、手ぶらだよ。」


「元上司なのに気が利かないですよね。……どうぞ。」


 ドアを開けて迎え入れてくれたのは、瀬川という男だ。


 瀬川は結城の元部下であり、今回の打合せ相手となる。誰に対しても自然体で接する男として、彼のことは善意的に理解している。野上とは違った陽気さがあり、憎めない性格だった。

 結城は情報交換の窓口として、この男を指名した。


 瀬川は自動運転車に関わる部署の一員であるのに、マイカーをマニュアル車を買い換えた過去がある。「やっぱり、運転している実感って大切ですよね。」と、運転の楽しさを伝えてきたときには、結城も言葉を失った。


「ちゃんと資料まとめて、待ってましたよ。絶対に満足してもらえると思います。」


 室内にある応接ブースへの移動中、瀬川が語り掛けてきた。


 瀬川以外の社員は、元上司としての立場を利用して成果の横取りを目論んでいる結城を好意的な目で見てはくれない。社内で高評価の争奪戦があり、開発ルームの存続に関わるのだから仕方がないことだ。

 結城も、そのことは自覚している。しかし、少数のチーム風鈴が、会社の要求に応えるためにはやむを得ない行為だった。「背に腹は代えられない」と割り切って、開き直ることにしている。


「ありがとう、忙しいのに協力してもらって助かるよ。……何しろ五人だけじゃ、全く手が足りてなくて、他のチームを頼るしかないんだ。」


 結城は、愚痴が盛り込まれてしまった礼を述べた。


「そりゃ、会社側も無茶ですよ。……でも、俺が、独自で研究してたことが役に立つかもしれないチャンスだから嬉しいんです。」


 瀬川の所属する「エスドラルーム」は、全体数で五十名以上が在籍している。実用化に向けての動きが活発な業態であり、世間からも注目されている案件のため、会社としても本腰を入れている証明だ。


――それでも、俺たちへ情報の出し惜しみはするなって上から指示があるんだよな。風見さんが言ってたように、そんな指示を上が出すのも不自然か……。


 風見の言葉を思い出していた。「風鈴」への協力は積極的に行えなんて指示を会社が出していることになる。


 しかも瀬川は、開発スケジュールに追われる業務の中、独自の理論を証明するためにプライベートな時間も犠牲にして研究していた。


「えらく研究熱心だな。一応、新婚なんだから、奥さんと過ごす時間も大切にしろよ。」


 結城の下で働いている頃も、休日の開発ルーム使用申請書が瀬川から提出されていた。にも関わらず、結婚できているのだから、時間を有効活用出来ていることになり感心させられる。


「大丈夫ですよ。先輩と違って、仕事とプライベートはちゃんと分けてますからね。」


 妹理論で言えば、瀬川はデキル男に該当することになる。


「妹みたいな指摘は、勘弁してくれ。」


「ハハハ、妹さんにも説教されてるんですか?」


「つい二日前にね。公私を使い分けてこそ、デキル男だってさ。」


「先輩、仕事の能力高くて、見た目も悪くないのに、何で彼女ができないんですかね?」


「その答えを一番知りたがってるのは、俺だよ。」


 そんな雑談をしながら、応接スペースへ通された。

 広い開発ルームの奥に、パテーションで区切られた六畳程の空間が応接スペースとして使用されている。


 そのスペースに置いてあるソファーに、結城と瀬川は向かい合わせで腰を下ろした。

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