第9話

「おはようございます。」


 入室すると、すぐに野上が挨拶をしてきた。

 彼は月曜日の朝でも笑顔で対応してくれる。結城はスーツ姿の野上を見て外出予定なのだろうと判断していた。


「おはよう。今日は早いね。」


 野上の出社時間は五人の中では割合遅い方となっている。


 コアタイムさえ守っていれば問題ないフレックスタイム制なので、個々の業務に合わせた時間で出勤時間も調整したり直行直帰もある。そのため内勤組と外勤組で顔を合わさない日も多い。


「先方の指定した時間が午前中なんです。乾も一緒に行く予定です。」


 野上は販売店や病院等での情報収集を主にして動いているので、一日の大半を社外で過ごす。しかし、乾と一緒に社外の訪問予定を組んでいるのは珍しいことだった。


 乾は既存の商品や開発中のシステムが転用できないかを検証していることが主であり、社内での活動が多いのだ。


「珍しい組み合わせでの外出だね。……また大学か?」


 結城は、野上に確認をした。

 チーム単位で評価対象となるが、あまりお互いの行動に干渉することのない社風ではあるが、時々は結城も言葉をかけるようにはしていた。


「はい。教授が、かなり積極的で今日は具体的な話が聞けるらしいんです。俺だけが聞いていても不安だったから乾を誘っておいたんです。」


 大学で研究された成果を一早く世間に公表して研究費を得る手段として企業と手を組むケースがある。企業としても、大学で研究されている成果を商品化することで利益を上げられるのだ。

 ただし、企業と学校で立場が違う以上は単純に「足並みを揃えて仲良く」とはいかないことが多い。

 成功すれば大きな価値を生み出すことにはなるのだが、先生とサラリーマンは根本的な部分で存在意義が違う。評価される基準が違うのだからお互い慎重に探り合うしかない。


「まぁ、分かってるとは思うけど気を付けろよ。」


「はい、大丈夫ですよ。会社の承認が得られなければ話を進めることは出来ないと何度も言ってありますから。」


「場合によっては書面でも交わしておかないとな。……相手が勝手に乗り気で説明してるだけでも、決裂した後で『話が違う』って揉めることもあるからな。」


「経験者の言葉ですね?」


「……あぁ、そうだ。」


 そういった感覚も企業と教育機関の違いかもしれない。失敗して成長するとは言われているが、失敗しないで成長出来るのなら助言も有効であると結城は考えている。

 一度は痛い目を見ないと本当の失敗を理解出来ない等と言う上司もいたが、その考えは上司の自己満足でしかない。失敗した時の苦労も情報共有出来なのであれば、それは上司の職務怠慢だと考えていた。


「教授の態度に注意しておきますけど、書面でのやり取りが必要になったら、お力を貸してもらえると嬉しいです。」


「いいよ。先にデータを送っておく。……でも、どんな研究内容なんだ?」


「うーん、まだ詳しくは分からないんですけど、電気信号で伸縮する素材です。試作品は何度か見せてもらったんですけど、汎用性があるのか……。」


「汎用性はあるだろうけど、俺たちの部署で使える物かが問題だな。」


「そうですね。乾が話を聞いておいてくれれば、他の部署にも情報を流せるとは思います。」


 他所からの情報に頼って開発費を抑えるのだが、野上の仕事は徒労に終わることも多い。それでも粘り強く交渉を続けることで、協力を得られるように話を進めなければならない。


「そうだな。期待して報告を待つことにするよ。」


 いつでも笑顔で返事を返してくれる野上を応援した気持ちになる。下を向かない野上の性格が、このチームの雰囲気を明るくしてくれていると結城は考えていた。

 前向きな明るさは才能であり、社会人になってから身につけることは難しい。



 そんなやり取りの後、ロックが解除される音が鳴りドアが開いた。部屋に入ってきたのは風見だった。


「おはようございます。」


 結城と野上は同時に挨拶をする。


「おはよう、お疲れ様。」


 いつもと変わらない抑揚の少ない挨拶が戻ってくる。居酒屋会議の時に能弁に語ってくれた様子とは違って見える。

 風見のことを知らない人であれば不機嫌と受け止められかねない口調である。野上とは全く別のタイプの雰囲気ではあり、職場はバランスだと強く考えさせられた。


 部署が変わってしばらくの間、四人は常に機嫌の良くない上司として共通の認識を持っていた。しかしながら、彼には機嫌が悪い時など存在せず、いつでもフラットな状態で接してくれていた。


 組織に組み込まれた人間は大なり小なり顔色を窺うことをする。得手不得手の個人差があるとは思われるが処世術の基本として誰もがやっている。

 だが、風見と接していると処世術などは無意味で愚かしいことと感じるようになってしまう。


「相変わらず覇気がないですね。チームは順調なんですから、もっと盛り上げてくださいよ。」


 野上の発言である。

 上司に向けての言葉にしては不適切に思えるが、これも現在の日常となっていた。


「……覇気はあるんだ。月曜日の朝から、覇気の無駄遣いをしたくないだけだよ。一週間もたなせないとダメだろ。」


「ハハハ、なんですか?覇気の無駄遣いって。」


 最初は相容れない二人のように感じていたが、今は色々な人格が集まることの重要性を理解させてくれる。


 そんな会話をしていると電話が鳴った。ディスプレイの表示では内線らしい。

 野上が近くの電話に駆け寄り、受話器を取って応答した。


「はい、風鈴チームの野上です。」


 受話器越しでは相手の声まで聞き取れない。

 だが、次第に沈んだ表情で小声になっていく野上を見ていると、誰かに怒られている状況が読み解けた。

 ゴメン、すぐ行く――と、返答して力なく受話器を置いた。


 野上は慌てて身支度を整え始めていた。残された二人も敢えて声を掛けることはしなかった。


「乾が駐車場で待ってるみたいなんで、行ってきます。」


 残す言葉も少なく、野上は急いで部屋を出ようとする。


「あっ、戻り予定は何時にしておく?」


 部屋を出る直前の野上に結城が声をかけた。

 この情報だけは聞いておかないと、緊急時に確認の連絡をしなければいけなくなるのだ。


「とりあえず、18時の戻り予定でお願いします!」


 閉まりかけたドアから聞こえてきた。

 

 二人の予想では待ち合わせ場所の指示をしたのが野上だと考えている。その指示に従っていた乾が駐車場で待たされている理不尽な光景を思い浮かべていた。

 最終的に怒られる展開にはなっているのだが、完全に忘れていた野上が自業自得である。

 

 結城はホワイトボードに野上と乾の帰社予定時間を書き込もうと考えて、自席に鞄を置いた。

 だが、彼が見たホワイトボードには二人の行動予定は既に書き込まれた後だった。


 ホワイトボードを眺めて立っていた結城の後ろで、


「なんだ、乾は部屋まで来て書いて行ったのか?結構長く野上が来るのを駐車場で待ってたんだろうな。」


 風見が静かに語り掛けてきた。


 怒っているとか呆れているとかの感情は込められておらず、単純に事実確認をしただけの抑揚のない話し方である。


「そうですね、乾も、もっと早く連絡すればいいのに……。警備員室まで内線借りに行くのが面倒だったのかもしれないですね。」


 駐車場から内線連絡できる一番近い場所は守衛室である。


 社内では、携帯電話を使用できる場所が限定されている。持ち込み自体は禁止されてはいないのだが不用意に手にする姿を見られるのも好ましくはない。

 これも情報漏洩防止の一環とされるが、面倒なことが増えるだけで、あまり効果的ではないと噂されており社内の評判は悪い。

 スマホのカメラが高機能になっているため撮影機器としての危険性を考慮しているらしいが、現代でスマホだけを警戒している規則に進歩を感じられない。


 それでも、チーム内の連絡ですら順守する乾には好感を持っているし、信頼を持って仕事を共にすることができる。


 野上が退室した数分後に日高が部屋に入ってきてメンバー全員が始業となった。

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