第7話

 なんとなく昔を思い出しながら結城は語り始めた。 


「……俺、子供の頃に母親から言われたことがあるんだ。悪いことをしたら『ゴメンなさい』を言いなさいって。『ゴメンなさい』を言わずにいると、善悪の判断が出来ない人間になるって。……大人になると、そんなことが意外に難しいんですよね。でも、謝らずに誤魔化していると、自分を正当化し始めるんです。」


 彼の話を皆は黙って聞いてくれていた。


「……だから、善悪の境界線がズレないように、悪いことだと思ったら謝るようにはしてたんです。でも、大人になると、その境界線自体が曖昧になっていて……。」


 そこから先の内容を上手く表現する言葉が見つからない。

 

「……正しい人間ではありたいと思っているけど、社会の中では正しい大人と相反する選択をしないとダメな時も多くなっていって困るんだ。」


 成長する過程で、善悪の境界線は変わったのかもしれないが、その事実を認めたくない葛藤が生まれてしまうのだ。

 結城が続きを語ることが出来なくなって、彼らの周囲だけ静寂に包まれた錯覚に陥る。


「……優しいお母さんだね……。」


 風見が掛けてくれたくれた言葉が結城には嬉しかった。



 今日の会議で議論された内容が今後の業務に活かされる日は来ないかもしれないが、有意義な時間として共有出来ているのであれば価値はあったはずだった。


 一応の成功を収めて、第十回居酒屋会議はお開きとなった。



 土曜日、結城は昼近くに目覚めた。


 金曜日の夜、家に戻ってからも居酒屋会議で話したことを思案してしまい中々眠れずに過ごしてしまった。


 ベットに寝転んでいたのからもスマホで気になる事件のニュース記事を読んだ。

 結果は日高の考えを後押しするだけの内容ばかりであり、結城自身も過激な意見を発信したい気分になる。

 そして、中途半端に高揚した感覚のまま眠りについた。


 個人の発言で与える影響などは高が知れている。例え、その考えに同調してくれる存在があったとしても一過性のものでしかない。

 それでも思考を止めて全てを諦めるのは何かが違うように結城は思い悩んだ。



 昼食となってしまった朝食を簡単に済ませてしまい、彼はパソコンを起動した。結論の無い問題を考察するのは体力と精神力を消耗するので、野上の話題を検証してみたくなっている。


 会員になっているサイトで過去に放映された〇〇ライダーが配信されていないかを探してみることにした。

 現代版も視聴する予定ではいたのだが、復習から始めることで徐々に慣らすことにした。


 初期をリアルタイムで視聴していた世代でもないのだが、原点である初代から検証してみることにしたのだが再生しようとした瞬間にインターホンが鳴った。モニターには結城の五歳下の妹が映し出されている。


 彼女は数年前に結婚しており、あと三ヶ月程で母親になる予定だった。

 旦那となった相手の都合で、偶然にも兄妹が近所住まいとなっており、身重になった今も定期的に偵察しにやって来る。


 偵察の目的は、三十を超えている兄に結婚相手の影がないかを突撃訪問して確認するためなので、原則はアポなし。


 しかし、玄関のドアを開けた瞬間に妹は目的を遂げてしまう。毎回、パジャマ姿でボサボサ頭の兄を見ることで期待する展開から隔絶された生活を送っていることが明らかになるからだ。



 彼女は失望の色を濃くした表情を見せながら、決まり文句を告げて部屋に上がり込んでくる。


「……お母さん、心配してるよ。」


 今日の夜には偵察を指示している黒幕への報告が正確に為されるのだろう。


「もうすぐ初孫を見れるから、俺への心配なんて忘れるさ。」


「母親としてダブルの喜びが欲しいんだって。」


 兄からの反論は予想済みであり、初孫と結婚の幸せを同時に味合わいたい願望としてプレッシャーを与えてくる。

 おそらくは、彼が何を言っても対応可能なように母娘の模擬訓練は綿密に実施されているのだから無駄な足掻きはしないようにしている。


「まぁ、適当に報告しといてよ。前にも言ったように部署替えがあったから仕事が安定するまでは色々と難しいんだ。」


「デキル男は仕事を言い訳にしないんだって。」


 この言葉も母と妹から何度も聞かされている。

 確かに公私でバランス良く生活することが重要だと結城本人も分かってはいるが、不器用な男には意外に難しい。


 ただし、人間は図星を突かれると反発する生き物だという現実を母娘ともに理解する必要がある。

 改善を求めたい相手には、核心を突くことなくジワジワと追い込む方が効果的であり、いきなり核心を突いてしまうことで早々に交渉は決裂する。



「それに休みの日に、こんなモノ見る余裕あるんじゃない。」


 妹は画面に映ったまま停止状態になっている「仮面ライダー」の映像を見ていた。


「……こんなモノって失礼だな。これも仕事の一環、と言うか……必要な情報なんだよ。」


「えっ、何!?お兄ちゃん、転職したの?」


「転職じゃなくて、転属だよ。昨日の社内会議で少しこれについて議論されたんだ。」


 結城の言葉に嘘は皆無である。余計な情報を排除して説明するのであれば真実なのだ。


「仮面ライダーの議論をするの?どんな仕事よ?」


「……社外秘だよ。」


 この言葉にも嘘は無い。

 会議で議論された内容は社外に漏らすことは基本的に禁止事項とされている。それは家族の間であっても同じことだ。

 ただし、居酒屋会議で毎回語られている内容は「社外秘」と程遠い場所に存在しているのだが解釈の相違とした。


「……で、再生しないの?」


 当初の目的もそこそこにして、妹の関心は画面の中にる「ヒーロー」へ転移していたのである。自分用のコーヒーを準備して視聴体勢を整えていた。

 彼としては有難い展開になってくれたのだが、独りでコッソリと視聴してしまう目論見は崩れ去ってしまう。


 主題歌や予告などを端折りながら、何話か見続けた。

 妹はスマホで検索した情報を随所で伝えてくれているが、そこに彼女なりの感想も織り交ぜてあった。

 

「敵は、第二次世界大戦で生き残ったドイツ軍の残党が組織したものみたい。……軍団員は人体実験で作られて国際的な活動をしていたんだって。」


「……子供向けにしては、結構ハードな設定だな。」


「それだけの組織なのに、仮面ライダーに苦戦するなんて指導者が無能なのよ。たった一人に勝てない指導者が世界征服なんて絶対ムリだと思うわ。」


 敵は基本的にタイマン勝負で挑んできてくれている。雑魚キャラが複数人いたとしても、メインの怪人クラスは一体でグループを構成して対戦してくれるのだ。

 もちろん、話数によって差異はあるのだろうが、見ている話での構成は同じだった。


「でも、それだけの組織を作れるってことは、かなり有能なんじゃないのか?」


「そうなんだろうけど。ちゃんとした指示を出して、怪人が大勢で仮面ライダーを袋叩きにすれば楽勝じゃない?」


 物騒な妹だ。と結城は新たな一面を発見していた。


 母と妹はテレビ番組にもブツブツと話しかけながら見るタイプだった。父と彼が黙って見るタイプだったので家庭内はバランスが取れていたのかもしれない。

 ただし、母や妹が語り掛けている内容に気を取られてしまい、放送内容に集中できなくなることは多かった。

 結果として記憶に残るのは母娘の無駄話ばかりになっていた。


「物騒じゃなくて当然の判断だと思うよ。きっとね、必死さが足りてないんだよ。」


「指示する上司が無能だったとしても、戦ってる怪人は必死だろ?命懸けなんだから。」


 結城は、無意識に「上司」という言葉を選択してしまう。

 こういう時に仕事人としての言葉で反応してしまうのが、公私の切替えができずダメなのかもしれない。

 万事、仕事に結びつけていることで、本当に結婚できない理由で居直るようになる。彼は自身の言葉で思案は始めて勝手にダメージを受けていた。


「アハハ、『上司』って……。怪人も月給制とかで働いてるのかな?でも、たぶんブラック企業だね。」


「世界征服を目指している時点でブラック企業だろ。」


「どうして世界征服しようとしてるだけでブラック企業になるの?」


「当り前だろ、企業の存在意義が悪いことなんだから。」


「何で?世界征服って悪いことなの?」


「……えっ!?」


「えっ?」


 結城は、その点について議論の余地など無いと考えていた。


 しかし、根本的に考えると怪人側からすれば「世界征服」は「正義」だった。自分たちの「正義」のために日夜励んでいることになる。

 全て視点を変えれば、主人公側が「正義」となり、主人公に敵対するのが「悪」になってしまう。

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