第5話
そして、少しだけ渋い表情をした風見が問いかける。
「随分と極端な方向になっているけど、民意って言葉を意識し過ぎることは危険なんじゃないのか?」
「もちろん危険だと思います。でも、裁判の結果に関してだけ言えば民意との差が大きすぎて落胆するだけですよね?」
「……与えられる罰が軽い、ってことか?」
日高は力強く、「ハイ」と力強く頷いて、
「人間が客観的に物事を判断できると風見さんは思えますか?先入観を全く持たず分析して、保身を考えず判決を言い渡す。そんなことが可能な人間が存在すると思えますか?」
日高の熱はビールで冷ましきれなくなっている。
「確かに、そんなことが可能なのは機械でしかないかもしれない。」
結局、風見も同意するしかなかった。最初から積極的に否定するつもりもなかったのだろう。
「刑の上限を決めてから裁判を開始している段階で、裁判する意味を半減させているんですよ。」
日高が呟いた言葉も結城は聞き逃すことはなかった。
「……裁判所では、罪人の減刑作業をしているだけなのか?」
「有罪になることが確定しているような裁判であれば、そうだと思っています。」
この話題に全員が興味を持ってしまっていた。
誰も直接的に関わりがある内容ではなかったが、気付かないうちに不満があったのだろう。日高が呼び起こした。
「でも、司法制度への導入を検討するには、かなり厳しいよな。法律そのものまで変える必要があるんじゃないか?」
結城は、熱くなっている雰囲気を落ち着けるため現実的な話に流れを変えてみた。
「……いえ、あくまで可能性の話です。民間業種ばかりじゃなくて、聖域なく導入を検討する必要はあるんじゃないですか?費用対効果を考えるのであれば対象から外すのはダメだと思うんです。」
「人工知能が人を裁くことで費用対効果は見込めるのか?」
この結城の問いに対して日高は首を横に振った。
「いえ、人工知能が裁くのは罪ですね。」
急に哲学的な表現になっていた。裁くのは「人」ではなく「罪」であると、時代劇の台詞のようである。
「今みたいに罪が細分化されていて刑期が区分されている状況なら、AIの方が適切に処理できると思うんです。逆に、罪の区分が細かくなり過ぎていることで人間が追いつけないんです。」
日高が補足説明してくれたのだが、即座に理解するのは困難だった。
「罪の細分化って、どういうこと?」
と、結城は質問をする。
「例えば『いじめ』って言うじゃないですか……そこに明らかな暴力が含まれていても子供同士のトラブルってことで対応しようとしますよね。大人なら暴行罪になるのに……。『虐待』も同じですよ。結城さんは、明確な違いって説明出来ますか?」
「いや、本来は違いなんてないだろ。被害を受けた側からしたら、同じことだと思うし……。」
「そうなんですよ。年齢や関係性が違うだけで区別して考えなければならないんです。根本は同じ罪なのに懲役何年とか罰金いくらとか罰の上限に差があるんです。」
再び日高は熱くなってきている。普段の落ち着いた様子からは想像し難い姿だった。
「殺人を犯しても、殺した相手の人数で判断が変わってしまうんですよ。殺された側は自分の命以外のことなんて知らないのに、納得できると思いますか?」
日高の言葉に反応したのは、乾であった。
「永山基準ですよね?被害者の人数で死刑回避の可能性が変わるやつ…。過去の判例が基準にされるだけなんて耐えられないですよね。」
この反応を聞く限り、乾も日高へ同調している。
そして、付け加えるように風見が続いた。
「過去の判例と照合するだけの作業なら機械の方が圧倒的に早いか。予め罪状と刑期だけ入力しておけば問題ないな。……でも、弁護についてはどうするんだ?」
「弁護士が情状酌量のポイントを入力しておくんですよ。そのデータを基にして減点方式で処理すれば出来るはずです。」
「この罪であれば最高刑は懲役10年です。弁護士からのデータで算出した減刑は2年です。だから懲役8年です。……みたいな感じか?」
日高の提示した考えに風見が瞬時に例えを出す。まるで会話の前に打合せでも済ませていたかのようである。
日高の様子を見ていると、この意見を披露出来る機会を窺っていたようにも考えられていた。
「物証だけで不十分な場合、人間の記憶を頼りにした証言なんかも加わるんです。その証言を人間が判断するんです。」
日高の話は止まらない。一呼吸置いて更に続けた。
「裁判官は、それら全てに私情を挟むことなく客観的に判断していると言い張る。でも、公平性を保つために三審制を導入しているんですよ?……これって大きな矛盾なんじゃないですか?間違える可能性を考慮しているから三審制が必要なんですよね。」
結城からも自然と言葉が漏れてしまう。
「人が人を裁く時、無感情に実行できるわけないよな。出来るわけないと分かっているから三審制の導入は必要不可欠だ。……最初から人間では無理があると分かっているなら、AI導入の検討は無意味なことではない。ってところか。」
「そう思うんです。AIであれば判決が変わることなんてないので裁判は一回で終了です。」
日高は結城の言葉に満足した様子で答えた。
「でも、冤罪が怖いよな。」
これは野上からの言葉だった。彼の性格上、裁かれることだけが前提で話をするのは気が咎めたのだろう。
「『疑わしきは罰せず』の原理さえ組み込んでおけば大丈夫だよ。それが原則でもあるはずだし。」
質問に答えを出すまでの時間は短い。
「確実に犯人だという証拠が必要なのか……。警察は忙しくなるのかな?……でも、当たり前のことだよな。」
野上は自問自答するかのように腕を組んで考え始めた。
結城は新聞やネットニュースで「何で?』」考えたことを思い出していた。自分に無関係な事件の記事を読んで涙を流したこともある。
殺された人が生きられたはずの時間よりも短い刑で罰は終わるのだから納得など出来るはずもない。
明らかに運転するべきでない人の事故も「過失」で表現されていることがある。暴力の結果、命を奪われることになっても「いじめ」や「虐待」等に言葉をすり替えられる。
「正義」が曖昧では困るのだ。
「日本語は一つのものを表現するにも様々な言葉があって、俳句や短歌みたいに素晴らしい文化を生み出してきた根幹だと思っている。でも、犯罪に関しては表現方法を変える必要はなくて、誤魔化す手段として使っちゃダメなんだよな。」
結城は静かに話し始めたが、これ以上踏み込むことにも躊躇いはあった。
「どんな事件のニュースを見聞きしても、被害者への感情移入が先にあるんだ。もし、自分の身近な人が被害者であったら冷静な対応など出来はずないと考えてるんだ。」
結城以外の四人は黙って聞いてくれている。
「だからかな、冷静に対応できると言い切れる人間を信用したくはないとも思えたんだよ。……それならAIで裁判を完結した方が割り切れるのかもな。」
そこまで聞いて、風見が続いた。
「入社した時に『人間の限界を理解して、それを補うための製品を生み出す必要がある』って説明を受けてきたと思うんだ。その時は人間の能力の限界って考えてたんだけど、心情的な限界もあるかもしれないね。」
考え始めれば深みに嵌ってしまいそうな話になっている。だが、議論することには意味があったと信じたいのだ。
少なくとも話をしている間のリアクションを見ていれば、5人の価値観は近いものだと判断出来ていた。
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