第3話
「それでは居酒屋会議を始めたいと思います。今回は記念すべき第十回目となりますので、チームリーダーの風見課長から一言賜りたいと思います。」
真面目に進行する必要はないことを分かっていながら、乾純一はわざとらしく格式ばった言葉を遣って雰囲気作りをした。
「いいよ、そんなの……。一言なんてないから。始めよっ、始めよっ。」
責任者としての役割があるにもかかわらず、風見は面倒くさそうな態度を露わにした。改まった雰囲気が苦手な彼の反応は全員が予想した通りであるので乾もそれ以上の要求はしない。
「……それでは、定例の居酒屋会議を始めたいと思います。準備は整いましたか?」
乾は、皆がジョッキを持つための間を作った後で、
「よろしくお願いします。」
の発声をきっかけにして会議は始まる。
便宜上、「会議」と銘打ってはいるので「乾杯」音頭のスタートは禁止事項としており、最低限の体裁を取り繕わせている。
この居酒屋会議はチームが編成されてから月に一回程度の頻度で開催されている。
乾の「同じプロジェクトを進めるメンバーなので、全員が意見交換出来る時間を作ってもらいたい。」の言葉で始められたのだが、このスタイルは本意で無いのかもしれない。
関係部署の調整担当である乾純一は五人の中で一番の若手ではあるが、積極的に意見を発信して行動力もあり新しい情報をもたらしてくれる存在だ。
第一回目の居酒屋会議はぎこちない空気が漂い、お互いの探り合いの色が濃かった。回を追うごとに、業務の進捗が順調だったことも手伝ってくれて、会の雰囲気はしだいに良好なものになっていった。
喫茶店で風見と結城が話し合ってから数日が経過しての週末の開催であり、結城は風見の言葉を受けて注意深く周囲の観察してはみたが、特に問題に感じることもなく平和な時間が過ぎていた。
週末の店内は仕事終わりに酒宴を純粋に楽しんでいる人たちで賑わっている。
「やっぱり、仕事が順調だと、酒も美味しいよな。」
「お前に、酒が不味く感じるときがあるのか?」
「ないけど、よりおいしく感じるってことだよ。」
日高和志と野上優斗、同期二人の掛け合いであった。
乾が求めたスタイルと違ってしまったかもしれないが、この二人の緩い雰囲気が居酒屋会議の正しい在り方になってしまっている。
商品開発担当の日高は、物事に関心を示すことが少なく淡泊な印象があるが、野上は何事にも好奇心を隠すことなく笑顔で対応する。
対照的な二人ではあるのだが、お互いを敵視するようなことはない。同期ならではのギスギスした空気感もなく適度な距離感を保っているように感じられた。
チームとしては、責任者の風見以下、結城、日高、野上、乾となっている。
この居酒屋会議の実施に関しては全員参加が唯一の条件とされていたが、これまでにキャンセルされたのは病欠者が出た一回だけに止まっていた。五人全員、業務が忙しい時でも優先してスケジュールを空けられるように調整しているらしい。
会議としてのテーマは持ち回りで担当して決めているが、まともに議論されたことはなかった。回を重ねる内に誰もがその事実には気付いていた。
それでも、自分がテーマ担当となった時は、もしかしたら議論されるかもしれない――と心配になり、時間を掛けて考えることになるのだ。
期せずして始められた「居酒屋会議」ではあったが、ストレスを発散の場として最適に働いてくれたのかもしれない。また、風見や結城の立場からしても全員が顔を合わせる貴重な時間として有用な場となってきている。
十回目の節目であったとしても、普段の雰囲気と変わらない時間が流れていた。
しばらくは雑談が続いたのだが、日高が全員に向けて言葉を発した。
「今更ながらで聞きたいんですけど、俺たちのチーム名が『風鈴』なのって、意味があるんですか?」
本当に、今更な質問だよな――と、他のメンバーも思いはしていたのだが、改めて聞かれてみると確かに気になる事案ではあった。
中途半端な時期に突然の異動で集められたため、業務を開始する準備に追われてしまった。そのため、チーム名に関しては誰も気に留める余裕などはなかったのだ。
不思議なチーム名としての認識はあったのだが、どのタイミングで決まっていたのかも分からない。
「……と言うか、誰が決めた名前なんですか?」
野上が、キョロキョロと全員を見回しながら聞いた。
「俺が決めたんだけど……。ダメ、かな?」
飲みかけのビールジョッキをテーブルに戻しながら、風見が静かに答えた。
状況からして責任者である風見が決めていたことは当然のことなのだが、風見本人の口から聞かされたことで他の四人は一様に驚いた。
社内には他に幾つものプロジェクトが存在して、それぞれのチーム名の下で稼働している。だが、漢字表記だけのチーム名は「風鈴」だけしか存在していない。
「正直、最初はあまり好きじゃなかったですけど……。今は、結構気に入ってますよ。単純に、何でかなって?」
風見が名付け親と判明した後でも、日高の言葉には遠慮がなかった。
風見が深く考えて名前を付けたとは考えられなかったので、「偶々近くにあった」や「風鈴が鳴る音が聞こえてきた」等の理由だと予想していた。
だが、その予想は大きく外れることになる。
「……まぁ、それならいいけど。福祉とか介護とかって、携わる人は激務だろ。俺たちが世の中に出せる物が、どれだけの役に立つかなんて分からないけど、少しでも助けになれば良いなって思ったんだ……。夏の暑い日でも、風鈴の音色が涼しげな気分にしてくれるだろ。仕事でも家庭でも介護とかで大変な毎日に、少しでも癒しの気分を感じてもらえたらって考えてたんだ……。」
珍しく風見が雄弁に言葉を連ねる。
「会社からの指示とは言え、せっかく与えられた機会を無意味なものにしたくなかったんだ。安くて良い物を提供出来るようになれば気持ちを楽にしてあげられるかなって……。」
四人が風見の言葉に聞き入っていた。
「そうは言っても、俺たちの仕事は機能を追加して付加価値を付けて高価なものにするんだから矛盾しているよな。」
こんなにも長く語る風見は初めてだった。普段語られることがなかった想いを聞ける機会を誰も邪魔することはしなかった。
「国からの支援制度もあるみたいだけど、誰でも簡単に使える物ではないからね。……会社の中では経済システムに組み込まれて利益を追求しないと継続出来ないし、難しい問題だとは思うんだ……。」
企業に勤める一個人に、社会貢献だけを目的にする仕事を遂行することは不可能に近い。例え、経営者側の立場に変わったとしても同じことではある。
社会生活を円滑に営むためには、理想だけを追いかけることは不可能であり、バランスは必要なのだ。そのバランス調整が出来ない人間は心を壊してしまう危険もある。
「……でも、風鈴で本当に涼しくなることなんて出来ないですよね?」
風見の話が途切れた瞬間に日高が質問を投げかけた。
「ん、そうかな?風鈴が鳴るためには風が吹いていないとダメだろ。僅かな風でも涼し気な音が心理的に増幅させていると考えれば、ちゃんと効果はあると思う。日高は違うのか?」
「……心理的に増幅、ですか?」
「どんなに便利なものでも、その人にとって意味がなければいけないんだ。『風鈴』くらいに簡素な道具でも、涼しさを求めている人にとっては機能しているんだ。」
風見が込めた想いを皆が聞いている。結城は同時に、風見が慕われている理由の一端を垣間見た気がしていた。
「だから、ちゃんと使う人にとって心理的にも働きかけるものを作れるチームにしたくて、この名前にしたんだよ。」
少しの沈黙の後、野上がポツリと呟いた。
「……そんな理由があったんですね。……聞けて良かったです。」
その言葉を聞いた途端、風見は急に恥ずかしくなり慌ててジョッキに残ったビールを流し込んだ。まだ酔うほどの量を飲んでいないはずなのだが、風見の顔が赤らんで見える。
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