第8話 王女さまの猫3
王女は続ける。
「いつも決まって、わたくしが眠ろうとすると、チェチェがさわぐのです。霊はそのあと現れます」
「霊の姿を見ましたか?」
「いいえ。窓の外に立っているようです。怖くてのぞくことができません」
それはまあ、女ならそうだ。
つくづく見てみたいが、さすがに王女の部屋にワレスが泊まりこむわけにはいくまい。
「霊はほかに何か言いましたか?」
「とくには……いえ、あの……なんでもありませんわ」
思いっきり、なんでもありそうだ。しかし、言いたくないに違いない。公爵やジョスリーヌに聞かれたくないのかもしれない。
「ねえ、ワレス」と、ジョスリーヌはワクワクした目つきで言いだす。
「猫がさわぐのはなぜかしら?」
「猫には人に見えないものが見えると古来より言うからな」
だから霊を見ているだなんて思ってはいないが、猫が人には察知できない何かを感じとっている可能性はある。
「やはり、その部屋を見てみたいものだ。できれば、霊が出るという時間に」
「では、と言いだしたのは、ラ・ヴァン公爵だ。
「今夜、泊まっていってはどうだね? そして、王女には別室で休んでもらおう」
幽霊が出る部屋にワレスを寝かすかわりに、王女は寝室を移すわけだ。しかし、幽霊がほんとに出るというのなら、それは部屋ではなく、王女に会いに来ているのではないだろうか?
まあ、試してみる価値はある。
「わかりました。では、お願いします」
なんだかジョスリーヌは急に青い顔になった。さっきの勢いはどこへやら。幽霊が出る部屋にいっしょに泊まるかどうか迷っているらしい。
「ジョス。あなたは帰れば? 怖いんだろ?」
「……でも」
「心配ないよ。おれはオバケなんかに負けないから」
「…………」
ジョスリーヌはそういう心配をしているわけではない。しかし、さすがのワレスでも、王女には手を出さないだろうと信じたようだ。
「また明日来るわね。ワレス。いい子にしてるのよ? おイタをしてはダメ」
「わかってる」
ジョスリーヌが帰っていくのを見送り、公爵邸に一人宿泊する。
問題の王女が寝室に使っている部屋は、何から何まで最上級だ。調度品も装飾も美しい。壁や天井にフラスコ画が描かれ、その周囲を黄金細工が額縁のように包んでいる。ルビーやエメラルドも埋めこまれていた。
ジョスリーヌの寝室で贅沢はなれているつもりだったが、これはスゴイ。
「素晴らしい部屋だ」
ワレスがつぶやくと、ついてきたラ・ヴァン公爵が手ずから燭台に火を移しながらこたえる。
「皇帝陛下もお泊まりになったことがあるからな。私の寝室より豪華だ」
「そんな格式高い部屋に、おれみたいなジゴロが泊まらせてもらえるなんて光栄ですよ」
「なんなら、私も亡霊の正体をここで見届けよう」
「…………」
絶対、下心がある!
「いえ。けっこう。公爵のお手をわずらわせる必要はない」
「つれないところも可愛らしい」
「あなたが公爵でなければ、グーでなぐってやるのに」
公爵は白い歯を見せて笑い、窓の下を見おろす。
「この下はファデリアさまと、アーティの客室だな」
ワレスはその言葉を聞きとがめた。
「ちょっと待ってください。そのお二人はいずれも王女の婚約者候補じゃないですか?」
「そうとも」
「今、この屋敷に泊まっているんですか?」
「ああ。婚約前にぬけがけがないよう、見張りということだろうな。私が貴婦人にそんな卑怯なふるまいをするはずもないのに」
婚約者候補の三人が一つの邸宅に集まっている。そうなると話が変わってくる。きなくさい匂いがプンプンだ。
「この真下ですか?」
ワレスも階下をのぞいてみる。ちなみに
「うむ。一階のとなりあった客間がお二人の部屋だな」
「幽霊が出るのなら、彼らは気づいていないのだろうか?」
「さあ、どうであろう。ちょくせつ聞いてみるかね?」
「ぜひ」
だが、今夜はもう時間が遅い。たいていの人は就寝するころだ。明日、二人に会わせてもらうことになった。
最高級の酒をくみかわしながら亡霊を待とうという公爵をなんとか追いだし、ワレスは四つの支柱の
ほんとに亡霊は現れるのだろうか?
それにしても布団も最上級だ。高品質の羽毛がたっぷりつまっている。雲のなかによこたわっている気分だ。
マズイ。このままだと、ほんとに眠ってしまう。
そう思って、ベッドから起きあがったときだ。どこからかニャアニャアと、猫の鳴き声が聞こえた。
(王女の猫か?)
王女は今晩、二階の客室に移動した。少し離れたところから、猫の声はする。
ワレスは寝台をすべりおりると、燭台の火を吹きけした。寝室が真っ暗になる。窓辺によって、カーテンのかげから、そっと下を見おろした。
たしかに男が立っている。
真上から見ているので身長もわからない。月明かりで全体のシルエットが見えるばかりだ。
「アンネマリー姫。エニティです。いつまでも迷っているのはよくないことだと思います。だが、あなたには幸せになってもらいたい。どうか、後悔のない選択をなされますように」
亡霊? いや、違う。
生きている男だ。
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