第8話 王女さまの猫2
夜会の席はさわがしい。人の耳もあるので内密な話ができない。
ラ・ヴァン公爵に誘われて、ワレスは別室につれだされた。もちろん、ジョスリーヌも同席だ。じゃないと恐ろしくて、二人きりになんてなれない。
こぢんまりとしているが、内装のひじょうに凝った客室だ。おそらく
やがて、公爵は王女をつれて帰ってきた。
「こちらがグラノアからお越しのアンネマリー姫だ。グラノア王の第一子であらせられる」
公爵が言うので、ワレスは王女の前にひざまずいた。平民なのでいちおう立場をわきまえて、無言のまま、白い指にキスをする。そもそも、本来ならジョスリーヌや公爵ともちょくせつ言葉をかわすことをゆるされない身分だ。
公爵やジョスリーヌはニヤニヤ笑って、このようすをながめている。ワレスが借りてきた猫のように神妙な態度だと思っているのだろう。
「ワレス。私がゆるす。王女と声をかわすことを許可しよう。いつもどおりの君でいなさい」
「おや。これでも公爵閣下に対しては、ずいぶん
「ではもっと、くだけてもかまわぬ。君にはそれだけの価値がある」
「それはどうも」
おゆるしが出たので、気兼ねなくテーブル席に戻り、足を組んですわる。王女さまは目を丸くしている。
きっと、ワレスが何者なのか、さっぱり見当がつかないせいだ。王宮育ちの王女さまには、ジゴロなんて人種は理解の
「姫君。私はワレス。ラ・ベル侯爵閣下のしもべです。まあ、そんなようなもの。不作法はおゆるしください。そのほうが話が早いので。ところで、夜な夜なエニティさまの霊に悩まされておいでだそうですね」
近くで見ると、アンネマリー姫の瞳は若草色だ。ルーシサスと同じ色の瞳。ユイラ人の女性にくらべれば大柄だが、その瞳の色には魔法の力がある。ワレスにだけ、特別に作用する魔法だ。
この人は、なぜ、こんなにも悲しげな目をしているのだろう?
「亡霊と言ってよいのでしょうか。毎夜、眠りにつくころに声が聞こえるのです」
「声、ですか?」
「はい。『私はエニティです』と」
「幽霊ね」
ワレスは霊的な存在を信じていない。ついでに言えば、神も信じていない。それは同時代の人間たちのなかでは、きめて異端な思想だ。が、これまでの人生のなかで、何度も神に祈ったがムダだった。それはワレスが不信心だからというより、たぶん、神はこの世にいないせいだろうと考えるにいたる。
だから、死んだ皇子の声が聞こえるというのなら、それは霊ではなく、別の理由があるはずだ。
「なるほど。そのときのようすをくわしく話していただけますか?」
「ええ。最初にその声を聞いたのは、一ヶ月くらい前でしたかしら」
「わりと最近ですね」
「そうなのです。だからこそ、おどろいているのです。いつものように、わたくしが床に入りますと、チェチェが窓辺でひどく鳴くのです。いつもはおとなしい猫だから不審に思っていると……声が聞こえたのですわ。『エニティです。あなたを残して申しわけない。あなたはご自身の幸せを一番に考えてください』と、そう言われました」
ワレスは考えこんだ。
「ちょっと待ってください。その声を聞いたものがほかにいますか?」
「いいえ。わたくしには祖国からつれてきた侍女が二人いますが、寝室はわかれているのです」
ラ・ヴァン公爵がうなずいているので、疑問に思う。
「失礼。今現在、姫君はどの屋敷で暮らしているのです? グラノア王家が皇都に有している館があるのですか?」
「それはあります。ですが、婚約者を決めるためもあるので、候補のそれぞれのかたの屋敷で数ヶ月ずつ暮らしてみるのですわ。今はラ・ヴァン公爵さまのお屋敷に泊まって、ひと月になります」
それにしても低姿勢な王女だ。立場は王族だが、国と国の力関係で言えば、ユイラのほうがはるかに上だ。
世界でもっとも文化的で栄えた国。それがユイラ。周囲の国々はみんなユイラの機嫌をうかがっている。
王女はやがて嫁ぐときのために、ユイラ人に逆らってはいけないと、幼いときから言い聞かせられて育ったに違いない。
「なるほど。ちょうど亡き皇子の声が聞こえるようになったころからですね」
「さようですわね」
公爵が自分との結婚を破談にしたくて、何かしでかしているのだろうか?
そう思って、公爵を凝視する。
じっと見つめていると、公爵は嬉しそうに微笑んだ。コイツもアイコンタクトが通じない人種かと思った。が、微笑みながら公爵は首をふる。察しはいい。少なくともジョスリーヌよりは数倍。
「私は何もしていない。ほんとうだ。誓ってもいい」
「ちょっと、公爵閣下。こちらへ」
公爵を壁ぎわへつれていって、コソコソとささやき声をかわす。
「あなたは王女との婚約をどう考えているのですか?」
「私はかまわんよ。美しくておとなしい妻。最高じゃないか。アンネマリー姫は教養もある。ユイラ語も
「……なるほどね」
公爵ほどの身分なら、いずれは形式だけにしろ結婚しなければならない。だとしたら、アンネマリー姫のように従順な女は、むしろ望むところというわけだ。
(ならば、誰かが公爵と王女の婚約を阻止しようとしているのかな?)
できることなら、その亡霊に会ってみたいものだ。
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