第四話 ジゴロと少女
第4話 ジゴロと少女1
そのとき、ワレスはたまたま、いつもの一人になりたい周期だった。
昼まで寝て、空腹をごまかせなくなったので外食をしようと出てきたところだ。
大きな通りをさけて歩いていると、石畳の上にボロ布が落ちていた。このあたりは外国人も多いし、貧乏人の住居がならんでいる。誰かがいらなくなったゴミをすてたのだと思った。
ワレスが無視してわきをすりぬけようとしたときだ。ゴミから手が出てきて足をつかんだ。
よく見ると、ゴミではなかった。子どもだ。ものすごく汚れた土色の服をまとい、髪もボサボサで毛玉になっているものの、いちおう人間だ。
まだ五つか六つだろうか?
やせこけて、顔色悪く、おそらく数日は何も食べていない。医者ではないが診断するとしたら、栄養失調。
「た……たすけ……」
かわいた声でつぶやいて、子どもは失神した。
嘘だろう? この汚い生き物をおれにどうしろと? こんなのつれ帰ったら、部屋じゅうが汚水の匂いに侵食されてしまう……。
すてていこう。
あとでジェイムズをつれてきて、あいつにめんどう見させればいい。この子どもだって、女に養われるしか生活のすべがないおれなんかにひろわれるより、そのほうがずっといい。
そう心に決めて歩き去ろうとするのだが、見あげたことに、子どもの手が足首に張りついて離れない。
もしかしたらワレスの足を足つきの鳥肉とでも勘違いしているのかもしれない。あるいは本能的に、ここでほどこしを逃すと、生きているうちには二度と食べ物にありつけないと悟っている。
ワレスはどうにかして小さな手をふりはらおうと足をひっぱった。が、やはりムリだ。いったいこのやせ細った体のどこに、これだけの力が残っているのだろう。それほどまでにして生きたいのか。
嘆息して、ワレスは子どもの襟首をつかむ。
「わかったから、もう手を離せ。すてないから」
ワレスが言うと、やっと手が離れた。気絶しているはずだが、もうろうとしているだけで、わずかに意識はあるのかもしれない。
しかし、ワレスが最初に子どもをつれていったのは、自宅ではない。さすがにこのまま寝室につれこむのは不衛生すぎる。
近くの噴水につれていった。ユイラは治安や公共設備のしっかりした国だ。下町にも下水道が行き渡り、四辻には噴水や水飲み場が一定間隔でもうけられている。
噴水へ行くと、子どもをそのまま服ごと水のなかにつからせようとした。洗濯をしている女たちが悲鳴をあげた。
「イヤだ。それ、子どもかい? どうする気?」
「洗うんだ」
「やめとくれよ。水が汚れるじゃないか」
「半日は水が使えなくなるよ」
口々に文句を言う。
世間のみなしごに対する態度なんて、こんなものだ。
「じゃあ、
「……はいよ」
女たちはまだ何か言いたそうだった。が、ワレスが上から顔をのぞきこむと素直に桶をさしだした。
「もう、あんまりいい男だから断れないじゃないか。おばさん、ドキドキしちまうよ」
「ありがとう」
桶ですくった水を頭からぶっかける。洗濯用の石鹸で服も髪もゴシゴシこすった。まあ、服はあとで着替えさせるつもりではあるが、とりあえず家に入れるまでに匂いをとりたい。
「おまえ、ノミはいないんだろうな?」
「うう……冷たい……」
もつれた髪をほぐすのに、かなり短く切らなければならなかった。毛玉のようになっていて、そうする以外どうしようもなかったのだ。
「いつから風呂に入ってないんだ? まったく、なんでおれがこんなことを……」
ブツブツ言いながら洗っていたが、泥まみれ、あかまみれだった顔が白くなると、なかなか可愛い顔立ちをしていた。最初、ゴボウか山芋のようだった髪も、キレイに散髪すると明るい色のブラウンだ。巻毛だから手入れしないともつれるのだ。
なんだか、小汚い子どもを見ていると、ちょうどそのくらいの年だったころの自分を思いだす。ワレスも七つから孤児として放浪していた。
一人で各地を転々としながら、草を食べたり、ウサギをつかまえて自分でさばいたり、人の家の庭木から実をもいだり、市場のパンを盗んだりした。人に言えないこともいろいろあった。
でも、今、自分が生きているのは、そのころ、みなしごのワレスをひろってくれた人たちがいたからだ。
とりあえず少しはマシになったので、ワレスは子どもをマントにくるんで小脇にかかえていった。自宅に食べ物は置いていない。ぬれたままだが、ユイラは常春の温暖な国だ。歩いているうちにかわくだろう。
途中で子どもが目をさました。洗濯しているときに、いくらか水が口に入ったらしい。意識がハッキリしている。
「あ、あんた、誰? は、離せよ」
「おまえがおれの足をつかんで離さなかったんだろうが」
「し、知らないよ。離せよ。お、おれをどうする気だ? み、見世物小屋に売っても大した金にならないぞ」
ワレスは笑った。
同時にちょっとばかり
ユイラは治安の高い国ではある。しかし、子どもが一人で街をさまよっていれば、人さらいにも追われるし、だまして家につれこもうとする悪い大人もいる。親のある子がふつうに得られる安息など、ただの一つもない。生きていくだけで必死なのだ。
ワレス自身もそれを知っているから、子どもの気持ちがよくわかる。
ワレスが黙って離すと、子どもは一直線に走っていった。通りに植樹された並木にのぼっていく。何をするかと思えば、そこになる実をもぎとって食べている。
ワレスは近づいていって、子どもを抱きおろした。
「おれの見ている前で、そういうことはよせ」
「離せよ! 離せったら!」
言いつつ、子どものお腹がグウグウと鳴る。空腹のところにわずかに食物をとったから、食欲のスイッチがいっきに入ったのだ。
「皇都では路銀のつきた旅人や、恵まれない者たちの飢えをしのぐために、街路に果樹が植えられる。そのために年間を通して、いつでもどこかで実がなるように計算して、何種類もの木が植樹されているんだ」
「だったら、いいじゃないか」
「それは誰にも恵んでもらえないやつのための食料だ。おまえには、おれがいる」
にぎった果実を離さず、子どもは少し考えた。
「えっと、それって、どういう……?」
「おれがおごってやると言ってるんだ。いいから来い」
「えっ? えっ?」
何度も目をパチパチする子どもを無視して、ワレスは歩きだした。
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