第4話 ジゴロと少女2



「痛い! お腹が痛い! お腹の皮がさけそう!」

「バカだな。食いすぎだ」

「だって、ひさしぶりに食ったから! もう死んでもいい!」

「食いすぎで死んだやつはいないよ」


 にぎやかにさわぐ子どもをつれて自宅へ帰った。古着屋で子ども服を買ってきたから、すっかり日暮れ前だ。西日が黄金に輝くころ。


 しかし、まだ自分と同じベッドに寝かせてやる気にはなれない。


「やっぱり、風呂につれてくか」

「えっ?」

「えっ? じゃないだろう? おまえ、くさいんだよ」

「やっぱり……そうなんだ! おまえもおれの体が目当てなんだな?」


 ワレスは子どもの頭を思いきり、はたいた。


「誰がおまえみたいな汚い子どもに性欲をおぼえるか! 部屋が汚れるから清潔にさせたいだけだ。文句を言うなら追いだすぞ」

「ううっ……」


 ワレスは買ってきたばかりの着替えを一式、子どもにむかってほうりなげる。


「ほら、来い」

「…………」


 子どもは恨みがましい目つきでついてきた。


 わかっているのだ。不信をつのらせつつ、親切にしてくれる大人から逃げだすことはできない。ワレスもそうだった。


 もっとも、ワレスが子どものときは、この子よりもっと、野生の山猫みたいに警戒心のかたまりだったが。飢えて死にそうになっても、誰かの足をつかむなんて危険なマネはできなかった。そいつが極悪人なら、そのまま人買いに売られて終わりなのだから。


 この子は心のどこかで、まだ人間を信じているのだろう。


「ど、どこへ行くの?」

「湯屋だよ」


 貴族の家でなら、お湯をわかしてくれる召使いがいくらでもいる。だが、庶民は温泉か湯屋でしか、あたたかい風呂には入れない。内風呂のある豪邸は少ないのだ。それでも、周辺の国々には公衆浴場がまったくないことが多い。ユイラはそういう面でも恵まれている。


 しかし、風呂屋の前まで来ても、子どもはグズった。


「……おれ、風呂は入らない」

「何を言ってるんだ。必ず入れ。体じゅうすみずみまで洗わないと床で寝かせるからな」

「…………」


 まだ信頼できない目で見ている。ワレスはおかしくなった。


「おまえ、おれが女に困ってるように見えるか?」

「えーと……」

「女なんかよりどりみどりだ。むしろ、ひっぱりだこで忙殺されてる」

「ぼうさつって何?」

「忙しすぎて死にそうってことだ」

「ふうん」


 じっくりワレスを見てから、子どもは急に頬を赤くした。どうやら納得したみたいだ。


「じゃあ……入るけど、こっちを見るなよ?」

「誰もおまえなんか見ないよ。男のガキなんか」


 庶民の湯屋は混浴だ。

 時間帯によって女しか入れない湯屋もあるが、ここは違う。


「いいか? 耳の裏や足の指のあいだまで洗えよ?」

「……わかった」


 今度は洗濯用ではなく人間用の石鹸を、半分に割って渡してやる。


 日暮れ前の早い時間だから、それほど混雑してはいなかった。街路の店屋の多くは閉店前だ。


 ワレスは子どもに言った手前、長い髪をたんねんに洗う。巻毛の上、毛量が多いので、水をふくむとけっこう重い。うつむきながら湯をかぶって石鹸を流していたときだ。


 となりに男がすわった。

 湯気でよく見えないが、知らない人物のようだ。すうっと、こっちに手を伸ばしてくる。男色家だろうか。

 ワレスは自分で言うのもなんだが、そうとうに綺麗な男だ。風呂場で痴漢にあうことはよくあった。女の誘惑を受けることも。


 だから、そういう相手だろうと思い、にらんでやった。が、迫ってくる手元はワレスをとびこえて、そのさきにむかう。しかも、ナイフをにぎっていた。


(こいつ——)


 ワレスのとなりにはひろったばかりの子どもがいる。なぜかはわからないが、その子どもを狙っているのだ。

 とっさに男の手首をつかんだ。そのまま背負って床になげおろす。


「な、何?」


 子どもがビックリしてたずねるのへ、答えているヒマはない。そのまま、男を押さえつけようとする。だが、失敗とわかると、男は渾身こんしんの力でワレスをふりはらい逃走する。


 いったい、なんだろうか?

 風呂場にナイフを持ちこむことは、男ならふつうだ。ヒゲをそるために使うからだ。

 が、しかし、あれは明らかに子どもを殺すつもりだった。子どもを壁ぎわに置いて、となりにワレスがすわっていたから、ワレス越しでしか攻撃できなかったのだ。


(この子、もしかして命を狙われてるのか?)


 どう見てもただの薄汚い子どもなのだが。


「……おまえ、名前は?」

「えっ?」

「だから『えっ?』じゃない。親がつけてくれた名前があるだろう?」

「ド……」

「ド?」

「うーん。ト、トリ……」

「トリ?」

「トリ……ス……」

「トリスタンか?」

「そう! それ!」

「……」


 確実に偽名だ。まあいい。


「トリスタン。ちゃんと洗ったか?」

「う、うん」

「じゃあ、あがるぞ」

「うん」


 どうも、やっかいの種をひろったらしい。

 翌朝には孤児院にさしだすつもりでいたが、これではそうもいかない。孤児院のシスターでは、外敵のいる子どもを守ることはできないだろう。

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