第2話

それから、二年が経った。隣国が攻めてくることはなく、平和な年月が過ぎていった。

女王は美しくなった。子どもらしさが失われ、女らしくなった。慮花を失った悲しみが女王の瞳に影を残していたが、それすらも女王を美しく見せる要因となった。


 女王は王として優れている為、民は変わらず女王を慕っている。そんな国民が女王に世継ぎを望むようになるのは自然な流れであった。


 女王は慮花の喪に服す為、一年間後宮を訪れないと決めた。その一年が過ぎ、さらに一年が過ぎたが、女王は後宮を訪ねなかった。


 女王は齢十六。心配した臣下たちは、一人の男のもとへ行くよう、女王に進言した。


 女王の夫の一人、側室の王怜(おうれい)である。彼は城下で一番裕福な商人の息子で、自身にも才があった。彼の力で、城下の商人たちが万が一にでも女王へ刃向かわないように上手く治めてもらおうと、臣下たちが女王に勧め、女王は彼を娶った。


 ある夜、女王は王怜の部屋を訪ねた。


 庭に咲き乱れる夏の花が、むせかえるほど香って、部屋を満たしている。


「やっと来てくれたな、女王陛下」


「そなたには世話になった。今まで大した礼もできずにすまなかったな。本当に、よく働いてくれた」


 女王は、慮花を失った時、悲しみのあまり伏せってしまった。その数カ月の間、王怜が宰相となり、政を行っていたのである。女王は悲しみから立ち上がり再び政治に参加したわけだが、王怜は宰相の立場をそのままに、今でも彼女を補佐し続けている。


「礼はいいから、褒美が欲しい。陛下は、俺の欲しい物をくれるか?」


 自分の欲を隠そうとしない王怜。素直なところは、彼の長所だ。変に媚びたりせず、思ったことをそのまま口にする彼に、女王は度々癒されていた。


 寝台に腰かけたまま、足を組んで女王を見つめる王怜。女王と二人きりの時、彼は自然体でいる。そこには形苦しい礼義作法などない。


 女王はゆっくりと彼に歩み寄った。


「本当に、そなたには救われている。王怜……そなたは、わたしに何を望む?」


 女王が王怜の目の前に立つ。王怜は、女王の腰に片腕を回した。


「そんなの、ずっと、一つだけだ」


 王怜の手が女王の腕を掴み、強く引いて寝台に押し倒す。女王が事態を把握する前に、王怜は彼女を組み敷いていた。女王が見上げた彼の瞳は、切なさに揺れていた。眉根を寄せて、唇を噛み締め、彼は女王の瞳をただ見つめ続ける。彼女の手首を寝台に押さえつけている彼の手が、小刻みに震えている。


 泣きそうな表情のまま、彼は口を開いた。


「陛下……アンタが欲しい。アンタが今でも慮花を想ってんのは知ってる。俺とは、ほとんど政略結婚だったってのも分かる。けど、俺はアンタがいないと駄目だ。なぁ、俺に振り向いてくれよ……。ずっと……ずっと好きなんだっ!」


 胸の内に溢れる想いを叩きつけるように、王怜は叫んだ。


 女王はそっと両目を閉じて、彼の言葉を受け止める。


 そして、彼女は頷いた。


「…………王怜、そなたはわたしの救いだ。そなたがいなければ、わたしは慮花を失った悲しみから抜け出せなかっただろう……。わたしは、政治くらいしか取り柄がない。他人を気遣うこともできぬ愚か者だ。王怜、こんなわたしを好きになってくれて、ありがとう」


 女王はふんわりと花が開くように微笑んだ。その瞳に、悲しみの影はない。


 王怜は掴んでいた手首から手を離し、ゆっくりと女王の頬を撫でた。彼女の頬に、王怜の涙の粒がポタリと落ちる。それは、歓喜の涙だった。


 女王は、幼い頃両親を亡くし、それでも一人で国の頂点に立っていた。何者にも臆せず、民を愛し、民を導いた。凛と咲く一輪の花だと、王怜はずっと思っていた。後宮に迎えられた後も、彼女は手の届かない花だと思っていた。花の傍らには常に、彼女を守るように慮花がいたから。


 けれど、花は今、王怜の手の中にある。


「俺は死ぬまで、アンタに尽くすと誓うよ」


 そう言って、王怜は女王に口づけた。


 最初は恐る恐る触れるだけだったそれは、徐々に深くなる。長年求め続けていた彼女の唇。その柔らかな感触に、王怜は我を忘れた。夢中で唇を重ね、舌を這わせ、口内に侵入させる。歯列をなぞり、女王の舌を追いかけ、絡め取り、吸う。


 激しい口づけを終えれば、女王はまさしく『女』の顔をしていた。赤く上気した頬、どちらのものか分からない唾液で濡れた唇、涙を含み熱を孕んで自分を見つめる、女王の瞳。


 全てが王怜を誘い、王怜を狂わせる。狂っていく自分に、王怜は僅かな恐怖を抱いた。理性を失えば、女王を傷つけてしまう気がした。


「なぁ、今から俺が酷いことしたら、俺のこと、殺してくれて構わないからっ……!」


 これから行われることに怯えているのは、組み敷かれている自分ではなく、むしろ組み敷いている王怜のようだと女王は思った。彼女は王怜の頬に手を伸ばし、全てを包み込むように笑った。


「許す」


 言い終えた瞬間、王怜は女王の首筋に顔を埋めた。


 その夜、女王は王怜の前で一人の女となり、王怜は彼女を抱いた。

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