女王の国
@hinataran
第1話
女王が治める国があった。
そこは沢山の米が収穫できる豊かな土地であった。
しかし、その肥沃な大地を狙って、隣国の軍隊が国境を越えた。米は奪われ、家は壊された。女子どもは攫われ、男たちは殺された。
略奪と惨殺を繰り返す野蛮な敵軍を、女王は許さなかった。彼女は国の自衛軍に命を下す。
「我らの家族を殺した者を、我らの土地を穢した者を、一人として生かすな」
女王は自ら軍の先頭に立ち、戦に挑もうとしたが、それは一人の男によって止められる。
女王の夫たちが住まう後宮の花。正室の慮花(りょか)である。
彼は号令を下した女王の前、玉座の元に跪き、深く深く頭を垂れた。
「勇ましく美しい我が君。御身は何者にも代えがたいこの国の宝、そして指標。何があっても、貴女を失うことだけはあってはなりません。どうか私に、我が君の代わりを務めさせてはいただけないでしょうか?」
この申し出に、女王はすぐに答えを出せなかった。その間に、臣下たちは次々賛同の声を上げる。女王はまだ、齢十四。後宮に何人か夫はいるが、世継ぎはまだない。即位と同時に手腕を発揮し、民からも慕われる聡明な彼女を戦で失うわけにはいかない。
臣下たちは慮花に軍の指揮を任せるよう、女王に訴えた。慮花は、女王の正室となる前は自衛軍の副将を務めていた男である。
慮花を勧める声を聞きながら、女王は彼を見つめた。
今から二年前、三十をとうに超えているというのに、十二の小娘に嫁いできた酔狂な男。武道の達人の父と、絶世の美女と謳われた母を持つ男。その美貌で、男すら篭絡させる麗人。
女王は慮花を押す熱弁が行き交うその場を、たった一言で鎮めた。
「任せる」
その後の戦略会議で、明朝、自衛軍を率いて慮花が出立することが決まった。
その日の夜。広い宮殿の中の、春の花が香る庭を眺めながら、女王は慮花に身を預けていた。寝台の上からでも月と花がよく見える。
「やはり閉めましょうか。大事なお体が冷えてしまいます」
寝台に仰向けになり、上に小柄な女王を抱えた状態で慮花が言う。女王は首を横に振った。
「よい。わたしは、この庭から香る花の香が気に入っている」
「この部屋を訪ねてくださったのは、花の香が気に入っているからですか?」
意地悪な笑みを浮かべて、慮花が尋ねる。女王は頬を赤くしてそっぽを向いた。
「……この部屋を訪ねるのは此処に慮花がいるからだ。いつもわたしにばかり言わせて、そなたは意地悪だ」
拗ねてしまった女王を見て、慮花は柔らかく微笑む。
「お許しを。そんな嬉しい言葉を聞けるのも、これが最後かもしれませんので」
慮花の言葉に、女王はハッとして彼を見た。彼は変わらず微笑んでいた。今こうして寄り添っているのに、彼が遠くにいるように感じてしまう。
怖くなって、小さな女王は彼に抱きついた。
「死ぬな慮花。わたしはまだ、そなたに全てを捧げていない。そなたの愛に、わたしは報いていないというのに……」
婚礼の式を挙げて二年。二人は未だ結ばれていない。女王の体は既に子どもではなく女だ。理由は慮花の方にある。彼が、女王を抱こうとしないのだ。
「私も、貴女の全てを自分の物にしてしまいたい。けれど、私はここに来る前、多くの賊を殺し、またこの顔で多くの女を騙して抱いてきた。穢れきったこの身で貴女に触れるなど、どうしてできましょうか。…………役目も果たせぬ夫を、どうか許して下さい、我が君」
慮花は女王のことを神聖な乙女として見ていた。彼らの間に確かに愛情はあるが、女王が慮花に対して抱くそれと、慮花が女王に対して抱くそれは、同じではなかった。
女王はそれを知っていた。知っていて、慮花を正室に迎えた。恐らく子はできぬだろうと、慮花が残そうとはしないだろうと、分かっていた。けれど、幼き日に遊んでくれた慮花にずっと想いを寄せていた女王は、どうしても彼を正室にしたかったのである。
その日も慮花は女王を抱かなかった。ただ寄り添い、二人は眠りについた。
慮花が城を立ってから、三月が過ぎた。自衛軍は見事に敵を滅ぼし、一人として生かさなかった。村々は救われ、捕われていた女子どもも戻って来た。
けれど、慮花は帰ってこなかった。
女王は、勝利に沸く城の中で一人、部屋に籠って泣いていた。
慮花は一人で何人もの敵将を討ち取った。女子どもが捕まっている敵陣へも切り込んでいって、そこで深手を負った。そして、勝利を得た後、戦地で事切れたという。
後宮の慮花の部屋。季節が過ぎて庭には一輪の花もない。庭から香りはせず、ただ部屋には慮花の匂いばかりが残っている。
慮花のいない部屋で、女王は泣くことしかできなかった。
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