6. 陰の勇者スカサハと魔王ヨルダ


 太陽が真上を過ぎだした頃、スカサハは村から一番近い北方の川辺にて釣りにきょうじていた。


 荒れた畑を整備するつもりだったが、とんだ来客に思いもよらぬ農具の破損(放り投げたことで折れた)。作業を中断せざる負えなかった。


 手頃な木の枝とつたでこしらえた釣竿を握り、やや前のめりで木の実の浮きを見つめ、明け方、手押し車に乗せて村の外、その先の森の入り口まで放り捨ててきた冒険者たちのことを思う。


 森の外は魔物が出ないため命の危険はない、運が良ければ行商人の馬車が通りかかるし、まあ大丈夫だろう。


「……黒い化け物か」


 あの時──、村に宝と呼べるものはない。王都でおかしな噂を流しているのは誰なのか。そう問おうとした。

 怖がられないよう精一杯笑って見せたのだが、あれが良くなかったのだろう。


 笑顔はダメだ。苦手である。


 あと、あれも良くなかったかもしれない。昔の癖でつい背後に回り込んでしまうあれ。やめないとなあ。でも気がつくと勝手に背後をとっているわけだし……ハアどうしたら。


 終わりのみえないひとり反省会をしているうちに水面で穏やかに揺れていた浮きが勢いよく沈み、釣竿が弓形ゆみなりにしなる。


 かかった。数時間ぶりのヒット──、


「んッ──!」


 やっときた獲物。自然と体が強張る。

 逃すまい。絶対に釣り上げる。そんな前のめりな気持ちが無意識に全身のリミッターを外しにかかる。

 川魚一匹を釣り上げた──と同時に、細い釣竿に多大な負荷がかかる。


 ボギッ。という竿さおの悲鳴を聞いた次の瞬間。宙で踊る魚と繋がる釣り糸。持ち手から少し上がスカサハの頭上をぐんと追い越し、バサバサ音を立てて背後の林へ落ちていく。


 耳元で聞き飽きた低い笑い声がした。


 消えいるように息を吐き、スカサハは手元に残った釣竿だったものを躊躇なく放り投げる。

 村人の衣服のそでをまくり、すそをまくり。吐いた分を取り戻すようにスゥと深呼吸したらば、不本意そうにザブザブと川の中へと入っていき。


 水面へ手刀しゅとう。手刀。手刀。

 一、二、三。と数えるほどの僅かな時間で、水際に活きのよい三匹の川魚がぼてぼてと落とされる。


〝まったく、最初からそうすればいいじゃないのよ〟


 またも耳元で呆れ声が響いたが、それには反応せず。放っておけば再び水中に帰りそうな魚たちを回収し、釣り場から少し離れたところに設置した簡素なベースキャンプへと持ち帰った。


 獣の皮を繋いだ天幕てんまくの傍らで火を起こし、枝で串刺しにしてもまだ息のある川魚をそのまま炙る。


〝ちょっと、ねえ、いつまでヘソ曲げてるつもりよ〟


 まもなくして香ばしい匂いが周辺に漂い、川魚が身に閉じ込めていた脂がジュワリと滲み出て炎に溶けるも、残念ながら美味しそう。という気は一向に起きない。

 本日最初の食糧摂取しょくりょうせっしゅの時間。ぐらいの認識しかスカサハは抱いていなかった。


〝聞いてるの、あんた、ねえって〟


 一口かぶりついても味というものが舌の上で華やかに踊ることもない、ただ咀嚼そしゃくし今日の活力に変えるだけだ。


〝もう、なんとか言いなさいよう!〟


 もぐ、ごくん。と一口を喉の奥に押し込め、スカサハは背後でずっと存在を主張していた相手に向けて心底うっとおしそうに顔を上げる。


 十回かそれ以上の呼びかけにやっと彼女が応じると、二メートルほどの上背を半分曲げ見下ろす姿勢でいたその影は、ぼんやり曖昧だった人型の輪郭りんかくを崩し、スカサハと同じ人族ヒューマンにより近い姿と成った。


 数日前まで新緑色の長髪に血色の瞳という女性に見紛う容姿をしていたが、今日はまたがらりと印象の違う艶のある藍色のリップに雪のような白い肌、金色の瞳、白銀の短髪という美しい優男やさおとこの姿になっている。


 前の姿に飽きたんだな。というのがその変わりっぷりを見たスカサハが最初に抱いた感想だった。

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