4. えっ、死んだ?

「……」


 悲鳴が絶え、静寂が広がる。


「うわ。……え。……えええええええ」


 困惑の声。


「し……し、しっ、しん……。え……ちょ……え……えっ」


 トドメを刺された──と思い込み、数秒前に泡を吹いて気絶した彼に伸ばした手が頸部けいぶの脈を探る。

 脈は……、


「…………あ、…………ある」


 少女のひどく困惑した声だけが虚しく響く。


 自分を魔物かなにかと勘違いして落ちたAと、攻撃を受けるだけに留めるつもりが、有り余った筋力のせいでクワごと放ってしまったB(命に別状なし)を交互に見つめ、スカサハは両手で顔を覆う。


 続けて深く長いため息。まただ。またやってしまった。


〝く……くっくく、くくく……〟


 背を丸め困り果てる彼女の背後、


〝くくく、くききき、くきききかかか、くかかかかかか……!〟


 空間を食い尽くそうとしていたその暗影あんえいが、するすると収縮し、人型へ姿を変えた。


 すらりと上背うわぜいのある男性ほどの大きさになると、その顔ともいえる部位に生々しい歯茎とそこに並ぶ白い歯がニュッと現れ、禍々まがまがしく野太い笑い声をあげる。


「ちょっと……」

〝くかかかかか……! うふっ、うふぶふふっ、キアーーーーッハッハァッ!〟

「おい、笑ってんじゃねーですよ!」


 影が勝手に形を変え、笑うなど、まさに尋常ならざる光景。

 しかし、いくら下品に笑い転げられようが、スカサハは驚くに値しないといった様子でそれを一喝いっかつした。


 彼女にとって、自身に繋がる暗影と言葉を交わすことなど、驚きとかけ離れた日常に他ならないからだ。


〝だって、だって、ねえねえ聞いた? コイツらの悲鳴、ゴブリンの断末魔より酷かったわ、うぷぷ〟


 からから笑う影とは対称的に、スカサハはボサついた後頭部を掻き、うんざりした表情で吐き捨てる。


「……あーもう、どうすんですか、これ」


 稀有けうな外見に、目の下にうっすら浮かぶ不健康そうな隈、喋る影と行動を共にする気怠けだるげな少女。


 この一人なのか二人なのか判別つかない存在を冒険者たちは、かつて勇者が旅立った最果ての村に巣喰う──“最悪の魔物”と呼び恐れた。


 遭遇した瞬間に目の前が暗闇に染まり、全員が戦闘不能、死亡するという嘘か誠かわからぬ情報から、手練れの冒険者たちでも討伐を尻込しりごみするほど、王都の酒場で破格の賞金が掛けられるのも時間の問題だった。


 しかし残念ながら、最悪の魔物は実際存在しておらず。


 異質でこそあれ、彼女はギリギリ人間のわくに身を置いていた。


 その正体を明かしたところで、恐らく誰もがそんな罰当たりな冗談はやめろと顔をしかめるだろう。


 千年続いた魔族と人の対立、魔王の支配──数多あまたの勇者たちが立ち上がり、絶望と共に星のように流れついえ、成し得なかった黄昏たそがれの時代の幕引き。


 彼女こそが、それを唯一叶えた勇者“だった”など。


 そしてそのかたわら大蛇だいじゃのようにまとわりついて爽快に喋りまくる暗影こそが、人類を滅びに導こうとした魔王その人“だった”など。誰が信じられるのか。


 勇者は魔王との闘いで尊き命を燃やし尽くし、勇者によって魔王は永遠にほうむられた──世に語り継がれる、光の勇者の英雄伝と大きく食い違うのだから。


 そのうえ、本来敵同士であろう魔王と勇者が、よりにもよって文字通り表裏一体となって共生し、故郷の廃村で細々暮しているなど。


 伝説に火をつけて灰にするほどあり得ない話である。

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