―あの日のヒーロー(2)―

***********************************************************************************


★前話までのあらすじ

宮野留雄みやのとめお70歳。元アクション俳優の矜持きょうじとして、彼は現在も尚、毎朝欠かさず鍛錬を継続していた。


***********************************************************************************


 ベンチから立ち上がった留雄が軽いストレッチを行うと、体の反りやしなりに伴ってボキボキボキと節々が鳴り、いい感じに体がほぐれた。

 それから誰に向けるでもない一礼を済ませた後、両足を肩幅の大きさに広げて空手の三戦サンチン立ちの構えを取ると、「コォォッ……」と呼吸を整え、そこからとある武術のかたの演武を始めた。


 それは留雄がかつて若き日にマスターした武術『成詠拳せいえいけん』の基本的なかたの一つ。高齢の留雄でも難なく舞えるほど動作がゆったりとしているが、実は体幹の強靭さと流れるような体重移動のテクニックを要する為、素人が下手にマネをしようとしても演武中にすぐ足がもつれたり、転んでしまうほど難易度はやや高めだった。

 しかし、それを年老いた留雄が華麗に舞うものだから、初めてかたを公園で披露した時には、数人のギャラリーを集めて物珍しそうに見られたものだった。……もっとも、今では毎朝恒例の光景の一つとして、もう見向きもされなくなってしまっていたが……。


 演舞を終えると、最後に再び三戦サンチン立ちの構えを取って静かに呼吸を整え、一礼して締めた留雄。

 それからまたベンチに腰掛けて、まだ少しだけ残っているコーヒーを一気に飲み干すと、以前ならこの後は空のカップを持って公園を去るのだが、ここ最近の留雄はもう少しだけ公園に長居をするようになっていた。

 ジャージのポケットから四つに折り畳まれた一枚のチラシを取り出すと、別のポケットから老眼鏡を取り出して目に掛け、チラシを広げてしげしげとその文面を読み始めた。

 文面の見出しには、デカデカとこう文字がおどっていた……。


『一回50万円で一カ月間だけお好きな年齢への完全若返りを実現致します!』


 じぃっとそのうたい文句を食い入るように見つめている留雄……。

 オレオレ詐欺にも還付金詐欺にも騙されない自信はあった。まだそこまで耄碌もうろくしているつもりはないし、実際に「お爺ちゃん助けて! 人を怪我させちゃって大至急お金が必要なんだ」と、それらしき電話が掛かってきた時だってすぐにピンときて、「このバカもんがっ!」と一喝して電話を切ってやったくらいだった。……まぁ、今や天涯孤独の身ゆえに、心当たりのある身内がいないので騙されにくい、というのもあったが……。


 しかし、しかしだった……。この……いかにもなチラシにだけは、さすがの留雄も騙されてしまいそうだった。

 若返りをうたうそのチラシは、字面じづらからして明らかに胡散臭さを漂わせているのに、どうにも彼を魅了してやまなかったのだ。

 チラシをゴミ箱に捨てては、(いや、待て待て……)と思い直し、また拾う行為を幾度となく繰り返しては、結局……どうにも捨てられずにこうして持ち歩くまでに至り、とことん彼を悩ませ続けていたのだった。


 ――そう、宮野留雄にはどうしても若返りたい理由があったのだ。


 若返りの費用は50万円。今や収入は年金頼みの彼の経済力からしたら、清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟が必要な額で、もし騙された時を考えての捨て金と割り切るにはあまりに高額だった。

 それにチラシには、実際に若返りを施された人の体験談や感想もなく、会社の住所の記載すらもない。……とことん怪しかったのだ。

 ただ、それでも若返り中のトラブルに対する免責の記載だけでなく、一部例外を除く補償費用への言及が大きく記載されている点だけは少し好感が持てて、留雄の心が揺らぐ最大の要因となっていた。

(補償費用が一律で3億円か……。う~む、これはやはり信用出来るかもしれん……)

 いやいや……少し冷静に考えるだけで、ちっとも信憑性のないチラシだと警戒するはずなのだが……。

 しかし、どうしても若返りたい動機がチラシ内容をどうにか肯定したい方向へ傾かせようとしており、信じるに足る材料を何とか探し出そうとしている……というのがチラシを見る留雄の正直な本音と言ったところだった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る