第13話 旅の途中で

 サジタリウスは王都ベルファストに向かっていた。

 馬車で一ヶ月ほどの距離だ。レクサムから王都までは街道が通っており、途中で森を抜けることになるが人の往来も比較的多く、地面が踏み固められている。レクサムから南には魔族が出るという情報はない。魔獣はこの世界のどこにでもいるが。

 およそ半分の道のりまで来たころ、付近に村や町などもないため野営することになった。見張りはいつもは基一とグレース、フレディとソフィアの組み合わせであったが、この日はソフィアがたまには変わろうと言い出したため、基一とソフィアのペアとなった。


「ねえ先生。また武士のことを教えてほしいのだけど」

「そうだなあ。武士というより、俺が尊敬する人のことでもいい?」

「えっ、キイチが尊敬する人? 知りたい知りたい! 教えて」

「その人は武士じゃないし隣国の思想家なんだけど二千年ぐらい前の人なんだ。

 俺は藩学校に通っていた時にその人の文献を読んだんだけど、大昔の人なのにその考えは人の世の理を説くような素晴らしいものだった。藩学では四人の思想家の教えについて学んだんだけど、俺はこの人が残したいくつかの言葉に魅かれたんだ。

 名前は孔子。弟子が三千人とかいたらしい。その文献は弟子達が師とのやり取りを残していて集めたものなんだ。それは一度失われたんだけど弟子達がそれぞれの教えを集めて作ったものなんだ。すごいたろ? 五百十二もの言葉が弟子達の言伝で二千年たった今も生きていて、人としての生き方を教えてくれる。素晴らしい師には素晴らしい弟子が育ち、後世にそれを残す。俺は剣術の先生だったけど、人に何かを教える先生としても尊敬しているんだ。その人の言葉を一つ話そう」


 『義を見てせざるは勇なきなり』


「どういう意味ですか?」

「何が正しいかがわかっていて行動できないのは勇気がないからだ。という意味だね。

 人はなかなか正しいことをすべきだとはわかっていても、わが身可愛さ、周りの状況なんかを見て人として本当にやるべきことができないもんだ。

 だから孔子先生は、自分が正しいと思ったのなら俺のことなど気にせずにやれ、と弟子たちに言ったんだ」

「なるほど、本当に正しいことをやるのは難しいですね。人は一人ではないのですから」

「でも俺はそれができる人を一人知ってる」

「どのような方なんですか?」

「ソフィア、君だよ」

「えっ」

「君は王女であるにもかかわらずこんなとこまで来て、国民のために魔族と戦っている。俺は国の姫がそんなことするなんて驚いたよ。多くの人達が怖くてやらないようなことを、君は自らが矢面に立って立ち向かっている。これはなかなかできることじゃない。君は勇気ある素晴らしい人だ。俺は心から尊敬するよ」


「……」

 ソフィアはまさか基一が自分のことをそんな風に思ってるなんて知らず、褒められた嬉しさで言葉が出なかった。みるみるうちに顔が真っ赤になってしまった。

「ありがとう。まさかキイチから褒められるなんて、その、うれしいです。先生」

「でもなあ、普段はあれだからなあ。もうちょっとおしとやかだったら誰もが愛する姫君なんだけどなあ。まあでも公にはその性格は見せてないんだよね? 素顔は隠しとこうね」

「もう! なによ! 褒められたと思ったらこれよ!」

 頬をふくらましてぷんぷんしてしまった。まあでもそれもかわいい。

「ごめんごめん。でも覚えておいてほしい。勇気ある行動を起こせる人はいつか壁に当たったり、悩んだりすることがあるだろう。

 だけど君の考えは間違っていない。たとえ君の選択で誰かに何かあったとしても、君は正しいことをしているんだということを忘れないで」

「はい。ありがとうございます。先生」


 ソフィアは感無量だった。今まで自分の行動を誰かに褒めてもらったことなどなかった。それどころか反対に合うことがわかっていた。だから誰にも言わずに行動していたのだ。

 その行動を基一は素晴らしいことだと肯定してくれた。こんなにうれしいことはない。


 自分は間違ってない。やろうとしていることは正しいことなんだ。今までは悩みながら行動していたけれど、これからは違う。先生が正しいと言ったんだ。私は自信をもってやるべきことをやるんだ。


 ソフィアは霞が一瞬で晴れたような、そんな気分になった。

(この旅ももうすぐ終わるけど、先生はこれからも一緒にいてくれる。いや、お父様に話して必ず私の近衛にしてもらうんだ。この人がいれば間違わない。お父様やお兄様を手伝いながらキイチと正しい方向へ進むんだ。結婚なんかしなくていい。だって結婚したい相手なんかいないのだから。いやでもキイチなら結婚してもいいかもしれない。でも身分がなあ……。認めてくれないだろうなあ……。いや、違う。キイチは言った。自分が正しいと思ったことをすればいいと。

 キイチのことは好きか嫌いかでいうとたぶん好きだ。むしろ他の男なんてどいつもこいつも自分勝手でむかつくヤツばかりだ。でもキイチは違う。私のことを人として尊敬すると言ってくれた。きれいだとか、かわいいとかじゃなく中身を褒めてくれた。 

 そうよ。そうだわ。私キイチと結婚するわ。そうと決まればどうやってキイチの心を奪うかよね。いえそれは簡単だわ。だって私は誰よりも美しいもの。女から迫るなんていけないことだけど、自分が正しいと思ったらそれでいいのだから問題ないわ。むしろお父様や他の貴族どもをどうやって説得するかよね)

「ぐひひひひ」

 なにか考え込みながら変な笑みを浮かべているソフィアを見たキイチはちょっと引いた。

(なんかやばいな。美少女が台無しだ。俺いらんこと言ったか?)

 ソフィアを褒めたことを少し後悔する基一であった。


 その日からソフィアは今まで以上にじゃじゃ馬になった。これからその手綱を握るのは誰になることやら。

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