第9話 休日
基一の服装が召喚されたままのボロボロの格好だったため、この日は休みをとって服装や装備を整えた。
洋物の生成りの長袖シャツに紺のズボン、左寄りの革製の胸当てに左肩から手首までを覆う籠手をつけた。詰襟から着やすい洋装に変わりスマートになった。剣は自分の刀をそのまま左腰に佩いた。
「よくお似合いですよ。キイチ」
ソフィアが基一を見て褒める。
「何から何まで用立てていただいてありがとう。この御恩はいつかお返しします」
「いえ、そんなたいそうなことではありませんので」
「それにしてもやはり洋装は動きやすい。鎧も軽いですね」
「革鎧は軽いが金属ほど強度がないぞ。おそらくオークの斧などの直撃だと壊れてしまうだろう。気を付けろよ」
フレディが助言をくれる。
「わかった。ありがとう。当てられないようにうまくやるよ」
その後はレクサムの町を散策することにした。文化の違いに基一がまだ慣れないため、町を歩きながらこの国の生活習慣などを教えるのが目的だ。
基一は目をキラキラと輝かせながらあれこれと見てまわった。完全にお上りさんだった。
消耗した食材や薬など、旅の備品の補充も兼ねていろいろな店を廻っていた。すると、進む先の街角でひときわ騒がしい喧騒が聞こえてきた。見ると冒険者であろう若者が老人を蹴倒しているところだった。
ソフィアたちは目をしかめ、フレディが注意をしようと近づこうとしたがいつの間にか基一が老人のそばに寄り添いかばっていた。
「ご老人、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「は、はい。大丈夫です。私が彼にぶつかってしまったのです。めまいがしてふらついてしまって」
「それはいけない。家までお送りしましょう。ですが少しお待ちください」
基一は老人の無事を確認すると、騒いでいる冒険者に向き直った。
「おい、貴様、今ご老人を蹴っただろう? なぜそのようなことをした?」
「なんでもなにも、そいつがぶつかってきたんだろうが! 悪いのはそいつだ」
「だからと言って危害を加えていい理由にはならない。相手はご老人だぞ。貴様よりも年長者だろう。何を考えている」
「は? てめえこそ何言ってやがる」
「年長者は敬うものだろう。恥を知れ。馬鹿者が」
「なんだと! ぶつかったのはそのじじいだ。年とか関係ないだろうが。お前、俺にいちゃもんつけようってのか? ああん?」
「はあ、やれやれ。血の気の多いクソガキだな。どういう教育を受けてんだ」
「クソガキだと! てめえの言い分ならてめえが俺を敬うもんだろうがよ!」
「お前の目は節穴なのか? どう見ても俺のが年上だろう。お前いくつだ?」
「二十だよ! てめえどう見ても十五やそこらのガキだろうが。今謝ったら許してやるぞ。俺は忙しいんだ。そうだな。そのじじいがぶつかった分と合わせて銀貨二十で許してやるよ。迷惑料だ」
「おい、今俺を十五やそこらと言ったか? これだから頭の悪い奴は……。俺は三十五だぞ? 三十路だぞ? 脂の乗った男前のおじ様だ」
「嘘つくんじゃねえよ! それに年なんかどうでもいい! 早く金をよこしやがれ!」
冒険者は基一の胸倉をつかもうと右手を出してきた。それを基一は左手でつかみひねり上げる。
「痛ててて! いてぇ!」
「教育のなっていないクソガキはお仕置きが必要だな。いいかよく聞け。武を極めるものは弱いものをいじめてはならん。師や年長のいうことをそむいてはならん。わかったか? わからなければこの腕折るぞ?」
ギチギチと腕から音がする。関節が限界に来たようだ。
「ぎゃああああ! やめて! やめてくれ! わかった。わかったからもうやめて!」
「わかったならいい。さあ、ご老人に謝罪しろ。そして今後は正しく生きろ。わかったな?」
「ぐっ、くそっ。何なんだてめえは。もういい知るか!」
冒険者は基一から解放されると一目散に逃げて行った。
「おい貴様! 謝罪せんか!」
ソフィアたちは基一と冒険者のやり取りをただ見ていたが、はたと気づいて基一と老人に近づく。
「キイチ、大丈夫ですか?」
「ええ、俺は大丈夫です。ですが、ちょっとご老人を家までお送りしてきますので少しお待ちを」
「いやいや。わしのことならもう大丈夫ですので。先ほどは助けていただきありがとうございました。冒険者どの」
老人は基一に礼を言って帰っていった。
基一たちは買い物を続け、夜になると町の食堂で夕食を取ることにした。
食事をしながらソフィアは先程のことを思い出して基一に尋ねる。
「それにしてもキイチは素晴らしい考えをお持ちですね。年長を敬う。弱いものいじめをしない。貧しく、暴力があふれてしまった今の世の中では、なかなかできないことです」
「こんな世の中だからですよ。秩序がなければ人は人でなくなる。野生の動物と同じになってしまう。特に力を持った強いものは義と理を持って剣を振るうべきだ」
「その考えは基一のいた国の教えですか?」
「はい。俺のいた松坂藩の武士が幼少のころに叩きこまれる最初の教えですね。武家の子たちは藩が開く学校に通い、武士の心得をまず習うのです。武士になるためにはその心得を誓いとして守らなければなりません。」
「どのような誓いですか?」
「年長には従わなければならない。
嘘をついてはならない。
卑怯な手を使ってはならない。
弱いものをいじめてはならない。
松坂の武士であり続けるなら、この誓いは破ってはならない。たとえ自分が死ぬことになっても、です。」
「それはまた厳しい教えですね。特に嘘をついてはいけないなんて、誰にでもできることではありません。」
「いや、できます。わが藩の先人の武士たちは皆そうでした。だからそれに習って後輩たちは嘘をつかなくなるし、弱いものいじめもしない。正々堂々と戦う立派な武士となるのです。年長とは年下であっても上司とか、義を尽くすべき主も含みます。だから年長者は間違ったことをしてはいけない。道を踏み外してはいけない。自分を律し、常に何が正しいかを考えるようになります。でなければ部下や後輩たちが間違うからです。それは刀を持つことを許された武士として、正しく生きるために必要な教えといえます」
それを聞いてフレディは訪ねる。フレディは基一がわが国の騎士になったとして、どこまでの忠義をもつのかが知りたかった。
「ではキイチ、主が死ねと言えば武士というのは言うとおりに死を選ぶというのか?」
「死ねと言われれば腹を切って死ぬよ。主の命令だからね。だけど、主は意味もなく死ねとは言わない。もしそう命令したのなら必ず意味があるはずなんだ。主も武士の誓いを守っているんだから」
ソフィアは感銘を受けた。なんと誠実な騎士道精神なのだろう。主君を信頼し忠義を尽くす本当の騎士だ。わが国の騎士は皆そのように正しい心を持っているだろうか? どれだけいるだろうか?
「素晴らしい国だったのですね。キイチのいた国は」
「はい。戦乱の世をある武士が統一してからは二百年ほど平和が続いていました。
ですが反乱が起こったのです。私は敵に囲まれて死ぬ寸前だったところに、ここに飛ばされてきました。私は姫様の魔法のおかげで命拾いしました」
「なぜ反乱が起こったのですか? 誓いに従うならそのようなことは起こらないのではないですか?」
「この誓いは私のいた藩だけの教えです。他はまた別の誓いか、そんなものはなかったのかもしれません。反乱のきっかけは外国の介入です。それまで我が国は一切の外国との接触はなかったのです。島国でしたから同じ陸地に他の国はなかったのです。近隣の二国ぐらいは海を渡って貿易などはありましたが、まさか世の中がもっと広いものだったなんて誰も思わなかったのです。
新たに我が国に来た外国は五つほどでしょうか? 次々とやってきて開国を強制してきたのです。今まで外国との取引などしたことがないわが国は、割に合わない条件で取引されて混乱してしまった。井の中の蛙、大海を知らず、です。
弓や槍、刀が主流の我が国でしたが、外国は銃や大砲なる驚異的な威力のある武器を持ってやってきました。銃はわかりますか? 鉄の玉を火薬の爆発力で遠くに飛ばす武器です。武器だけじゃない。何か月もかけて海を渡ってくる船舶技術、栄養価の高い食べ物や丈夫な衣服、体の大きさなんか皆見上げてしまうぐらいの背丈がありました。やつらはでかくて強かった。また数も多い。聞くとどの国も国土は我が国の何倍もあるとか。我が国は世界からするとちっぽけな小国に過ぎなかったのです。
我が国を統一していた将軍は力の差にどうすることもできなかった。このままではまずいと考えた地方藩主は団結して反乱を起こしたのです。新しい政府を作り、こちらにとってもいい条件で開国し、異国の技術を取り入れた暁には今度は我が国が強い大国になろう、と」
基一はそこで酒をあおった。そして続ける。
「我が藩の誓いは間違っていたのかもしれません。いや、武士の志としてなら正しいと思います。だが間違った。外国にあおられて内戦なんて愚かなことになった。多くの武士が死に、町の人たちが巻き添えで死んだ。
藩の剣術指南役だった俺は教え子たちをまとめる少年志士たち予備隊の戦術指南役だった。まだ十代の少年志士隊は城下町を守る最後の要だ。
しかし上級志士たちは皆破れ、敵に城下まで攻め込まれてしまった」
基一は酒をまたぐいと飲む。目がうつろだ。少し飲みすぎたか、あまり酒に強くないらしい。一つ息を吐いて続ける。
「未来を夢見るたくさんの若者たちが主君のため、藩のためにと敵に立ち向かって死んでいった。
敵は外国から買った最新式のスナイドル銃を持っていた。射程が長くて百ヤードぐらい遠方から撃ってきて確実に鉄の玉を打ち込むんだ。今まで見た銃の中でも桁違いの威力だ。当たれば体に大きな穴が空いた。こっちは槍や刀だった。勝てるわけがない。
でも俺の教え子たちは義を尽くして敵に向かい死んでいった。武士の誓いを最後まで守り抜き、命令に従った。誰一人弱音を吐いたり、背くものはいなかった」
基一は酒をぐいと飲む。仲間は誰もが黙り込み、ただ基一の話を聞いていた。
「主君を裏切り、新政府軍につけば生き延びることができたのかもしれない。いや、あいつらは誓いに背くことなんてできない。だから俺が藩を裏切り、あいつらを連れて降伏すれば良かったのかもしれない。
だってそうだろう? まだ若いあいつらには戦や殺し合いなんかじゃなくて、政治や学者や商売とか、もっと立派な人生を送ることができたかもしれないんだ。国を豊かにし、誰もが平和に暮らせる国にするにはもっと広い世界を知るべきだった。大海原に乗り出して冒険して、世界の広さを知るべきだったんだ。
そしたらあいつらは俺たち年長者よりももっと立派な大人になれたはずなんだ。人を斬ることしか知らない俺たちなんかより。俺は間違った。本当にすべきことを……」
基一はそう言うとうつらうつらと眠り込んでしまった。三人は基一をじっと見つめていた。グレースは目に涙を溜めていた。
見た目は子供のようでも、その考えは自分たちよりも聡明に思えた。
「人の世とは本当に難しいものですね。何が正しく、何が間違っているかは、終わって後悔しなければわからないなんて」
ソフィアは続けた。
「キイチは剣術の先生をしていたんですね。なんとなくわかります。人を教え、導くことができる人だと」
フレディがそれに答える。
「ええ、彼の考え方にはいろいろと教えられます。この国の貴族たちに聞かせてやりたいくらいです」
まったくだ。国を混乱に巻き込む間違いは起きたが、キイチの国では反乱軍でさえ、国の未来を思っての行動だ。それに比べて我が国の貴族は私利私欲にまみれた俗物ではないか。
ソフィアは自国の行く末を不安に思いながらも、基一の考えに深い関心を持った。この人ならこの国を変えられるんじゃないか。もっといい世の中になるんじゃないか。もっと基一の話を聞きたい。教えを乞いたい。そう思い始めていた。
眠り込んでしまった基一はフレディにおぶられて宿に連れ帰った。
その姿はまるで父親にすがる子供のようだった。
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