第3話 ソフィア・オブ・アルビオン
ソフィア・オブ・アルビオン
彼女は王女である。
アルビオン王国はイーリス大陸の北西に位置し、人族が統治する大国だ。
この世界には亜人や獣人などもいる。それらを総称して人族と呼んだ。
この世界には人族の他にも魔族なる異形のものが存在する。人族の天敵といってもいい。
魔族は強大な魔力を持つ人型生物だ。魔族は魔獣などの魔力を持つ生物を捕食して生きている。
魔獣とは魔族領にいた動物が魔力を帯びて進化した生物だと言われているが定かではない。
そして同じく魔力を持つ人族も、魔族の格好の餌となる。ここでは多くの人族が魔族の餌食となっている、そんな世界だ。
アルビオンの北の境界には森が広がり、その向こうが魔族領だ。魔族は北からやって来る。
魔族に追われるように魔獣もアルビオンに南下する。そのため国内、特に北部は魔族と魔獣がはびこる地域になってしまった。そのようなところに住む人々は真っ先に魔族や魔獣の餌食となってしまう。
アルビオンの国土の中心からやや南に王都ベルファストがある。その王城でソフィアは生まれ育った。
この世界のどの国もそうだが、アルビオンは封建社会だ。王がいて、貴族がいて、平民がいる。
貴族は王から領地を賜り治めている。平民は領主に税を納め、代りに保護される。本来なら敵国からの防衛のためにこの制度が存在するが、今では魔族という、それ以上に恐ろしい人類の敵が現われ、騎士団があり街の警備がなされているが、万全とはいえない。
税の少ない小さな村や町などでは騎士がおらず、定期的な巡回のみだ。防護も木の柵か、それすらない村もある。もし魔族が群れで来れば確実に皆殺しにされるだろう。
貴族中心のこの世の中では多くの平民はいつ死んでもおかしくない状況である。
領内のすべてを守ることができない領主貴族はある程度の犠牲は致し方ないと、半ばあきらめていた。
そんなことよりも、どうやって税を増やすか、どうやってより上級の貴族に上がるか、外壁に囲まれた街に住む貴族達は危機感がなく、国を守り、国民を守るという貴族精神を無くしてしまったものが多くいるのだ。
ソフィアは幼少のころから家庭教師が付き、政治、経済、帝王学を学んだ。
多くの家庭教師は侯爵家などの貴族からの推薦によるものだったが、その内容は宮廷の作法、ダンス、貴婦人としての作法などがほとんどだった。
王女には政治や経済などの学問は不要との貴族達の主張に、父である王はそれを無視し、自らが雇った家庭教師を付けてソフィアを教育した。
貴族の多くは学ぶことをせず、能力のあるものを雇い、自分が有利になるように政治を行わせるのが力ある貴族のやり方だと考えていた。
王は貴族のそのような考えを嘆いたがもはや王だけでは貴族は動かなくなっていた。せめて我が子には国を守る正しい考えをもってほしいと、ソフィアに家庭教師を付けたのだ。
貴族推薦と王推薦の家庭教師との互いに異なる主張に、聡明なソフィアは大いに悩んだ。やがて自我が成長し、自分の考えを持つようになると、この社会の実情を知ることになった。
貴族の役職は高給で、退職後も高い年金が支払われていた。特に中央貴族や伯爵位以上の上級貴族に多く、地方や子爵、男爵位たちとはかなりの格差があった。魔物や他国から防衛する地方領は安い給料で働き、一方で中央貴族達は人を雇い仕事をさせ、自らは身なりを整えて社交界で贅の限りを尽くす。
そのため子爵や男爵達の中でも有力な中央貴族に付くことで特権にあやかろうとする者が出てきた。
そうして派閥ができ、自分たちに有利になるよう政治を動かすのに必死になっていった。
王は自ら中央の会議で国費の節約と防衛の強化を訴えていたが、実務を握る貴族たちにうまく遮られ、効果は薄いようだった。
ソフィアにはこの国がいつか滅ぶだろう未来しか見えなかった。
ソフィアは週末には教会に足を運び、母なる神ダナンへ祈りを捧げた。この世界の宗教はダナン神教のみだ。世界を創り、魔族を除いたすべての生物は母なる神ダナンが創造したとされている。魔獣や動物、そして人族もだ。
しかし魔族は五百年前にこの世界の外から来たとされている。ソフィアは人族の脅威である魔族を退け、平和な世の中となるために毎週欠かさずに教会で祈り続けていた。
十六歳になったソフィアは父や次期王となるであろう兄を助けるため、まずはこの国の本当の姿を見ようと国内を旅することを決意した。
家庭教師の勉強はほぼ習得を終え、これから二年間で王立の魔法学園に入学することになっていた。
魔法学園はその名の通り、魔法を学ぶ場所だ。
この世界では生活に欠かせないのが魔法だ。優秀な血を取り込んできた貴族が特に魔力が多い。そして魔法学園に通うのはほとんど全てが貴族の子女だった。
ソフィアは城を出て寮住まいであることを利用して、まずは王都内を見て廻ることにした。誰にも気づかれぬよう、近衛騎士であるフレディとグレースという兄妹と、三人のみで行動し、冒険者の恰好をして王都を見て廻った。
さすがに王都は活気にあふれ、国民は皆笑顔が絶えなかった。
良かった。皆幸せそうだ。
しかしそれはほんの一角に過ぎなかった。町はずれに行くと、すさんだ家が立ち並んでいた。スラムだ。
道端には生きているか死んでいるかわからない人が寝転がっていたり、こちらをじろじろ見ている子供たち。ここでは誰一人として笑っている者はいなかった。なんと王都の三割はスラム街だった。魔族や盗賊に襲われた多くの人たちが地方から王都に移り住み、碌に仕事に就けないままとなっていたのだ。
王族として何もできないソフィアはせめて一人でも多くの人を救おうと、週末にはスラムで炊き出しを始めた。
魔法学園では多くの貴族の子女たちが学び、舞踏会に出席し、おいしいものを食べ、贅沢な服や宝飾を身に着けている。
スラムではその日に食べるものも見つけられるかわからない人たちがあふれている。
貴族家のみんなはこの現状を知っているのか? 知っていて見ぬふりをしているのか? それとも知らずに私利私欲を追い求めているのか?
知らないから許されるの?
どうすればいい?
私には何ができる?
ソフィアにはこれらが同じ人という生き物であるとは思えなかった。
二年目、ソフィアは王都を出て地方領を訪ねることにした。魔法学園は欠席続きだったが、留年してもいいと思っていた。そのほうが長く世の中を見て廻ることができるからだ。
地方都市は規模は違えど王都とあまり変わらなかった。しかしもっと小さい村に行くと常に魔獣に襲われる危険な状態だった。村の周りには木でできた小さな柵しかなく、冒険者ギルドもないため時々魔獣がやってきて人を襲うらしいのだ。これでは自分の家でもおちおち寝ていられないのではないか。でも村人たちはそうするしかないのだ。
もし村を捨てて大きな町に移住したとしてもスラムに住むしかなく仕事にも就けない。それならまだ村に残って狩りをし、畑を耕した方が少しでも長く生きられるからだ。
ソフィアは旅をしながら冒険者として一頭でも多くの魔獣を倒し、一人でも多くの人が生き延びられるようにと旅をつづけた。だがそれはほんの一握りの効果しかないだろう、いや意味がないのかもしれない。
王女はこの国の現状を知るごとに、自分の無力さを知るのだった。
半年をかけて北部の境界に近いレスターの街まで来た。魔族領に近いここではたまに魔族が出るらしい。
今まで魔獣は見たことはあるが、魔族は見たことがなかった。
曰く、人型で人族よりも大きい者もあり怪力で、また人族よりも魔力量が桁違いに多く魔法も使う。人族が使う四属性の魔法ではない魔族特有のものだ。魔族は自分の体を魔力を使って強化できるものもいるらしい。
その力で岩をも砕き、人などは簡単に殴り殺されてしまうという。頭には角があり、中には人語も理解し話す魔族もいるらしい。
そして、恐ろしいことに人を食べる。男は真っ先に食べられるが、なんと女性は生殖のために犯され孕まされるというのだ。
生まれてきた子供は例外なく魔族となり、母親を食べてしまうらしい。
話を聞いただけでソフィアは気分が悪くなり、体が勝手に震えるのを止められなかった。
レスターから北門を出て平原を進むと魔族領との間に森がある。その森に魔族が出るらしい。
ソフィアは魔族がどんなものなのか、実際にみて王都にその恐ろしさを報告するべきだと考えたが、恐怖が勝り、森には入ることができなかった。自分の身可愛さにこれ以上は無理だと悟り、何もできないまま王都に戻ることにした。
レスターから王都に戻る途中、東側にあるロマリア王国との国境付近にはレクサムという町があった。
ソフィアは中継地として立ち寄った。ここはちょうどアルビオンの中ほどに位置する。しかしながらここでも魔族が現れるらしいと聞いた。
魔族にはいくつかの種族がある。最もよく出るのはゴブリンだ。ゴブリンは角無しで子供ぐらいの大きさしかなく、魔族の中では一番弱いらしいが、身体を強化する魔力で人族の大人ぐらいの力が出せる。五~十匹ぐらいの群れで行動するため何匹か倒せてもその間に数でやられてしまう危険がある。
次に強いのはオークだ。オークは大人の男性くらいの背丈だが太っていて大きく、人よりもかなり力が強い。武器として木のこん棒や、殺した冒険者から奪った剣や盾を使ってるものもいるらしい。大剣も片手で軽々振るうとのことだ。恐ろしい。
次はトロールだ。ゴブリンやオークは緑色の肌であるのに、トロールは灰色や肌色で、大体が十フィート(三メートル)以上の巨人らしい。動きは遅いがふるった腕の威力はオークの比ではなく、捕まれば人は簡単に握り潰されるとのことだ。
そして一番強い魔族、オーガだ。魔族の中でオーガは特に知能が高く、人語を話すものもいると聞く。背丈は六~十フィート(二~三メートル)と、トロールよりは小さいが人よりだいぶ大柄だ。素早い動きで武器も使う。身体強化の魔法は怪力だけでなく素早さも人とはけた違いだ。見つかればまず逃げられない。
オーガはめったにアルビオン国内では目撃されないらしい。レスターの北部か、北西のアトラス山脈だ。そこにはオリハルコン鉱山があるため、危険を承知で採掘が行われている。ブルーベル騎士団が鉱山を含めた北部を防衛している。
ソフィア達はレクサム近郊の森で魔族を討伐することにした。町の冒険者ギルドに行き、ゴブリン討伐の依頼を受ける。
冒険者ギルドとは国営の組織だ。騎士団だけでは間に合わないため、成果報酬で国民に仕事を依頼する。様々な依頼があるが魔族や魔獣の討伐依頼が多い。
依頼を受けた三人は町を出て北の森に入った。
半日ほど進んだところにゴブリンを見つけた。五匹いる。かなり小柄だ。これなら慎重にいけば倒せるだろう。三人はそれぞれの役割に応じて動いた。
ソフィアは魔法士だ。遠距離から魔法が放てるので後衛だ。また、二人がケガをした時には治癒魔法で治す支援役だった。魔法は発動までに時間がかかる。そのためソフィアの護衛として槍持ちのグレースが中衛としてソフィアの前に立つ。
前衛で盾と片手剣を持つフレディはそろそろとゴブリンたちに近づいていく。気づかれたらソフィアが水魔法で攻撃を行う手はずだった。あわよくば接近を気づかれる前に一匹でも先に倒したいと思っていたがやはり気づかれてしまった。ソフィアは予め詠唱していた魔法を放つ。
『ウォーターボール!』
水の塊がゴブリンたちを襲う。三匹のゴブリンに水球があたり吹き飛んだ。上等だ。フレディは走って近づき、他の二匹のうち一番近い一匹の首を一瞬ではねた。
「はっ!」
ゴブリンの首は簡単に飛んで行った。
弱い、いける。
フレディは二匹目にとびかかるが相手が逃げまどう。
「くそ、ちょこまかと!」
フレディはなかなか倒せないでいる。そうこうしているうちに水を浴びた三匹が戦いに参加してきた。まずい。
「グレース! フレディの援護に行って!」
「えっでも姫様の護衛を」
「私は大丈夫だから! 早く!」
「は、はい!」
グレースが加勢のために近づく。
「やー!」
フレディから気をそらせるために声を上げながら近づいていく。うまい。でもそれを見たゴブリンたちはグレースが女であることを知り、醜く笑い始めた。
「ギィヤハハハ!」
下腹部で腰布を膨らませているのを見てソフィアはぞっとしてしまった。
「グレース! 気を付けて! 槍で一匹ずつ相手するのよ! フレディは三匹を相手にして! いけるわね?」
「わかりました!」
「大丈夫です!」
しかしゴブリン達はフレディを無視して一斉にグレースに向かっていく。
「!」
グレースは驚きながらも足を止め待ち構えた。四匹が我先にとグレースに群がろうとするが、後ろからフレディが一匹ずつ倒していく。
「やらせるかっ」
続けざまに二匹を背中から切り倒した。あと二匹だ。
先に追いついた一匹をグレースが迎え撃つ。リーチの長い槍を持っているので簡単に突き倒すことができた。
「やあ!」
槍先は見事にゴブリンの胸をつき、動かなくなった。
残る一匹はフレディが追いつき、やはり背中から切り殺した。
「ギャッ」
声を上げて最後の一匹が倒れた。
「ふう、大丈夫か? グレース?」
「うん、ありがとう、兄さん」
二人は無事のようだ。良かった。しかし倒したと油断して絶命を確認しなかったのが間違いだった。
切り殺したはずの一匹が突然起き上がってグレースに襲い掛かったのだ。
「きゃあああ!」
グレースはつい硬直してしまった。ゴブリンは血だらけのままグレースに飛びついた。
「ギャッギャッ」
「い、いやあ!」
グレースを押し倒したゴブリンはグレースの腰に取り付いた。いきなり始めるつもりだ。まるでケダモノだった。
追いついたフレディが剣を振り上げる。すると、
「ギャッギャッギャッ」
叫んでグレースの首に短剣を突きつけたのだ。まるで近づくと刺すぞ、と脅しているように。
馬鹿だと思っていたゴブリンにもある程度の知能があったのだ。フレディは振り上げたままとどまる。グレースは恐怖のあまり動けないでいた。
「ひぃっ」
このままではまずい。ソフィアは向こうを向いているゴブリンに死角からそろそろと近づく、気づいていない。
二ヤード(ニメートル)まで近づいたところで飛び掛かり、杖でヤツの頭を思い切りぶん殴った。
ゴシャッッ!
鈍い音がして金属製の杖がゴブリンの頭に陥没した。脳しょうが飛び出し、グレースの顔にかかってしまった。
「ひぃぃぃ!」
グレースは恐怖のあまり顔を真っ青にしてしまったが命に別状はなさそうだった。よかった。
「ふぅ。グレース大丈夫? ケガはない?」
ソフィアはグレースの背後から体をまさぐる。
「い、いやあああ。やめてぇ!」
グレースはまだ襲われていると思ったようだが、ソフィアだと気づいて泣き始めてしまった。
「うっうううっ」
しばらくフレディと二人でグレースをあやすのだった。
初めての魔族との遭遇はグレースにとってちょっとしたトラウマになってしまった。
フレディとソフィアにとっても少しの油断が命取りになると気を引き締めるものだった。
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