第2話 戊辰戦争

 幕府の廃止を謡う新政府軍との戦争が勃発した。


 当初は幕府軍が優勢であったが天皇が新政府軍に付いたことで、多くの藩が次々と寝返り、幕府軍は崩壊していった。


 代々幕府を支えてきた松坂藩は幕府軍の中心とみなされ、賊軍として真っ先に敵が藩内に攻め込んできた。


 この戦争の主な戦術は銃撃戦だ。いち早く銃を取り入れた松坂藩も銃兵隊が主戦力だ。

 しかし、松坂を含む幕府軍の多くはゲベール銃というマスケット銃であるのに対し、新政府軍は最新鋭のスナイドル銃が導入されていた。ライフリングが刻まれたこの銃は射程も威力も桁違いだった。


 銃撃戦は新政府軍の圧倒的な優勢となっていく。


 基一は銃を持たない剣士隊にいた。若い武家の少年達をまとめる予備兵力の隊長だ。

 そこには武家の子息の他にも正道一刀流を習う商家や農家の出である村手耕作むらてこうさくたちもいた。藩の戦力増強のために下級藩士として徴用されたのだ。


 剣士隊は城下町に配置された最後の守備隊だ。しかし、主力の銃兵隊が松坂へ至る街道で敵を待ち構えるように展開していたが、圧倒的な装備と物量を持つ新政府軍に次々と殲滅され、ついに城下町にまで攻め込まれてしまった。


 基一達は町の入り口に待ち構えていたが止まることのない敵兵たちの勢いに押されながら町内の半ばまで後退していた。


 敵の銃撃に剣ではなすすべもなく、少年達は次々と倒れていった。五十人いた隊は三十人まで減ってしまった。


「ちきしょう! 銃のせいで近づく前に撃たれて死んじまう。せめて一人でも敵を道連れにしてやりたいのに!」

「でもあと三十人しか残ってない。向こうは百人ぐらい町にいるぞ。一人に一人ずつじゃ俺たちが皆死んでも城まで攻め込まれるよ」


 松坂の武士は勇敢な者が多い。藩の教育が心の強い武士たちを作り上げたのだ。少年といえど武士を名乗る者は皆勇敢だった。


 しかし基一はやるせない気持ちだった。自分の命を顧みず、松坂を守るために死ぬまで戦う子供たち。すでにだいぶ死なせてしまった。もうこれ以上は死なせたくない。


 基一は覚悟を決めた。

「おい、お前たち、よく聞け。ここで死ぬだけが戦いじゃない。簡単に死ぬことを考えるな。もっとよく考えるんだ。どうすれば松坂のみんなが生き残れるか、これからの松坂で何をすればいいかを」


「先生、でもどうやって? そんなことよりも今この戦いをどうにかしなきゃ、そんな先のことなんて考えられないよ」


 そう、基一の言うことは今はなんの役にもたたない理想だ。まずはこの戦いをどうにかしなければ、そんな未来のことなど意味がない。しかし、


「ここは俺がどうにかするさ。だからお前らはその後どうするか考えてろ。いいか、ここから動くなよ?」


 基一は残った子供たちを守るため、隠れていた家屋から一人、敵前に飛び出した。


「先生何を!」

 子供たちが騒ぎ出す。


「これは命令だ! みんなそこで見てろ! 絶対に出てくるなよ!」


 基一は刀を構える。その刀は斎藤家が先祖代々受け継いできた太刀だ。右手を刀の柄にかけ、納刀のまま半身に構える。正道一刀流の居合いだ。


 二十人いる敵の銃兵隊に立ち向かう。


 銃を持たない基一を見て、いや、それだけではない。基一は三十五歳だが十四、五歳にしか見えない容姿でかなりの童顔である。


 少年兵の一人が気がふれて飛び出しただけか、と敵は余裕の表情だ。

「おいおい、なんだあいつは。一本刀で出てきたぞ」

「まるで時代遅れだな、怖くて頭がおかしくなったか?」

「ふん、まだ子供だが敵は敵だ。ひと思いに殺すしかないな。やれ!」


 敵の持つ銃の射程は二百メートルだが、今基一と敵兵との距離は五十メートルほどしかない。必中の距離だ。


 前衛五人の銃兵が隊長の号令とともに発砲した。


 しかしその瞬間に基一の体に異変が起こる。


「ぐおおおお!」


 基一が痛みを我慢するような叫び声を上げると、その目は赤く染まり、右腕は血管が浮き出て大きく膨れた。


 敵、味方の誰もが、この小柄な男が動くこともできずに蜂の巣になると思ったがしかし、基一の体が一瞬ブレたかと思うと、


キーン!


 と、金属同士が響き合うような音がして基一の前に十個の破片が落ちた。


 五発の弾を刀で切ったのだ。


「は? なんだ? 今何があった?」


 敵兵たちは何が起こったのかがわからなかった。ただ呆然と、まだ倒れていない基一を見ていた。


 そして基一が動く。


「うおおおおお!」

 再び叫び声を上げながら前衛の銃兵に向かって駆け出した。

 剣先を後ろに向けて寝かせ、刀を右肩に担ぐように持っている。変則的な八相はっそうの構えだ。


 呆然としていた敵隊長は遅れながらも次の指示を出す。


「次弾用意、急げ!」

(向こうは剣のみ。まだ間に合う。さっきのは何かの間違いだ。次こそ仕留める)


 距離二十メートルで二射目が発射された。確実に当てられる距離だ。頭に当たればその頭が吹き飛ぶだろう。


 しかし同じく基一の体がブレたように見え、


キキキキキン!


 弾がはじかれて地面や周りの壁に当たった。


「ばかな! 信じられん!」


 言葉を発した時にはすでに目の前に基一がいた。


 上段からまっすぐに振り下ろされた刀は音もなく敵隊長の体を左右に分ける。そしてどさりと二つの塊が地に落ちた。


 その前には紫に光る何かを纏った基一が立っていた。血走った目に血濡れた刃、それはまるで野獣のようだった。


「ひ、ひいぃぃぃ! 化け物だぁ!」

「だめだ! やられるぅ!」


 残りの銃兵たちはパニックとなり、我先にと逃げ出した。


 銃では死なないやつがいる。まるで人ではない何かがいる。


 敵兵たちはありえない出来事に恐れ慄いた。


「待てきさまら! 正々堂々と戦え! それでも武士か!」


 基一が叫ぶ。しかし、隊長を無くした上に、目の前に起きた現実が理解できなかった敵は悲鳴を上げながら後退していった。



 斎藤家には正道一刀流の他に、もう一つの剣術があった。


 秘剣陽炎流(かげろうりゅう)である。


 斎藤家が松坂藩の剣術指南役を務める発端は戦国時代の先祖の武勲によるものだ。

 基一の祖先、斎藤藤十郎は足軽だった。松坂藩の前身である戦国大名に仕え、いくつもの戦に出た。


 足軽は主に槍を使って相手の足軽と戦ったり、騎馬を落とす役目だ。

 合戦では多くの者は命を落とす。特に鉄砲が使われるようになってからは飛躍的に足軽の死傷率が上がった。

 戦国時代の鉄砲は単発式の火縄銃だが、三枚もの列により代わる代わる発射される鉄の玉の雨に、足軽隊は次々と倒れていった。


 いち早く鉄砲を取り入れ始めた敵軍に対し、為すすべもない中で唯一対抗できていたのが斎藤家に伝わる秘剣陽炎流であった。

 藤十郎は飛んでくる弾をなんと刀で切り落として進み、敵の鉄砲隊に切り込んで突破口を開いたという。


 陽炎流は神速の抜刀術を持っていたとされる。

 音速に近い弾丸を見切る動体視力、刀を弾に当てることができるその反射神経は斎藤家に代々受け継がれる身体能力であるがゆえに一子相伝の秘剣術だった。


 いくつかの戦で活躍した藤十郎は幕藩体制になってから松坂藩に召し抱えられ、剣術指南役となった。

 指導する剣術は抜刀術と打刀術、いずれも一撃必殺の剣術である。

 ただ、藤十郎が戦で使った陽炎流は斎藤家の秘剣であるため、藩にはその基本剣術のみを教えていた。それが正道一刀流である。


 陽炎流は斎藤家の子孫に代々受け継がれ、基一も亡き父から伝承されていた。


 そしてこの日、基一は初めて陽炎流を実践で使った。しかも銃の弾丸を受けるのもこれが初めてだった。にもかかわらず弾切りを成しえたのは日々の鍛錬によるものだった。

 三歳の頃から父に厳しく鍛えられてきた剣術の鍛錬を今も休むことなく続けてきたのだ。


「いける」


 撤退する敵を眺めながら、基一はほっと一息つく、と同時に体の力が抜け、ばたりと倒れた。


「「「先生!」」」


 少年たちは気を失った基一を抱え、道場へと戻っていった。



「あれ? ここどこだ?」


 目を覚ました基一はあたりを見回す。するとそばにりんがいた。基一の手を握って涙目になっていた。


「旦那様! 気が付いた、よかったぁ」


 心底心配してくれていたのだろう。


「ああ、俺は大丈夫だ。だからちょっと緩めてくれるか? 痛いよりん」


「あっ! ごめんなさい! あたしったらつい」


 すがるように引っ付いてしまったことを思い出してばっと手を離すりん。


「心配してくれてありがとう。でもちょっと疲れて倒れただけだから」


 基一は心配させまいと思ってそう言ったがりんがすごい剣幕で怒ってきた。


「ちょっとじゃない! 鉄砲かいくぐって敵に飛びかかったって聞いたよ! なんでそんな無茶なことするの! 旦那様のばかぁ!」


 再度基一にすがりついておいおいと泣き出してしまった。


(くそっあいつらりんにべらべら喋ったな)

「ごめんよりん。でもほんとに大丈夫だから。な?」


 なんとかりんを宥めて佐助を呼び、三人でご飯を食べた。


「佐助、りん、聞いてくれ。この町はもうだめだ。多分近々城も落とされるだろう。

 だからお前たちは町を出るんだ。山の向こうの村に避難してくれ。あそこなら巻き込まれることはない」


「旦那様はどうするんです?」


「俺は松坂の武士だ。最後まで城を守る」


「そんな! 旦那様も一緒に逃げようよ! 死んじゃうよ!」


 りんがまた涙目になって基一を説得する。しかし、


「俺は武士だ。主を置いて逃げるなんてできない。武士はこの時のためにいるんだ。俺は松坂を最後まで守る。たとえ死んでもな」


「い、いや! お願い死なないで! そんなこと言わないで!」


「りん、ありがとうな。でも、これだけは譲れないんだ。これが武士としての役目なんだ。俺の生き方そのものなんだよ」


「でも死んじゃったらなんにもならないよ! もっと助かるやり方とかないの!?」


 基一を慕うりんはどうしても基一に生きていてほしかった。


「りん、聞いてくれ。山本が死んだ。永田もだ。俺の弟子たちが二十人も死んでいった」


「!」


「あいつらは立派に武士の務めを果たした。やり遂げて行ったよ。すごいだろ? 山本はまだ十五だった。永田は十八だ。あいつなんか後輩をかばって自分が身代わりになりやがったんだ。ははっ、なんてやつだ。自分だってまだ教えられる立場なのに。普段はみんなからからかわれてたあいつが、こんな時になったら立派な武士だった。俺の弟子たちはみんな泣き言も言わずに最後まで戦い抜いたよ」


 それを聞いたりんの目から大粒の涙がぽろぽろと流れた。もう基一を止められないことを悟ったのだ。


「たのむ。俺を最後まであいつらの先生でいさせてくれ。それが俺のやりたいことなんだ。まだ生き残ってる弟子たちもいる。俺は一人でも多くあいつらを守りたいんだ。あいつらに俺の生き様を、武士としての生き様を見てもらいたいんだ」


 りんはきつく目を閉じて手で拭い、なんとか涙を止めた。


「わかりました。旦那様ごめんなさい。りんはわがままを言ってしまいました」


「いや、ありがとうな。俺のことを心配してくれて。俺に家族はいないけど、佐助とりんは本当の家族みたいに思ってた。やさしいじいちゃんとかわいい妹だ。だから俺はお前たちが大事なんだ。弟子たちだけじゃない。俺はお前たちにも死んでほしくない。だからたのむ。村に避難してくれ」


「はい。でも、今晩はここに泊めてください。明日のご出陣にはお見送りを」


「わかった」


 これが三人での最後の夜となった。



 基一は翌朝に二人に見送られながら家を出た。それからこの家に戻ることはなかった。

 佐助とりんは隣村に移っていった。


 二人が基一に会うことは、もうなかった。



 基一は城を守るために戦い続けた。弟子たちを銃弾から守りながら。

 やがて敵からは


「白き侍、城を守るは白虎のごとく、敵を見れば皆食い殺す」


 と恐れられるようになった。

 剣士隊は黒い詰襟の洋式軍服だが、基一は自分が狙われるようにとその上に白地の羽織を着ていたため、敵からは白虎と呼ばれていた。


 しかし、名が上がれば対策も打たれる。


 今、基一たちは百丁の銃に囲まれていた。堪らず一軒の家屋に立て込んだ。

 城の小口まで戻るにはあと百メートルほどあった。城の狭間からの攻撃を恐れて退路に敵はいないが、後退する間に後ろから銃撃に合うだろう。


 隊は三十人ほどの少年たち。このままでは全員がやられてしまう。

 基一はここが死に場所と決め、少年達に告げる。


「俺が引き付けるからお前らは城へ走って逃げろ」


 その言葉に橘は答える。

「先生なにを。俺たちも戦います。まだ未熟ながらも松坂の武士として最後まで敵に背中は見せません」


「まあ聞け。これは俺の手柄だ。お前らにもこの手柄を譲る気はない。なに、仲間を救った俺は歴史に名を残せる。嫁も子もいない俺には他に残せるものがないからな。頼む、俺にこの名を残させてくれ。そのためにはお前らは生き残ってくれ」


「「「先生……」」」


 基一の武士としての最後の生き様に、少年達は皆、唇を噛みしめ、涙をこらえながら頷いた。


「いいか、よく聞け。これからは時代は変わる。今まで当たり前だったと思っていたことはそうでなくなる。でもまだ若いお前たちなら変わっていける。これからの松坂を、日本を頼むぞ」


 そして橘と村手に言う。

「あと一つ頼みがある。橘、村手、お前たち二人に正道一刀流の免許を皆伝する」


「「!」」


「ほんとはどっちかに決めなきゃなんだが、俺には決められなかった。だから二人にやることにした。流派を分けてもいいし二人で継いでもいい。二人で決めてくれ。すまんな」


 橘が答える。

「わかりました。正道一刀流を後世に伝えることを誓います。村手と二人で」


 村手も答える。

「ああ、そうだな。わかったよ先生。まだまだ未熟だけど、やるだけやってやる」


 基一は少年達に後を託すと踵を返し戸口に向かった。


 小さくも逞しい後ろ姿を、皆は目に焼き付けるように見つめた。


「持って一分だ。一射目が終わったら命がけで逃げろ。俺のためにも頼むから死ぬなよ」


「「「先生! ご武運を!」」」


 少年達に見守られ、基一が飛び出す。それを見た敵たちは一斉に発砲した。


 百発の銃弾のうち確実に当たる弾のみを瞬時に選び、三十発の弾を切る。残りは外れるか、腕や足などの致命傷ではない部分に当たるが構わず走り出す。同時に仲間に叫ぶ。


「今だ! 行け!」


 仲間から射線を塞ぐように立ちふさがる基一。その後ろで少年たちは必死に走る。自分達が死ねば基一の名声に泥を塗ることになるからだ。


 あとで死んでも今ここでは死なない。

そんな覚悟で少年たちは走った。


 何人かの敵が追いかけようとするが基一が俊足で阻み、切り捨てる。


「よくやった、お前ら」


 基一は少年達が城へ逃げ切ったことを見届けると前方の敵に向け走り出す。


「やはり化け物か!? 打て、打てぇぇ!」

 二射目が放たれる。ばらばらとではあるが全て基一に向けられた弾は流石に避けきれず、体に何発か受けてしまう。


 だが構わずに走る。

 痛みも感じない。


 体に穴が空こうが最後まで戦い、一人でも多くの敵を切る。それが秘剣陽炎流だ。


 頭に飛んでくる弾だけを切り飛ばして進む。


 前へ。


 左腕が肘からちぎれた。脇腹にも当たり、拳ほどの大きさに削れた。右腿にも受け、大きな穴が空いた。血を吹き出しながら構わず走る。

 やっと捕まえた。

 前衛の二人をまとめて片手で持った刀で切り伏せる。二列目のやつも一人切る。


 敵陣の中に入った。


 これでむやみには発砲できない。基一は次々と銃兵たちを切り続けていく。基一の周りに敵兵の腕や足がちぎれ飛ぶ。


 何人切っただろうか。 


 気が付けば何十人もの死体が転がる真ん中にいた基一は四方を敵に囲まれていた。


 ここまでか。


 深手を負いながらもまだ倒れない、紫に光る赤い目をした基一に、不気味さを感じた敵隊長が声を上げた。

「こやつは化け物だ! 人間ではない! なんとしてもここで仕留めねばならん!」

 隊長の号令で仲間に当たるのも構わずに、一斉に放たれる銃弾。


 目がいいだけに、基一は意識を失う最後の瞬間まで、飛んでくる弾を見ていた。

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