基一の剣 ~ある幕末藩士の異世界冒険譚~

星乃千尋

Chapter1 ~ Summon To Another World ~

第1話 ある幕末藩士の生活

カンッ


 木と木がぶつかり合う音が響く。


カカンッ


 少年同士が木刀を持って打ち合う音だ。


カッカッカンッ


 そしてだんだんと力の差が開き、


「はっ」


  一方が相手の頭に当てる、寸前で止めた。


「そこまで!」


 辺りが静かになり、相対した二人は互いに下がり、木刀を左腰に添え、礼をする。


「「ありがとうございました」」


 挨拶が終わると同時に周りが騒ぎ出す。


「すごかったな、今の!」

「ああ! やっぱり村手は強いな」

「あいつ何食ったらあんなにでかくなれるんだ?」

「あいつんち農家だろ? 野菜か? 野菜がいいのか?」

「そんなわけないだろ。多分畑で力仕事してるからだろうな」

「でも戸田もよく食いついたな。俺ならあそこまで続かん」


 少年達が、対戦した二人を囲んでわいわいと先程の対戦について話している。ほとんど雑談ではあるが。


 そこに一人の男が声を挟む。


「村手が強いのは鍛錬の成果だな」


「また始まったよ」

「先生は二言目には鍛錬だからなあ」


「ははは、すまんな。でも鍛錬の成果なのは確かだな。

 村手の剣筋は真っすぐで重い。剣同士がぶつかっても体の軸がぶれない。

 だから打ち合ってる間に鍛えた差が出るんだ。

 まあ戸田はまだ剣握って一年だ。これからまだまだ強くなるさ」


「はい! 先生」


「でも戸田が強くなったころには俺もさらに強くなってるぜ」


「いやまあそうなんだが。でもな村手、驕りは禁物だぞ」


「わかってるって」


「よし、次は橘と村手だ。橘が相手役を頼む」


「はい。わかりました」


 呼ばれた二人が道場の中央で向かい合う。


 橘と呼ばれた少年は木刀を正面中段に構えた。対して村手と呼ばれた少年は腰だめに、刀を納刀している状態を模した。

 この道場の剣術では居合も使うのだ。


「はじめ!」


 号令とともにお互いの間合いを探りながらゆっくりと近づく。

 居合いは敵が振りかぶる前に予想した剣閃を躱して抜刀切りを当てるための立ち会いだ。当てるといっても模擬戦では寸止めである。お互いの疎通で切った、切られたを判断する。

 一撃目が致命傷でないと判断すれば二撃目を当てる。それが致命傷でなければ三撃目、四撃目と続けていく。


 先生と呼ばれる男は剣戟を見て弟子の成長を見る。


(やはり一番うまいのは橘か。巧みに技を出すな。その次に村手だな。こいつは思い切りがいいから読まれなければ誰よりも速く剣を当てられる。うちの剣術には村手が合ってるな)


「よし、次は敵味方無しで相対してみろ。勝負だ」


「「はい!」」


 橘慶太郎(たちばなけいたろう)は十七歳で藩でも有力な武家の子息である。小さい頃から剣術を学び、様々な型を習得し、それを使い切る頭もあるので戦術の幅が広い。


 一方の村手耕作(むらてこうさく)は十九歳、武家ではなく百姓家のせがれだが剣士になって藩を守る夢があり、この道場に弟子入りしてきた変わり者だ。

 元々剣術はからっきしだったが、家の百姓仕事の合間に鍛錬を続け、五年経った今では立派な剣士となった。


 先生と呼ばれている男、斎藤基一(さいとうきいち)は武士になりたい少年たちに剣術のほか、武士の心得や藩学校で習う学問なども教えていた。


 橘と村手の二人が納刀の構えで相対した。


「はじめ!」


 号令とともにお互いに近づく。先手を打ったのは村手だ。

 左腰から抜刀し、相手の胴を右へ横なぎに木刀を振りぬく。

 しかしその動きを読んだ橘は村手の抜刀の剣閃に合わせるように剣を上に抜き、剣先を左手に残して村手の剣を受けた。


カン!


 剣と剣がぶつかる。村手の剣は相手の剣を薙ぐようにしてそのまま右へ流れる。橘はその一瞬に残った剣先を左手から抜き、下から刃を前に振り上げる。村手の正中を狙った剣閃は顎に当たる、直前で止まる。


「そこまで!」


 開始からすぐに勝敗が決まる。剣が振られる一瞬をお互いに読み合い、躱し、そして切る。尋常の剣同士での勝負とはそういうものだ。この勝負は橘の勝ちである。


(村手はやはりまだまだ橘には勝てないか)


「二人ともよくやった。橘、さすがだな。術はやはりお前に分があった。だが村手もすごいぞ。一撃の思い切りは良かったし、橘で無ければ躱せなかったかもしれないな」


 基一は褒めて伸ばすタイプだった。


「「ありがとうございます」」


 二人は剣を腰あたりに納め、お互いに礼をして下がった。


「よし、じゃあ今日はここまで」


先生と呼ばれる男が言うと皆が一同にそちらを向いて挨拶する。


「「「ご指導ありがとうございました」」」


 そして今日の稽古が終わる。



 道場に通う弟子は百人ほどだ。基一は三十人ぐらいを代わる代わる指南をしており、ほぼ毎日道場で稽古を付けていた。


「先生! これうちの父ちゃんからだ。食べてくれよ!」

 村手が家から持ってきただろう芋や大根をくれた。


「いつもありがとう村手。親父さんによろしく言っておいてくれ」

 村手の他にもいろいろな弟子たちから酒や漬物やらを置いていくので独り身の基一には食うに困らない。独り身といっても家に帰れば中間と女中の二人の奉公人がいて、飯の支度などは女中がやってくれる。


「武家の子息以外にも弟子を取るなんて、先生は素晴らしい方です。私は尊敬いたします」

 橘が基一を褒める。上級藩士の子供の稽古とそれ以外の者への稽古は日で分けていた。だが上級藩士の出であるにもかかわらず橘だけは関係なく稽古をつけてもらいに来る。今日のように。


「剣は戦うだけでなく心も強くするからな。商人や百姓の子供たちだって心が強ければ立派な商人や百姓になる。俺はそんな子供たちが大人になったらこの藩はもっともっと良くなると思うんだ」


「本当に素晴らしい考えだ。感服いたします」


「そんなに褒めるなよ。俺はそんなに大したもんじゃない。剣しか知らない男だ。だが、弟子たちは剣も知ることで俺なんかよりも立派な大人になってくれる。俺はただそれが見たいんだよ」


「私はそんなあなたに教えていただき幸せです。これからもよろしくお願いします。それでは」


「ああ、気をつけて帰れよ」


(橘はいいやつだな。武士であっても他者を見下さない。なかなかできることじゃない。やはり跡継ぎはあいつかな。でも橘家がなんというかな。正道一刀流は剣術指南といっても一番格下だ。あいつがやりたいといっても家の人たちが他の流派を選ぶだろうなあ。まあ駄目なら村手に継いでもらうか)

 そんなことを考えながら弟子たちの帰りを見送っていく。


「山本と永田は家遠いだろ? 今から帰っても晩飯時より遅くなるからウチで飯食ってけよ」


「ほんと? いいの?」

「ありがとう先生。今日は帰りながら芋でもかじって済まそうと思ってたんだ」


「そんなんじゃ村手みたいにでかくならんぞ。ただでさえ永田は痩せぎすなんだから」


「ははは、そうだね。じゃあ今日はごちそうになります。基一先生」


「じゃあ帰るか。といってもうちは隣だけどな」



 ここは日本の東北、松坂藩の城下町。後に幕末と呼ばれた時代である。

 斎藤基一は剣術道場を営む松坂藩士だ。

 道場は松坂城のすぐ近くにある。基一が教える正道一刀流は藩の秘匿剣術の一つであり、基一はその指南役だからだ。

 そのため剣術を習う弟子の多くは武家の者が多い。

 しかし基一は門戸を広げ、今日のように商家や農家など、武家意外の、剣に興味を持つ子供たちにも教えていた。

 今日家に呼んだ山本卓次(やまもとたくじ)と永田栄助(ながたえいすけ)の二人は武家の子息ではあるがその中でも下級であまり裕福ではなく、また兄弟も多いこともあり、いつも痩せた体で道場に通ってきていた。見かねた基一がなにかの理由をつけてはたまに家に呼んで晩御飯を食べさせていたのだ。


「ただい、、」ガタガタ

 基一が戸を開けようとすると途中で戸がなにかに引っかかってしまった。


「おかえりなさい旦那様。あら、また戸が開かなくなったのね。じいちゃーん! 戸が壊れたから直しといてぇー!」


「おーう、わかった」


 家の奥で答えるのは中間の佐助だ。基一の祖父の代から奉公人として仕えている。

 孫娘のりんは女中として斎藤家で働いている。

十五の時から来てもう二年になるので十七歳だ。基一は妹のようにかわいがっていた。


「りん、卓次と栄助にもなにか食わせてやってほしいんだけど」


「あらいらっしゃい。わかりました旦那様、じゃあ今晩はこづゆにしますね。ささ、みんな入ってください」


「お、お邪魔します」

「お、お、お世話になります」

 二人共少し顔を赤くしながら挨拶が吃る。


(こいつら照れてるな。まあ、りんは気立ても良くて別嬪だからな)

 身内贔屓でなくとも整った顔立ちのりんが良く見られるのは悪い気がしない。


 実はりんは密かに基一のことを慕っているのだが、基一は朴念仁のため全く気付いていない。


「じゃあお着換えを手伝いますね。旦那様、早く部屋に上がってください」

 りんが弟子たちの前で甲斐甲斐しく基一の世話をする。


「あ、ああ、でも着替えは自分でするからいいよ」


「駄目です。旦那様の身の回りのお世話は女中である私の仕事なんです。旦那様、私から仕事を取らないでください」


「そういわれると仕方ない。わかったよ」


 基一は妹のように思っているりんにあまり仕事をやらせたがらない。

 一方でりんは基一の世話をしたくてしょうがない。


 りんは基一の手をつかんで部屋に引きずっていく。


「先生は家じゃまるで威厳がないね」

「はは。あれじゃまるで姉弟みたいだね」


 基一は三十五歳だ。しかし、見た目がまるで子供にしか見えない容姿をしていた。

 背丈は百五十五センチ。この時代では決して低過ぎるということはないが、顔がかなりの童顔で体の線も細く、十二、三歳か、よく見ても十五歳ぐらいにしか見えなかった。


 そんな基一は親もなく独り身だ。

 母は基一を難産の末に生んですぐに亡くなっている。父は十年前に病気で亡くなった。兄弟や親戚といえる者もいない。

 彼は亡き父の跡を継いで剣術道場を営んでいる。また、代々藩の剣術指南役を務めており、十歳から二十歳までの少年志士達に剣術を教える役目で、基一は七代目だ。


 しかし基一の跡継ぎはまだいない。今まで全く縁談もなく、弟子たちは子供ばかりで出会いもない。二十歳から道場の師範代となり、二十五歳に父から跡を引継ぎ、剣術指導に明け暮れ、気付けば三十五である。


 別に武家の娘さんにこだわっているわけではない。器量が良ければ町民や商人、百姓の娘さんでも来てくれればもろ手を上げて歓迎したのだが出会いが一度もなかった。


 おまけにこの容姿である。


 道場で弟子たちと稽古をしているとまるで基一のほうが弟子にしか見えず、逆に十五歳の少年達のほうが逞しく立派に見えた。


 彼が現代の日本にいたなら、おそらくはそれなりの趣向を持った女性に好かれていたかもしれない。

 だがここは幕末、男らしく、何ならおじ様でも包容力のある男性が好まれ、またこの松坂は女性が少ないのもあった。

 基一は年齢と容姿の激しいギャップに異性からは気持ち悪がられ、結婚相手として敬遠されていたのだ。


 なので基一は弟子の誰かを師範にして剣術指南役とともに跡を継いでもらおうと思っていた。

 家族のいない基一だが、家ではじいちゃんのような佐助と、妹のようなりんのお蔭で寂しくはなかった。

 本当の家族ではないが家に帰れば二人が出迎えてくれる。

 独身で跡継ぎはいないし、それ以前に結婚も無理だろうが、道場は弟子たちに継いでもらえたら、と考えていた。


 正道一刀流は戦のための剣術だ。相対すれば何も考えずに集中し、必ず一撃を入れるまで止まることはない。一度剣を振れば邪魔や横槍が入ろうが必ず振りぬく。そんなまっすぐな剣だ。

 そして一刀流の剣士はめったに剣を抜かない。脅して使うなどもってのほかだ。

剣を握るとき、それは確実に相手を仕留めると決めた時だ。

 さすがに稽古では木刀を使うが、そんな剣術の指南を受ける少年たちは常にあざだらけである。だが誰も文句を言わずに厳しい鍛錬を積んでいる。


 家族や大切な人、周りの人たちを守りたい。

 将来は藩のために一人前の藩士となりたい。

 これから変わるであろう日本で活躍したい。

 そんな志を持つ少年達だ。


 この剣術はそんな少年たちの強さの一助にでもなればいい。

 武士にならなくとも立派な大人になってくれればいい。

 基一は弟子たちがこの国で活躍してくれることを夢見ていた。


 しかし、その夢を叶えることができない出来事が起こる。

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