第12話(魔法なき日々⑤)11歳


 わたしは足早に広場から離れた。

 ゴブリンに見られているかと思うと、一刻も早くこの場を立ち去りたかった。


 サムエルが歩きながらわたしを気遣う。

「大丈夫ですか。顔色が真っ青ですよ」

「サムエルさま、さっきのゴブリンの言葉、聞こえましたか」

「さぁ、わたしには何も。アイカさまは、何か聞こえましたかな」

「いえ、聞こえなかったなら、いいです」


 あの言葉が頭の中で鳴り響いていた。


 オマエハニンゲンナノカ。

 お前は人間なのか。

 

「アイカさまは、失礼ですが、魔法使いなのですね」

「そうです。いまは魔法が使えない魔法使いだけど」

「あなたは尋常ではない魔力の持ち主のようだ。わたしなどには見えないものが見え、聞こえない声も聞こえるでしょう」


 露店の前で待っていたソフィアの姿が見えた。わたしは走って駆け寄ると、ソフィアに抱きつき、彼女の胸に顔を押し付けた。


「あらあら」

 ソフィアは笑いながら、わたしをギュッと抱きしめた。


 今ならわかる。

 この頃のわたしは、むき出しの刃のようなものだった。魔力を抑えることも、制御することもできず、常時垂れ流している状態だ。レイン家には魔法使いがいないから、誰からも指摘されず、自覚していなかった。


 魔獣と通常の獣との違いについても触れておこう。獣の中でも、魔力に反応したり、魔力を扱ったりできるものが魔獣だ。


 ゴブリンは魔獣だ。高度な魔法が使えるわけではないが、体内でわずかな魔力をつくり出せる。それを爪や牙に纏わせて攻撃するのだ。だから、通常の獣(例えば熊や狼)よりも攻撃力が高い。


 魔獣は当然ながら、魔力には敏感だ。広場にいたゴブリンはおそらく、わたしの過剰な魔力に反応したのだろう。


 このままでは、駄目だ。

 わたしはようやく気づいた。

 わたしはやはり魔法使いなのだ。


 家族があんな風に死んで、もはや魔法には関わりたくないと思う気持ちがあった。

 また、ソフィアに出会って以来、わたしは「この安らかな暮らしがずっと続けばいいのに」と願うようにもなった。

 

 だが、それは儚い夢だ。

 ゴブリンに遭遇しただけで、メッキが剥がれてしまう。そんなかりそめの幸せだった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 わたしが魔法を発動できない理由も、薄々気付いていた。


 もともと技術が足りないせいもあるし、精神的なショックが重なったせいもあるかもしれない。でも、一番の理由は、父と母とイーダの紋章を受け継いだことではないか。


 わたしの魔力が跳ね上がり、地・水・火・風の四つの属性が体内に混在したことで、魔法のコントロールが効かなくなっている。


 このままではどうしようもない。

 でも、どうすればいいのか分からない。


 その夜、わたしはソフィアの部屋に行くと、洗いざらい打ち明けて相談した。


 それにしても、魔法のことを相談する相手として、ソフィアほどふさわしくない相手はいないだろう。ソフィアは魔法使いではないし、魔法使いが嫌いなのだ。


 しかし、わたしはゴブリンの一件ですっかり参って、心が折れてしまっていた。わたしの身の回りで頼れる相手は、ソフィアのほかにはヨハンナ位しかいないのだ。


 わたしはソフィアのベッドに図々しく入り、彼女の腕の中に収まると、話し始めた。


 ソフィアは最初のうち、わたしの背中をトントンと優しく叩きながら、寝物語として聞いていた。だが、話が魔法の話で、しかもかなり重要であることが分かると、「ちょっと待って」と言って、わたしをさえぎった。


 ソフィアが身体を起こす。わたしも身体を起こした。寝間着姿の少女が二人、ベッドで向かい合って座る形になった。


 ソフィアは「うーん」と考えこんでいたが、「わかったわ。覚悟を決めて話を聞くから、もう一度、最初から話してくれる?」と言った。


 わたしはソフィアの前で正座をすると、いまの状況を時間をかけて説明した。


 話を終えると、ソフィアが長い息をついた。


「深刻ね。思ったよりも、ずっと深刻だわ」

「うん、自分でも、そう思う」

「ちょっと頭の中を整理させて」

「ソフィア、無理を言ってごめんね」

「ううん、大丈夫よ」

 ソフィアはニッコリ微笑むと、わたしの手を握った。


 ソフィアは時間をかけて考えた後、わたしに言った。

「正直言って、わたしは魔法のことは全然わからない。でもこの問題は、じゃあ魔法使いなら解決できるかというと、そうではないと思うの。例えば、サムエル先生に打ち明けられるような話じゃないわよね」


「うん」

「わたしが思いつく対応は、二つあるわ」

「うんうん」

 そこでソフィアがまず挙げたのは「調査官」という言葉だった。


 レピスト家で起きた襲撃事件については、直後からノール帝国の宮廷がいろいろ調べている。


 貴族の当主が何者かに殺されたのだ。ただで済む訳はない。調査に当たっているのは、宮廷の中でも、魔法に関わる重大事案を扱う専門の調査官だった。


 わたしももちろん事情聴取されている。

 最初に話を聞かれたとき、「信じてもらえないだろうな」と思いながら「終幕の魔法使い」という言葉を出した。

 すると、その場の空気が凍りつき、対応する人間が偉い人に変わり、緘口令が敷かれることになった。


 わたしが子供で当初は寝込んでいたこともあって、事情聴取は複数回にわたっている。近々、帝都からまた調査に来るという話をヨナスから聞いたばかりだ。


 ソフィアが言う調査官というのは、そのことだ。彼らに相談するのはどうか、という考えだった。


 もしも、この話をヨナスに相談したら、彼もそう助言するかもしれない。その考えは筋が通っているし、極めて現実的だ。


 だが、わたしは漠然とした不安を感じていた。

 ソフィアも言った。

「アイカが帝都に連れて行かれちゃうかもしれないよね。調査官にそんなことを話したら」

「うん、わたしも、そんな気がする」


 わたしはこれまでの事情聴取において、父や母やイーダの紋章を譲り受けたことは話していない。この話は、自分たちの家族だけで大切に扱うべき話で、他人に踏み入られたくない。そんな風に考えていた。


 だから、調査官の助力を仰ぐとしても、何をどこまで話すべきか、悩ましいところだった。


「もう一つの考えを言うね」

「うん、教えて」


 ソフィアは立ち上がると、いったん部屋の隅のライティングビューローまで行った。そして引き出しを開けて、何やら探しものをしてから、また戻ってきた。


「二つ目は、これ」

「何それ」


 それは鍵だった。小さくて古い、蔓草の装飾が施された銀色の鍵だ。いったい何の鍵だろう。


 ここが分岐点だった。

 いま思えば、わたしの魔法使いとしての新たな人生は、ここから動き出したのだ。

 そういう意味では、わたしがソフィアに相談したのは正しかった。














 

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