第7話(幕間 帝都にて)19歳

 また長い夢を見ていた。


 これまでも、何度も繰り返し見た夢だ。

 いや、夢だったのか、それとも現実だったのか。

 もはやわからない。


 わたしはソファから身を起こすと、窓ガラスごしに外を眺めた。


 いつのまにか、雨が雪に変わっていた。

 窓から見える石造りの建物に、うっすらと今年最初の雪が積もっている。

 帝都ノルンに、冷たく長い冬が訪れようとしている。

 わたしは床に脱ぎ捨てていたマントを拾い、肩に羽織った。


 扉が開き、部屋に誰かが入ってきた。

 足音でわかる。ヘルミだ。

「アイカさま。あっ、また寝ていましたね」


 ヘルミはつかつかとソファに近づいてきた。

 いつもながら雌鹿を思わせるしなやかな動きだ。

 彼女はわたしの護衛であり、世話係でもある。わたしより2つ歳下で、真珠ヘルミの名にふさわしく、とても愛らしい。


「もう、あれほど寝ちゃダメですよって、言ったじゃないですか」

「寝てないわ」。わたしは答えた。「ちょっとウトウトして、意識を失っていただけよ」

「それを寝ているって言うんですよ!」


 ここは魔法学校の敷地内にある研究棟だ。

 わたしは帝都の宮廷魔法師団に所属しているが、普段は魔法学校の研究生として学内に部屋を与えられていた。ノルンには自邸もあるが、帰宅が面倒なので、ここで一日中過ごすことが多い。


 ヘルミはソファのまわりに散乱している本や羊皮紙を片付け始めた。

「覚えていますか、今日は宮殿に呼ばれているんでしょう」

「あ」


 ヘルミの手から羊皮紙の束がバサリと落ちた。

「嘘ですよね。もう、信じられない」


 ヘルミは続きの間に駆け込むと、着替えを一式持ってきた。そして、わたしの寝癖で絡まった髪の毛をブラシでとかし、部屋着を脱がせて新しいシャツを着せて、宮殿用のローブを被せた。


 わたしは窓の外で舞う雪を見ながら、されるがままだ。


「ふぅ、これでよし。まったく、アイカさまは、わたしがいないと、何もできないんだから」

 わたしは、クスリと笑った。

「そうね。わたし、ヘルミがいないとダメなの。あなたがいないと何もできないわ」

 するとヘルミは顔を赤らめ、パッと目をそらした。


「……ズルい」

「え」

「そのきれいな顔で、そんなこと言うのは、ズルいです」

「何それ」

「もう! わたしのことは、いいんです。それより時間がありませんよ。馬車を呼びましょうか」

「要らないわ。ひとりで歩いていくから」


 雪を眺めながら、歩きたい気分になっていた。


 ヘルミがロビーまで見送りに来た。

「気をつけてください」

「心配しなくても、大丈夫よ。宮殿はすぐそこだから」

「アイカさまが誰かに迷惑をかけないかが心配で」

「え、ひどい」


 今日は皇太子や師団長らも同席する。極めて真面目な軍議だ。偉い人たちに睨まれるのは、さすがのわたしも避けたい。


「それから、遅れないようにしてくださいね。アイカさまに言うのも何ですけど」

「わたし、遅刻はあり得ないから」

「そのセリフが怖いんですよ。遅刻を逃れるために、すごい魔法とか使わないでくださいよ」

「……はい」


 石畳が雪で覆われていた。


 帝都ノルンは整然と放射状に伸びる大通り沿いに、石造りの建物が並ぶ。「北の宝石」と呼ばれる美しい都だ。


 大陸屈指の大都市だが、もちろん美しい街区ばかりではない。大通りから少し中に入ると、未舗装の道や貧民街もある。


 宮殿に向かう途中、高台をつなぐ橋に差し掛かったところで、花売りの少女がいた。

「魔法使いさま。お花、どうですか」

 7、8歳だろうか。綿のシャツに薄いマントを羽織った寒々しい服装だ。雪が降るなか、花を手籠に入れて売っていた。


 魔力は感じない。

 ただの子供で、ただの花だ。

「すてきなお花ね」

「うん、今朝、妹と摘んできたの」

 あかぎれの浮かんだ指で、麻紐で束ねた白い花を見せてくれた。


「そう。何のお花?」

「レースフラワー」

「籠に残ったお花、全部もらうわ」

 そう言うと、少女がパッと笑顔になった。


 銅貨を多めに渡すと、戸惑いの表情を浮かべた。

「いいのよ、どうぞ」

 そのまま握らせた。

「魔法使いさま、どうもありがとう」

 少女は橋の横から高台の下へと降りる階段に向かってパッと走り出した。


 少女が階段の手前で立ちどまり、「ふふふ」と笑いながらクルリとその場で回ってみせた。

 階段に足をかけたところで、わたしは声をかけた。

「雪で滑るから、気をつけて」

 だが、少女は3段ほど降りたところで、足を滑らせ、そのまま階段の急勾配を真っ逆さまに落ちた。


 少女が階段の手前で立ちどまり、「ふふふ」と笑いながらクルリとその場で回ってみせた。

 階段に足をかけたところで、わたしは少女の肩をつかんだ。

「雪で滑るから、一緒に手をつないで降りよう」

「うん、わかった」


 わたしたちはゆっくりと注意深く階段を降りた。全て降り切ったところで、わたしは少女を見送った。少女は橋の下をくぐり、貧しい者たちが住む街区へと帰っていった。


 わたしは少女が落ちたあの瞬間、時間を巻き戻したのだ。


 三秒間だけ。


 時間魔法の中でも巻き戻しはめったに使わない。周囲に与える影響が大きく、魔力の消費量も格段に多いためだ。間違いなくヘルミには怒られそうだが、まぁ、この状況なら許してもらえるだろう。


 薄く積もった雪に足跡をつけながら、わたしはゆっくりと宮殿に向かう。軍議には場違いな、白い花束を手にして。


 灰色の空から、雪が降りしきる。


 わたしはこの季節になると、レイン家で過ごした数年間を思い出す。


 雪深い辺境のあの屋敷で、わたしは忘れ難き親友と、そして魔導書グリモワールの魔女に出会った。


 すべてはいまここに、

 わたしがいま居る、この時、この場所へと、つながっているのだ。


 


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