時計じかけのグリモワール

やなか

プロローグ(最初の戦い①)14歳

 初めて時間魔法を実戦で使ったとき、わたしは14歳の少女だった。


 もう何年も昔の話だが、いまだにやるせなく、思い出すと胸が痛む。


 わたしの名前はアイカ・レインという。

 当時は帝都で魔法の修行中で、その日は薬草の調達のため、乗合馬車で郊外に向かうところだった。


 初夏だった。

 車窓から吹き込む風が心地よい。


 見ず知らずの客と相乗りになるのが嫌なので、普段は乗合馬車など使わない。この日は屋敷の馬車が出払っていたので、ふと思いついて乗ってみたのだ。


 乗合馬車には護衛として魔法使いが同乗していた。まだ若い青年で、火属性の魔法が得意らしい。真新しい深緑色のローブを羽織っていた。


 帝都では魔法使いはローブを着るルールがある。わたしはルールを守らず、ローブを着ていなかった。周囲に魔法使いだと誇る気はなかったし、人前で魔法を見せることもなかった。


「魔法使いなんて、なっていいことは全然ない」

 わたしはそう思っている。むかしも、いまも。

(じゃあ、わたしはなぜ魔法の修行をしているのか。その話は長くなるので、いまは割愛する)


 目立ちたくないという思いは、服装にも表れていた。わたしは自分で言うのも何だが、容姿が整っている。黒い髮と青い眼の組み合わせも珍しく、人目をひいたのだ。外出時はなるべく地味な格好を心がけ、簡素なマントを頭から被っていた。


 旅程の三分の二を過ぎたところで、隣りの席の同じ年頃の娘が話しかけてきた。

「あら、あなた、女の子だったのね」

 窓から吹き込む風でわたしのマントのフードが外れ。肩の長さまで伸ばした黒髪が風に舞ってしまったのだ。


「それに、あなたって、とってもきれいね」

「いえ、えっと、ありがとう」

 心の準備をしていなかったので、対応がしどろもどろになってしまう。


 娘は貴族の屋敷で働く使用人で、休暇で里帰りするそうだ。わたしが同じ年頃と知って、嬉しくなったのだろう。仕事の愚痴などを一方的に喋り始めた。


 悪い気はしない。誰かと他愛のない会話をするのは久しぶりだ。そう思っていたら、馬車が急に減速した。


 窓から外をうかがったわたしは、一目で事態を察知した。野盗だ。


 前方で男が3人、剣を手に馬車の進路を遮っている。その後方には馬に乗った男も1人見えた。馬車が大きく揺れて止まり、隣の娘が悲鳴をあげてわたしにすがりついた。


 当時のわたしは未熟だった。不運だったのは、護衛も経験不足だったことだ。成長した現在のわたしなら対応は決まっている。御者に命じて、そのまま突っ切る。馬車をとめるのは悪手だ。

 

 さて、護衛は馬車から降りて、野盗と向き合った。この時点では、彼にはまだ余裕があったろう。野盗など恐れることはない。そうたかをくくっていたに違いない。


 魔法使いの弱点は何か。

 わたしはそんなことをよく考える。そのひとつは、魔法を使えるがゆえの慢心だと思う。火属性の魔法が得意なら、護衛は先手をとって火球などで攻撃を仕掛けて牽制すべきだった。


 突然、後方にいた馬上の男が魔法を放ってきた。風属性の攻撃魔法、風の刃だ。魔力を飛ばして相手を傷つけるカマイタチのような技だ。


 風の刃の威力は致命傷を与えるほどではない。

 だが、護衛は野盗が魔法で攻撃してくるとは予想していなかった。次々と飛んでくる刃を食らって棒立ちになったところへ、剣を持った三人が襲いかかり、護衛をめった斬りにした。


 一瞬の出来事だった。護衛は魔法を一度も見せることなく、その場に倒れた。


 ああ、最悪だ。

 わたしは自責の念に駆られた。もしも、わたしが魔法使いであることを事前に護衛に伝えていたら、どうなっていただろう。護衛はいったん下がってわたしと連携する戦略を採ったかもしれない。

 いや、今はそんな反省をしている場合ではない。


 野盗の頭領らしき男が大きな声を張り上げた。

「乗客はみんな降りろ」


 乗客は5人で、娘と私のほかは、使用人らしき少年と、年配で善良そうな農家の夫婦だった。御者は老人だ。野盗に対抗できそうな者はいない。

 わたし以外には。


 わたしが何とかしなければ、絶望的だ。

 このままだと野盗は御者を殺し、夫婦から金を巻き上げて殺し、少年を奴隷商に売り、そして娘と私を連れ去るだろう。


「早く降りてこい。火をつけるぞ」


 野盗の声に、農家の夫がふらふらと立ち上がる。

「待ってください」

 わたしは意を決して乗客に呼びかけた。「みなさん、馬車から降りてはいけません」

 農家の夫がきょとんとして、小娘が何を言っているのか、という顔をした。かたわらの娘も、物言いたげにわたしを見た。


 わたしは時を操る時間魔法の使い手だ。

 時間魔法はあらゆる魔法の中で、最も難易度が高い、最高レベルの稀少魔法だ。この帝国で時間魔法を扱える魔法使いは、わたしだけのはずだ。


 とはいえ、この時点で習得していた時間魔法は、たったひとつだけ。時間停止のみだった。

 しかも停止できるのは「息をとめている間だけ」という制限があった。呼吸をしたら、魔力が乱れて魔法が解けてしまうのだ。


 稀少魔法だなどと偉そうなことを言っても、何とも不完全な代物だ。わたしは風属性などの通常魔法も使えなくはないが、精度に自信がない。不完全でも、時間停止で勝負するしかなかった。


「大丈夫、絶対に、助けるから」

 心配そうにこちらを見つめる娘にそう言った。

 乗客に頼んで荷台の積荷などから麻ひもを集めてもらう。その間に体内で魔力を練り上げた。

 呼吸を整え、精神を集中し、心の中で念じる。

「時よ、とまれ」


 その瞬間、一切の物音が消えて、わたしの周囲が静寂に包まれた。


 時はとまった。成功だ。動けるのはわたしだけ。ここからさき、世界はわたしひとりのものだ。


 わたしは扉を開けて馬車を降りた。狙いは決めている。まず最初は馬上の男だ。魔法使いから仕留めなければならない。


 馬車の前には護衛が倒れていた。うつぶせなので表情はわからないが、血だまりが広がり、地を赤く染めていた。絶命している。護衛を囲むように、男が三人、剣を手に立っていた。

 それを見たわたしの鼓動が速くなり、涙と吐き気がぐっと湧き上がる。


 ここで動揺したら、だめだ。

 いったん目を閉じ、心をしずめて吐き気を抑え込む。哀れな護衛と三人の男の横を通りすぎた。


 馬上の男まで、30メートルほど離れている。走って駆け寄りたいが、呼吸が乱れたら終わりだ。


 注意深く歩を進め、馬上の男の前に立ったとき、すでに30秒ほど経過していた。停止できるのは、せいぜい100秒くらいだ。


 時間停止はすばらしい可能性を秘めている。とまっている時のなかでは、何でもできるし、わたしはあらゆる攻撃を受けることがない。


 ただし、短所もあった。

 息をとめている間だけ、という制限に加えて、もうひとつ。とまっている時のなかでは、他の魔法が発動できない。魔法の二重がけができないのだ。

 だから野盗への攻撃は、わたしが自らの手で行うしかなかった。











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