3 見知らぬ世界

 その男は頭に制帽を被り、脚には革の軍靴(※ブーツ)を履いて、腰には銀色に輝く鞘のサーベルのようなものも提げています。


「顔色が悪いようだけど、どこか体調でも悪いのかな?」


 戦前の憲兵のようなその男が、目深に被った制帽のひさしの影から僕を見下ろし、再度、そう尋ねてきます。


「……え、いや、あの……あっ!」


 不意のことに驚き、しどろもどろになりながらも口を開いた僕でしたが、なんとなく見た男の襟に〝旭日章〟の徽章が着けられているのがわかりました。


 警察!? この人、警官なのか? でも、よく見るような制服じゃないし……こんな軍服みたいの着ている警官もいるのかな? いや、もしかして、自衛隊の中の憲兵的な立場の人とか?


 この異常事態にきっと青褪めた顔になっていたでしょうし、辺りをキョロキョロと挙動不審に見えたために、僕に声をかけてきたのかもしれません。


 警官にしろ自衛官にしろ、この状況について何か明確な説明を僕に与えてくれるかもしれない……。


「ん? どうかしたの?」


「あ、あの……じつは僕、道に迷ってしまったみたいで…」


 藁にもすがる思いで、そう答えようとした僕でしたが。


「…ガガ……本部より各位へ。本部より各位へ。A駅西口のライヴハウスで反革命的アメリカ音楽の集会開催の疑い。付近にいる人民警察官は至急向かわれたし……」


 ちょうどその時、男の肩に着けられた無線機から、そんな雑音混じりのくぐもった声が聞こえてきたのです。


「チッ…反革命分子め……君、駅はあっちだから。とりあえず駅に行ってみなさい!」


 その通信を聞くと、男は苦虫を潰したような顔で舌打ちをし、僕にそう助言を与えながら走り去って行ってしまいます。


「は、反革命分子って……ほんとに共産圏みたいじゃないか……」


 それまではそこはかとない、不定形のぼんやりとした不安でしたが、僕は急にリアルな恐怖を感じるようになってきました。


 何がどうなっているのか理屈はわからないけど、ここが僕の知る民主主義的な日本ではなく、独裁的な共産圏の社会になってしまっているのだとしたら……その、反革命的だというアメリカ文化にもどっぷりと浸かって育った僕は、確実に取り締まられる対象なんじゃないだろうか?


 偶然にも通信が入って立ち去ってくれたけど、あの警官と話をしていたら、余計なことを言ってしまって危なかったかもしれない……ともかくも、早くこんなとこ立ち去らなければ……。


でも、この街はどこへ行ってもこんな感じだった……いったいどこまでこの状況は続いてるんだろう? もし、日本列島のすべてが、こんな世界に変わってしまっているのだとしたら……。


 そもそも、どうしてこんなことになったんだ? 家を出る時も、電車に乗っている時もおかしなことはなかったはずだ……そうだ! 思い返せば駅の改札を出た時からこの違和感は始まった……なら、改札を反対に潜れば、もとの世界へ戻れるかもしれない……。


「とにかく……とにかく駅に戻らないと……」


 それで、本当にこの問題が解決するのかは半信半疑でしたが、他に何かいい方法が思いつくこともなく、僕はA駅へと急いで向かいました。


 僕はさほどオシャレに気を遣う性質たちではなかったので、この日もシャツにチノパンという地味な恰好をしていましたが、どこか反革命的な服装に見られはしまいかと、その道すがらも内心ビクビクしてしまいます。


 なんだか、通りすがる人達が皆、僕を異分子として見ているのではないか? あそこでおしゃべりをしている女性達は、僕のことをひそひそウワサしているんじゃないか? そんな疑心暗鬼にも思わず捉われます。


「……早く……早くここから離れないと……」


 焦る気持ちから自然と歩調は早くなり、走るまではいきませんでしたが、ハァ、ハァ…息があがるくらいにまで速度を上げてしまいます。


「……あ! あった!」


 まるでまったく見知らぬ街を歩いているような感覚を覚えつつ、本当にこの方向であっているのかさえもわからなくなりながら歩いていた僕の目に、ようやくA駅が見えてきました。


 見憶えのある駅舎のはずなんですが、こうして改めて眺めてみると、やはり共産圏の建物にある美意識を感じるというか、一昔前の流行りを取り入れた、レトロ・フューチャー的な建築物のようにも見えてきます。


「……あの改札を……あおの改札を潜りさえすれば……」


 東欧諸国にあるようなデザインの歩行者用信号が青になるのを待って、駅前の大通りを渡った僕は急いで西口改札へ駆け込みます。


「……ハァ……ハァ……頼む! どうか戻ってくれ……」


 そして、スイカ・・・を取り出すと、それをかざして自動改札を潜りました。スイカが使えない可能性もありましたが、一か八かかざしてみると、ゲートは普通に開きます。


「……ハッ!?」


 改札を潜った瞬間、なんだかまた周囲の空気が一変したような、でも、今度はとても懐かしい匂いと温度のものに戻ったような、そんな感じがしました。


「……戻った……街がもとに戻ってる……」


 振り返って改札の向こう側に覗く街の景色を眺めてみると、遠目ながらもロシア文字の看板やプロパガンダ広告はなくなり、見慣れた英語表記や商業用看板が溢れているのがわかります。


 続いて駅舎内を見回してみても、利用客は今風の馴染みあるファッションをしていますし、貼ってある表示やポスターもいたって普通の見慣れたものです。


 幸運にも、僕は自分のよく知るこの世界へ帰ってくることができたみたいです。


 再びあちら・・・の世界へ行ってしまうんではないかと、さすがにまた改札を出て確かめてみる勇気はなかったので、その日はそのまま電車に乗って、真っ直ぐ家へと帰りました。


 とはいえ、その翌日には仕事に行かねばならず、前を行く見知らぬサラリーマンの背後にぴったりとくっ付いて、恐る恐るA駅の改札を覚悟して潜ってみたのですが、なんだか肩透かしを食らったかのように何事もなく、街の景色が違和感あるものに変わるようなこともありませんでした。


 仕事終わりにあの喫茶店へも行ってみましたが、やはりロシア料理店には変わっておらず、当然のように馴染みの喫茶店のままでした。髭面のマスターも変わりなくカウンターの後に立っています。


 それでも、いつまたあの現象に巻き込まれてしまうのか? 今でもA駅の改札を潜る度に心の内ではドキドキしています。


 まあ、あの異次元に紛れ込んでしまったかのような不思議な体験をしてしまったのは、けっきょく、その一度切りだったんですけどね……今のところは。


 あれは、いったいなんだったんでしょう? 言葉も普通に通じるし、全体的には同じもののように見えても、なぜか英語ではなくロシア語が溢れ返っていて、共産圏のような看板や銅像がある街の景色……もしかしたら僕は、資本主義をもとにした僕のよく知る日本ではなく、いまだソビエト連邦も東側諸国も健在で、共産主義圏に組み込まれた違う世界線の日本へ足を踏み入れていたのかもしれません。


 つまりは、並行世界に存在する、僕の知らない別の・・日本です。


 A駅でこんな不思議な体験をしたのは僕だけなんでしょうか? もし同じような体験をした人がいるんだとしたら、ぜひ会って話がしてみたいと密かに思っています。


                       (世界線を繋ぐ駅 了)

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世界線を繋ぐ駅 平中なごん @HiranakaNagon

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