2 見知らぬ街

「おかしいな。どう見てもこの店なんだけど……」


 外に出た僕は、その見慣れた店構えを眺めながら首を傾げます。


 看板はロシア文字のそれに変わっていますが、やはりよく知る喫茶店としか思えない外観をしているんです。


 どう考えてもつい先日までは馴染みの喫茶店だったはずです。なのにあの働いていた女性はずっと前からロシア料理の店だったと言い張っています。そんなことってあるものなんでしょうか?


「でも、ほんとに似た店と間違えたのかなあ……」


 しかし、常識的に考えれば、可能性としてあるのは偶然にも非常に似た造りの店が近い距離で駅前に二軒あって、うっかりにもそれまで知らなかったもう一軒の方へ入ってしまったということです。


「もしかして、いつもと反対側に出ちゃったとか……?」


 いつもは駅の西口を出るのですが、無意識に東口へ出てしまったなんてこともあるかもしれません。街の様子になんとなく違和感を覚えたのも、それが理由なら納得がいきます。


「でも、そんな間違えるなんてことあるのかなあ……?」


 そこで、僕はもう一度、駅の方へ戻りながら、行きつけの喫茶店を探してみることにしました。


「……ん? ああっ!? な、なんだこりゃあ……」


 ですが、雑居ビルの建ち並ぶ、その風景を見回しつつ歩き始めた直後のこと、それまで感じていた違和感の原因にようやく気づいたんです。


 普通、日本の都市ならどこであっても、母国語の日本語だけでなく、店名の書かれた看板や装飾的な表示など、英語表記のアルファベットが氾濫していますよね? ですが、今見ている景色の中にそうした英語のものはなく、先程のロシア料理店同様、それらの代わりにすべてがロシア文字表記になっているんです!


 道案内などの公的な看板も日本語と併記されているのは英語ではなくロシア語みたいですし、若者が着ている服に書かれている文字も、やはり見慣れたアルファベットではなくロシア文字です。


 こんなロシア文化一色に染まった街、このA駅前にあったでしょうか?


 ……いや、そうした文字表記を抜かせば、全体の景観はやはり馴染みあるA駅の西口なんです。


 もちろん東口側にも行ったことありますが、こんなロシアかぶれした感じじゃなかったはずですし、ビルや道の配置なども、やっぱり思い返すと東口じゃありません。


「ここってほんとにA駅前なのか? いったい僕はどこにいるんだ……そ、そうだ! スマホで……」


 ならば、もしかしたら違う駅で間違えて降りてしまったのではないか? と、僕はスマホを取り出して地図アプリを立ち上げてみました。


「やっぱりここであってる……」


 しかし、GPSもやはりここがA駅の西口前であることを示しています。


「いったいどうなってるんだ……」


 もう、何が起きているのかさっぱりわかりません……もしかしたら、もう少し歩けば、よく知る街の景色が広がっているかもしれない。


 何がなんだかわけのわからないまま、その知っているようで知らない・・・・街を、僕はもう少しぶらついてみることにしました。


 ですが、2ブロック、3ブロック先まで行ってみても、やはりどこか気持ちの悪い違和感のある街がそこには存在しています。


 しかも、よくよく観察してみると、ますます奇妙なものを発見することになりました。


 例えば、ビルの屋上に時折見かける商業用の大型宣伝看板が、この街では何やら農夫や土木工事労働者と思われる人々の絵とともに、「腐敗した資本主義勢力の侵略を許すな!」という標語の書かれたプロパガンダ広告になっているのです。


 また、選挙用か政党の宣伝用と思われるポスターのようなものを見かけたのですが、そこにはスーツではなく、何か中国の人民服みたいなモスグリーンの制服を着た人物の写真のとなりに「革命を進める確かな与党 日本社会労働党」と売り文句が書かれています。


「なんか、共産圏の国に迷い込んだみたいだな……」


 よりいっそう不気味さと不安を覚えつつ、街の散策を続けた僕は、ある公園の前にたどり着きました。


 その場所に存在する公園は僕もよく見知っていましたが、案の定、僕の知るものとはどこか違っています。


 まず見て明らかなのは、中央に立つ巨大な人物の銅像です。


 僕の記憶では、誰か地元出身の芸術家だかが作った等身大の裸婦像のようなものだったはずなのですが、それがロングコートを着て威風堂々としたおじさんに変わっていて、なんだか旧ソ連にあったレーニンの像みたいにも見えます。


 また、そのとなりには旗を掲揚する柱も立っているのですが、そこには地の色を白から赤に、日の丸を赤から黄色に変え、さらに黄色で左上に鎌と槌の絵を描いた、まるで日本国旗のパロディのような旗が風になびいているんです。


「ここ、ほんとに日本か……?」


 うっかり違う駅で降りてしまったどころか、最早、違う国に誤って迷い込んでしまったかのような気分がして、よりいっそう強い不安に駆られながら辺りをキョロキョロと見回していたその時。


「君、どうしたのかね?」


 突然、背後から声をかけられ、振り向くとそこにはモスグリーンの軍服のような衣服に身を包んだ、背の高い男が立っていました。

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