世界線を繋ぐ駅

平中なごん

1 見知らぬ店

 これは、僕が不意に日常の世界から非日常の世界へと迷い込んでしまった……そんな不思議な体験のお話です。


 東京某所にA駅という駅があります。生活圏内にある駅で、通勤でも遊びに行く時でもよく使っていたのですが、その日も、まさかそんなことになるとは思うよしもなく、いつものように電車でその駅に到ると、特に何か思うこともなくホームへと降り立ちました。


 その日は休日で、時刻はお昼少し前。買い物をしにA駅のある街へ出かけ、昼食もそこで済ます予定でした。


 普段と同じように電車を降り、普段と同じように階段を上り下りして、改札口へと向かいます。


 ですが、スイカ・・・をかざし、ゲートの開いた改札を潜った、その時でした。


「……!?」


 温度というのでしょうか、臭いというのでしょうか? なんだか周りの空気がその瞬間に一変したような、そんな感覚に襲われたんです。


「……なんだ?」


 なにやら街の様子も、いつも見慣れているものとはどこか違っているような気がします。


 何が違うのかと訊かれたら、はっきりと具体的に答えることはできないのですが、強いて言うならば行き交う人々の服装や髪型が、どこか地味というか古めかしいというか、今のファッションにしてはどうにも違和感があるように感じるところでしょうか?


「気のせいか……」


 ですが、それくらいの曖昧な違いを感じるだけでしたので、その時はただの勘違いだと結論を出して、そのまま気にせず駅前を離れることにしました。


 最初に向かったのは、駅から数分歩いた所にある喫茶店です。行きつけの店で、学生時代からよく通っている馴染みの店でした。


 コーヒーを飲むついでに、そこの名物であるナポリタンを昼食に食べようと思ったのです。


「いらっしゃいませ」


 カラン、カラン…と聞き慣れたベルの音を鳴らして入口のドアを入ると、カウンターの向こうに立つ若い女性が挨拶をしてきます。


 ですが、僕はその女性に見憶えがありませんでした。


 普段はそこで髭面のマスターがコーヒーを淹れているのですが、その日はいつになく違っています。それに、ウェイトレスさんにしても初めてみる顔です。


 あれ? マスターじゃないんだ……新しく雇ったアルバイトの子かな?


 まあ、そんなこともあるでしょう。怪訝に首を傾げつつも馴染みのある店内をいつも座っている奥の席へと向かい、最早、自分の家の椅子並みに座り心地を憶えているソファへと腰を下ろします。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 すると、カウンターにいた女性がお冷とおしぼり、それにメニュー帳を持って僕のもとへとやってきました。


 きっと新人さんなので、僕が常連であることも知らないのでしょう。


「ああ、いつものオリジナルブレンド・コーヒーとナポリタンのランチセットで」


 そんなことを思いつつ、メニューを見るまでもなく注文の決まっていた僕は、彼女に即答でそう答えました。


「申し訳ありません。当店ではコーヒーもナポリタンも扱っておりません。よろしければ他のものをご注文ください」


 ところが、彼女は困ったように眉根を寄せると、頭を下げてそう答えるのです。


「え? ナポリタンないんですか? ついこの前まであったのに…てか、コーヒーも!? 喫茶店なのに?」


 唖然と彼女を見返して尋ねつつ、一瞬、ナポリタンを出すのはやめてしまったのかな? と考える僕でしたが、直後、そんな単純な話ではないことに気づきました。


 彼女は確かに「コーヒーも扱っていない」と言いました。そんな、代名詞ともいえるコーヒーを出さない喫茶店なんて聞いたことがありません。


「いえ、当店は喫茶店ではなく、本格ロシア料理レストランです」


 ですが、さらに彼女はなんだかおかしなことを言い始めたんです。


「……はい? 何言ってるんですか? ここは前から喫茶…」


 眉間に皺を寄せ、わけのわからぬまま言い返す僕でしたが、ふと店名の書かれたメニュー帳の表紙へ目を落とすと、そこにはよく知るその店の名前ではなく、何かロシア文字っぽいものが金字で記されています。


「そ、そんな……!?」


 自分の目を疑いながらも慌ててそのメニュー帳を捲ると、そこにはコーヒーの代わりにロシアンティーが、トーストやナポリタンといった、いかにも喫茶店らしいメニューの代わりにピロシキやボルシチ、ビーフストロガノフなんかの料理名が記されているんです。


 慌ててメニュー帳から顔をあげ、店内をあちこち見回してみると、確かに見憶えのある店の造りや照明の雰囲気ではあるのですが、やはりロシア文字の書かれたポスターや、モスクワと思しき風景の白黒写真なんかが貼ってあったりと、なんだか細部が微妙に異なっています。


 そう言われてみれば、店内に漂う香りもコーヒー独特のそれではありませんし、女性の方へ視線を戻してみると、身に着けている白いエプロンもロシアの民族衣装っぽい花柄の刺繍が施されたものです。


「なんてこった……あ、あの、前はここ、喫茶店だったはずなんですが、いつからロシア料理店に変わっちゃったんですか? マスター…いえ、前のオーナーだった方は?」


 この異様な状況から僕が思い至ったのは、そんな可能性でした。


 つまり、僕が前回訪れてから今日までのわずかな合間に、なんらかの事情で急遽オーナーが替わり、それまでの喫茶店をやめてロシア料理店を始めたという、そういった大人の事情による職業形態の変更です。


「いえ、前から当店はロシア料理店ですよ?」


 ところがです。僕の質問に彼女はきょとんとした顔をして、怪訝そうにそう答えるんです。


「ええ!? そんなわけないですよ! 確かにこの前までここは喫茶店でした! 昔から通っていたお店です。間違いありません!」


「あのう……どちらかのお店とお間違えなんじゃないですか?」


 思わず大きな声を出して言い返す僕でしたが、彼女は困った客だなあ…というように眉をひそめて、痛い・・ヤツを見るような眼で逆に問い質されてしまいます。


「……そう……かもしれませんね……じゃ、じゃあ、ロシアンティーを一杯……」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 無論、納得はいきませんでしたが、これ以上言い張ってもクレーマーだと思われるだけですし、とりあえず僕は紅茶を頼むと、付いてきたイチゴやマーマレードのジャムと一緒にそれを飲んで、早々に店を出ることにしました。

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