第60話「通商条約締結会談 Part2」

 カシーム・ボンク、アレス商国ボンク家次男、実の兄を毒殺し、商団の団長の座を奪い取った男。奴の、主な商売は、人身売買、ワイン、宝石。冷酷かつ残忍だが、利己的な為、身分を問わず使える者は登用する才覚もある。


 本当に、面倒な豚だ。だが……、ランバーグに派遣された大使がこいつで良かった。こいつ以外の大尽が来ていたなら、交渉は始まる前から敗北していた可能性だってあっただろう。例えば、十三大尽会、大長老にして、第一席次キシュワード。あのような化け物が、出張ってくれば私では役者不足だった。


 まぁ、あの糞爺がこんな貧乏くじを引くわけないがな。


「このカシーム・ボンク、僭越ながら侯爵閣下にお渡ししたい物がございます」

「ほぉ、他でもないカシーム殿からの贈り物、ありがたく頂戴しよう」

「ウマイヤ」


 カシームが、獣人の奴隷に声をかけると、彼女が私のそばまで台車を押してきた。そして、デカンタからグラスにその中身を注ぎ、私の前へと置いた。彼女は、来た道を戻り、カシームにも同様に注いだ。


 私は、半ば確信しながらそのグラスに注がれた液体を匂った。相手を探るように丁寧な言葉で問いかけた。


「これは、お酒ですかな? それも、我が領内にて流行している酒と似ていますな、カシーム殿」

「これはこれは、さすがランバーグ王国きっての貴公子であられる、シールズ侯爵閣下でありますな。実に察しが良い」


 早速、先手を取った……とでも言いたげな顔だな。自信が見て取れる、気色の悪い力強い笑みを浮かべよって、この愚か者が。


 私は、この酒を飲む前に側に控えて居るスタンプの顔を見やった。その様子だと、この酒に毒は入っていないらしい。


 スタンプはこう見えて、毒魔法の名手だ。一番穏やかで、物腰が柔らかい奴ほど、後ろから突然刺してくるものだからな。スタンプ家は、こうやって代々シールズ家を支えてきただけでなく、王家にも仕えている名家だ。


 長男は、シールズ家を継ぎ、次男は王家に仕える。貴族社会ではこういった事は、珍しくない。特に力のある者だけが、貴族に選ばれる、ただそれだけの事だ。


「それでは、カシーム殿。乾杯」

「ランバーグ王国の益々の繁栄と、シールズ侯爵閣下のご健勝を願って」


 我らはグラスを掲げて、酒を呷った。全く、実に汚い声色だ。今にも飲んだ酒を、吐き出したくなる。


 ふむ、ウオッカの存在を見越して、何かしらの手を打ってくるとは思ったが、中々やるではないか。ショウゴの造ったウオッカは、なんとも味気なく酒精の強さが口の中を支配するような感覚だった。


 しかし、この一見ウオッカと見た目が似た酒は、普段より慣れ親しんできたような親近感があるな。そうだな……これは。


「葡萄かな」


 私の呟きに、カシームはゆっくりと反応した。ここまでは予想通りとでも、言いたげな顔が癪に障る。


「さすがですな、侯爵閣下。酒の原料を見事お当てになるとは、普段からとても良いワインを飲まれてるだけあって、舌が肥えていらっしゃる」

「はははっ、大したことではない。ただ、スッキリとした味の後に、知っている果物の風味が漂ってきただけの事だ。この酒は、どこで見つけてきたのだ?」

「見つけてきたのではありません、閣下」

「ほぉ? なら、カシーム殿が造られたのかな?」

「まさに、まさに。その通りであります。私もウオッカを飲んだことがありましてな、なんと画期的なお酒であろうかと思った次第でして、気づけば自ら商品開発に夢中になっておりました。

 まだ、この酒は世に発表しておりません。この会談への派遣が決まった時より、まずは大戦の英雄で有られます、翡翠ジェイドのマリウス様に飲んで頂きたいと心より願っていた次第です」


「フッハハハハッ、いやぁ、貴殿は褒めるのが実に上手なようだ」


 私はゆっくりと、グラスを揺らしその中の酒を眺めた。

 なるほど、確かにこの酒は財力と文化を顕著に誇示できる一品と言えような。貴様のしたり顔にも、納得できる。


 だが、しかし。この程度の酒では、笑止千万! 実に哀れ、哀れである……くくくっ。


「ククククッ、ハハハハッハッハッハッ」

「……侯爵閣下? 如何なさいましたかな? この酒が口にでも合わなかったのでしょうか」

「いいや、カシーム殿。そんな事はない! このような酒を飲んだ事は未だかつて無かった! 実に、見事だ。この酒であれば、貴族といった上客にも気に入ってもらえような」

「……勿論でございます。閣下の命とあらば、この度持ってきた物を全て差し上げますがいかがでしょう」

「くくくっ、いや、すまない。酒は結構だ、カシーム殿。さて、旧交を温めるのはこれぐらいにしようではないか」


 私は、弛緩した空気を鋭い声色で切り替えた。流れが変わってきている事を、この豚も理解したようだった。ようやく焦りの色が、じんわりと現れ初めている。


「本題に入ろうか、大使殿。あぁ、や、まずは食事をしよう。堅苦しい事は、食事でもしながらでなければ、互いにやってられまい?」

「無論、私も異存はございません」

 スタンプの指示によって、続々と大理石の上を豪勢な料理が埋め尽くしていった。主な料理は、魚料理でそれらの付け合わせに、パンが添えられている。もちろん、山で獲れる動物たちも酒宴を彩った。

「お口に合うと良いのだが、大使殿のために王宮より料理人を呼び寄せたのだ。特に魚はどれも新鮮で、脂が乗っている旬のものばかりだ。存分に楽しんでくれ給えよ」

「わざわざ、私の為にこのようなご配慮を頂けるとは、他の商人及び貴族が知ったらさぞ悔しがる事でしょう」

「はははは、アレス商国の大尽と彼らを比べるのは、あまりにも酷と言うものでは無いかね? だって、そうだろう。我が国は、貴国の領地を通行しなければ、北との取引が立ち行かなくなってしまうのだから、そこでだ大使殿」

「何でございましょうか?」

「貴殿も知っている通り、我が国は先日の大戦によって疲弊しておる。そのせいで、周辺諸国からあらぬ言い掛かりや、交渉を迫られているのが現状だ。勿論、貴国がそのような国だとは思ってはおらん。

 貴国とは長年、友誼を結んで来たのだからな。どうだろう、ここは我が国の惨状を知っている大使殿の力で、この先五年の利益に目を瞑っていただきたい。その暁には、我が国は貴国に対して感謝の意を表すと共に、この恩を決して忘れないだろう」


 ふふっ、我ながらよくもまぁ、これ程までに口が回るものだ。この豚は、新しい酒によってこのマリウスの虚を突き、会談の主導権を握ろうとしたのだろう。しかし、私は待ち構えていたのだ。貴様が、罠に飛び込んでくるのをな。


 私は、ショウゴの存在に十分な価値を見出していた。そして来るこの会談の為に、ある噂を流した。それは、今巷を騒がせている酒は、このシールズ侯爵によって開発された酒であると。


 この事をショウゴが聞けば、いい顔はしないだろう。が、私が謝れば済むことだ。わざわざ、奴を出迎える為にシールズ家の家紋が入った馬車を寄越したのも、私が周りにバレるようにショウゴの店へお忍びで出向いたことも、我が家紋の入った許可証を持たせた事もだ。


 全て、この街にいるであろうカシーム・ボンク! 貴様の放った鼠どもに見せつけあたかも、ウオッカが私の肝煎りであるかのように見せる為だ。貴様ら、商人のことだ。躍起になって、ウオッカを超える酒で私を見下し、利益を根こそぎもぎ取る気であったのであろう?


 今の、お前の苦々しい顔が物語っているぞ? 汚い拝金主義者め。


「お言葉ながら我らは小国の為、そのような余裕がございません。それに加え、此度の会談がこの時期に早まってしまった事にも理由がございます」

「理由だと……」


 早速、切り札を切ってきたか。相当追い詰められたか? これでは少々手応えがなさすぎるな……油断は禁物だ。


「はい、閣下。戦争でございます」

「ほぉ? それは、ラフロイグ神聖国とタリスカー帝国との戦争のことかな?」

「流石は、侯爵閣下であられます。そこまで、情報を掴んでいらっしゃったとは。いやはや、恐れ入ってしまいました。そうなのです、かの強国が戦争を始めますと当然! その隣国である我らも平穏無事ではすみません」

「それで?」

「はい、ですので我らを助けると思って、閣下には慈悲の心で我らに支援をおねがしたいと考えております」

「支援だと?」

「はい、これまではランバーグ王国との通商条約では、関税の税率はランバーグが輸出する際に売値の二割、アレスがランバーグに輸出する際には三割となっておりました。これをランバーグがアレスに輸出する際は五割、その逆はなしとして頂きたいのです」

「なっ……失礼いたしました」


 私は、スタンプを睨んだ。相手がそれなりの条件を吹っかけてくる事は、事前に予想していたはずだったからだ。ここでこちらの動揺を悟らせるような真似をしおって……。


 だが……、尋常ではない吹っかけな事も事実だ……。もしこの条件を了承してしまえば、この先五年のランバーグと北方諸国との交易は断絶するに等しい。アレスだけが、南西諸国唯一の取引相手となってしまう。


 それでは、国内の生産率が低いアレスが立ち行かなくなってしまう……。交渉の余地はあるが、これまでにない程の譲歩を私から引き出す気だな。しかし、一体この自信はどこから溢れてくるのだ。我が国は確かに、現在は弱体し憔悴してはいるものの……五年後には国力も回復し、かつての南方諸国の大国の一つとして覇を唱えるだろう。


 そうなれば、此度のような舐め腐った態度が己に返ってくるのは分かりきっている筈だ。なんだ? 一体何を隠している!


「大使殿、その話は些か暴挙じみていると思うのだが、いかがお考えか?」


 探らねばあるまい、この豚が隠し持つ真珠をな。


 

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