第61話「通商条約締結会談 Part3」

 クソクソクソクソ! なぜこの僕が、こんなにも早く切り札を切る羽目になっているんだっ!! 本来の計画ならば、会談の主導権はこの僕がっ、握る筈だったんだ。この男が、手塩にかけて蒸留酒を造らせていたのは、僕の優秀な諜報員たちによって知っていた!


 その為に、多大な財を注ぎ込みこの蒸留酒を開発したと言うのに、この男は欲しがる素振りどころか驚いた様子もない。絶対におかしい、この蒸留酒という発明はこの大陸全土の市場で価値がある物だ。それを出し抜けに、他人から横取りされれば、誰しも必ず心が折れるはずだ! 


 それとも、面の皮が分厚すぎるのか? それが一番濃厚な線だ。現に、こちらが出した条件に伯爵は反応したが、この男だけは憎たらしいほど表情を変えなかった。


 しかし、それでもあまりにも冷淡に事を運ばれている。貴族相手の商談は、これまでも数多く場数を踏んできた僕だが、引っ掛かる……この会談には、何かある。


 この僕が、翡翠のマリウスの手のひらで踊らされている……。なればこそ、盤上を叩き割らねばなるまい?


「ご無理を承知で申し上げているのです、侯爵閣下。貴国は、既に危機を脱しましたが、我が国はこれより戦乱に巻き込まれていくのです。図々しい事を言わせて頂けば、貴国の危急存亡をかけた先の大戦の折に、我が国は惜しみない軍需品を提供させて頂いたはずです」


「確かに……貴国の我が国に対する、特別な配慮を私を含めたランバーグの民は忘れてはいない。しかし、大戦の後に過不足分の金を支払うという契約があったはずだ。すなわち、貴国に感謝はすれど借りた恩はないはずだ?」


 ちっ、商人に負けない弁達者だ。ランバーグは大戦中、戦時に置ける特別な銀貨で商取引を行なっていた。その銀貨は、純粋な銀ではなく、青銅や、銅といった不純物の含まれたもので、大した価値のない物だった。


 それでも、アレスはこの戦争がランバーグの勝利によって終わると見て、戦後過不足分を請求すると共に、利子をつけて受け取るという契約を締結していた。


 つまり、侯爵の言い分は最もである。最もではあるが、その返済は今現在完了していない。少しは動揺を見せるかと思ったんだがな……仕方ない、やはり切り札をここで切るとするか。


「そうですか……、我が国の置かれた危機的状況をご理解頂けない様で残念です。侯爵閣下にお見せしたい物が御座います」

「何だろうか?」


 僕はウマイヤに一通の封筒を手渡した。そして、それを彼女がシールズ侯爵へとそれを運んだ。侯爵は、表情一つ変えずにその手紙の封を切り読み始めた。すると、どうだ……。


 ここまで、顔色ひとつ変えなかったランバーグの盾と言われているマリウス・シールズの鉄仮面が、目に見えて軋んでいるのがわかった。表情こそ、変えなかったものの顔色が良くないぞぉ、色男。


「如何ですかな、侯爵閣下。私は、貴国の未来を案じた上で提言している事を理解して頂けたでしょうか」

「…………」


 フハハハッ、あの翡翠のマリウスが声も出ないようだな! 今すぐにでも声高く勝鬨をあげて、笑い飛ばしてやりたい気分だ。しかし、今回ばかりは同情するよシールズぅ。


 その手紙は、ラフロイグ神聖国がアレス商国に対して認めた親書だ。内容の概略はこうだ、タリスカー帝国との戦争の折、敵国との交易を断交せよ。さすれば、神の御名によって神の軍団を動かしてやる。まぁ、こんな内容だ。


 ここでいう、神の軍団とは神聖国が抱えている、聖ラフロイグ騎士団を指している。神の名の下、どんな侵略行為も認められている軍隊で、一度神託が降れば相手が滅びるまで行軍を止めない軍隊だ。この騎士団に、ランバーグ王国は苦しめられた。


 その悪夢が再び、この会談の如何では再来するとなれば、さしものシールズも慎重にならざるを得まい?


 とはいえ、あの狂信者共が簡単に小国の言うことを聞く訳もなく、これには理不尽な条件が付いている……。そしてその条件を利に聡い我が国が受け入れるわけもない。しかし、ブラフとしては効果抜群の様だがな、ケケケッ。


「つまり、私が大使殿の条件を飲まなければ、ラフロイグ神聖国の属国である。つまり我が国隣国のボルドー騎士国が、戦争の傷も癒えぬ今再び、我が国に攻め行ってくると?」


 かかったぁ! そうだ、その思考に陥ってくれれば良いんだぁ。そうなれば、握り損ねた主導権を僕が取り戻せる! ボルドー騎士国は、先の大戦でランバーグ王国と激しい戦いを終えたばかりだが、神託となれば四肢がもげようと行軍を開始するだろうからな。

 脅しの道具としては十分だ。


「誠に遺憾ながら、そうなる可能性が高いと申し上げるほかありません。ですので、貴国の未来の為にももう一度! 先程の税率のお話を−−」

「−−そうだな、堅苦しい話をするには酒が必要だとは思わないか。それと何か、甘い物が食べたいな。どうだね?」


 ……私の話を遮るとは、全くもって気に食わない男だ。


 しかし、ここで僕が勝ちへの焦りを見せれば、シールズの思う壺だ。なぁに、焦る事はないではないか。この男は血筋だけで、その椅子に座っている空虚な男だ。僕のように、商魂逞しく何かを生み出すような、発想も力もない少し腕が立つ程度の剣士だぁ。


 少し腕が立つだけとは、過少評価かな。だが、少なくとも僕以上の文化人では無い筈だ。僕にウオッカを横取りされても、プライドを傷つけられていない所を見ると、蒸留酒の市場価値にまるで気付いていなかったのではないか?


 ケケケッ、そう考えると僕は何で今まで目の前の男に困惑していたんだ? 敵を自ら大きくする必要はない。主導権はこちらにあるのだから。


「えぇ、私も構いません。ちょうど、大変美味しい料理を頂けた所でしたから。デザートが食べたいと思っておりました。それに、侯爵閣下が普段からどういったお酒を飲まれているのか、非常に興味深いところでもあります。侯爵閣下の好みが分かれば、私がご用意して贈らせていただきましょう」

「それは有難い提案であるな、大使殿。有り難くはあるが、貴殿に私が欲する酒は用意できないと思うぞ?」

「……? それは一体どう言う意味でしょうか」

「百聞は一見にしかずと言う奴でな。私も全てはわかっておらんのだ。とにかく、飲んでみるといい。日頃より、美味なる食材に金を惜しまない貴殿の事だ。きっと、気に入るであろうよ」

「はぁ、それは実に楽しみですな」 


 明らかに、シールズの纏う空気が変わった。ここから、逆転できるような切り札を持っているのだろうか。


 まさか……、僕のブラフに気づいたのか?


 伯爵の合図によって、晩餐の間に控えていた使用人たちが動き出した。僕とシールズのもとに、それぞれ台車を押して使用人がやってきた。その台車には、アガペー製のデカンタとグラス、そして小皿、その小皿の上に何やら茶色い球体状の物が幾つか盛られていた。


 使用人たちは、目の前でデカンタから酒を注いでいく。デカンタの中に見える琥珀色の液体に、僕は見覚えがない。色の付いた酒、アレスは土地柄さまざまな民族が商売をしている為に、多くの種類のお酒も売られている。その酒の中にも、数多くの色の付いた物があったが、どれもワインの様に透き通ってはいなかった。


 大抵、濁っているような色合いを持っているものが殆どだ。にもかかわらず、目の前でグラスに注がれた酒を見ると、思わず手に取ってシャンデリアの光を当ててしまう程、透き通った美しい琥珀色に僕は魅入られてしまった。


 ここで、僕の心と背筋に冷たい何かが走ったのを感じた。これが、酒だと言うのか……。知らない、見た瞬間から僕の知らない酒の存在に体が強張ってしまった。


 そんな酒を前にして、シールズは優雅にグラスを何度か揺らし、香りを楽しんでからそれを口に運び、少しの感嘆を漏らすのであった。


 その様子を見て自然と、僕の喉が鳴った気がした。


「毒など盛ってはいない。 好きに楽しまれよ大使殿。会談を続けるにも喉が渇いてはいかんだろうからな。はははっ」


 僕は、この為に雇った<渇欲の戦士団>魔法使いのリナを見やった。すると、彼女は少し頷いて言った。


「肯定……、とても美味しそう。私も飲みたい」


 馬鹿を言うな、今はそれどころじゃない。


 安全も確認し、私はまず香りを嗅いだのだが……。あまりの香り高さに鼻腔を支配された。そしてそれを頭が理解すると目の前の景色が、信じられないことに葡萄畑へと変わり、あたり一面に色とりどりの花畑が現れた。


 ……なんだ? この酒の匂いは……幻覚が見えるほどに幾重にも香りが重なっている。葡萄酒の持つ華やかさとフルーティーな甘み、すっきりとした花の香りに、蜂蜜のような喉に絡みつくような重厚な甘さまで……それで居て強烈な酒精の香りも感じられる。僕の知っている酒とは、これほどまでに、高貴な物であったろうか。


 僕の常識が崩れる音がする。この酒を飲む勇気が、まるで出ない。


「…………ぅあ、あぁぁ、あっ、っあ……」

「どうされたのだ? 今回のウイスキーは、少々甘みが強いな。私の口にはあまり合わないが如何かな?」


 ういすきー? 聞き覚えのない単語だ。この酒の名前なのか、知らない。


 受け入れられない現実に混乱した。それでも、確かめるほかない。飲んだら、案外大した事ないかもしれない。……そうだ、きっとそうに違いない。全ての贅沢を経験してきたんだ。


 僕はゆっくり、グラスに口をつけようとした。


 たまたま、血筋が良いだけで、なんの苦労もなくその椅子に座っている男が、僕の知らない美酒を飲んでいるはずがっ。


 流れ込んでくる、琥珀色の液体が口の中で黄金の様に輝いているのがわかった。最初に感じるのは、白ワインの華やかな甘みだ。それでいて、バニラや花の蜜のようなしっとりとした甘さ。最後に、重厚で荒削りな木材と煙の香りが甘さを攫っていく。


 く、口の中で、三度、三度も味が変わった!! な、なんだ、これ……。


 言葉にならない、本当になんだ、これ。眩暈がする……僕は、アレス商国、十三大尽会、第十三席次のカシーム・ボンク……。


 僕はグラスを手からすべり落としてしまった。その時、決定的な烙印を背に押された気がした。シールズは、普段からこの酒を飲んでいる? たかが王国の暴力を担当している侯爵風情が、こんな美酒を……?


「うぁぁぁあああああ!! 知らない、なんだこれ、なんだこれ、なんだこれぇぇぇ!! 僕が、僕が、この僕がぁぁっ! 知らない、知らない、美酒の美酒の匂いぃぃぃぃ! それに酒とは思えぬ華やかかつ重厚な味わぃぃぃがっ、するぅぅん!!!!」


 僕の頭の中に、会談の二文字はすでになく。僕の知らない、僕の持っていないこの蒸留酒の正体を知りたくて仕方なかった。この酒は、市場価値を……市場価値? 


 いや僕の商魂が叫んでいる、この酒は必ず新たな富の象徴となる物である。

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