第36話「惚れた腫れた」

 翌日、夜明け前。


 昨夜は、アントンと俺の酒を心ゆくまで飲んで、騒いだ。その途中で、ユリアがうるさくて寝られないと、二階のカイの部屋へと転がり込んでいった。ティナは、酒を飲まず、甲斐甲斐しく酔っ払った俺の面倒を見てくれた。


 そして、何故か朝起きるとティナが俺と同じベッドで寝ていた。記憶を辿れば、ティナはそれはもう頑張って、どんちゃん騒ぎをしている俺らの相手をしてくれていた。そのせいで疲れて、そのまま寝てしまったのだろう。体力お化けの、ティナを疲れさせるって一体どんだけ騒いだのか、ゾッとした。


「ティナ、ありがとうね」


 俺は、彼女の寝顔を見ながら、その絹糸のような銀髪を撫でた。少しくすぐったそうにする彼女が、愛しかった。お礼に、朝食は俺が作ろう。どうせ、おっさんずはまだ寝てるだろう。


 リビングに出ると、おっさんずが各々床に転がって爆睡していた。アントンに至っては、ウイスキーの入っていた一升瓶を抱いて寝ている。本当に昨日の、ドワーフどもの飲みっぷりは凄かった。


 最初の方こそ、味わうようにウイスキーを飲んでとても感動してくれていた。この味を飲むために、山を越え、国を越え、川を越えてきた甲斐があったそうだ。しかし、そこから彼らの飲むペースは、加速した。正直、思い出したくない。


「さて、朝食は何が良いだろうか。ティナの好きなものが良いな。となると、トンカツだが朝からは重いな。海鮮の塩煮と、二色そぼろ飯にするか。アントンから、残っている米をもらったしな」


 そう、俺は異世界で初めて米を手に入れた。それも、タイ米ではなくしっかり丸いお米だ。そぼろ丼なら、出汁茶漬けにしても美味いし問題ないな。


 まずは、昆布で出汁をとる。お湯を、温度計で六十度前後にキープして一時間煮出す。その間に、グレートボアの豚肉をミンチにして、生姜を千切りから微塵切りにして油で炒める。十分に、生姜が油に馴染んだら、グレートボアのミンチを炒めていく。そこに、塩、酒、昆布の出汁を加えて、煮詰める。


 次に、アイテムBOXから異世界の魚を取り出す、見た目は青、紫、緑といった色をしているが、見た目とは裏腹に味も脂ものっている。これを、捌く、頭、内臓、三枚に卸す。内臓は捨てて、頭とその中骨をお湯にサッと通して臭みを取ってから、昆布だしと一緒に煮出す。


 とその時。


「おはよう、ショウゴ」

「ユリア、おはよう。稽古の時間?」

「うん、それにしてもいい匂い。何作ってるの?」

「えっとね、お魚の塩煮とグレートボアと卵のそぼろ丼」

「美味しそうね、ショウゴって料理もできちゃうから嫉妬しちゃう」

「それはどうも、元々は料理人を目指してたからね。これくらいできて当たり前だよ」

「そうだったんだ。どうりで、ショウゴのご飯はいつも美味しかったのね。何か手伝う事はある?」

「それじゃぁ、ネギを切って貰おうかな。散らすようだから、細かくね」

「わかった」


 俺とユリアは、並んでキッチンに立った。俺は、幸せだと思った。誰かと並んで、キッチンに立って、朝食の用意をする。かつての俺には、無かった光景だ。以前の俺は、会社をクビになり、半ばヤケクソで東京で一旗あげて、目的を失いかけていた。


 そこには、安らぎなどなく、金に物を言わせ、女を抱だけの虚しい日々。それが今は、大事な人たちとこうして肩を寄せ合っていられる。


「ねぇ、ユリア」

「なぁに」

「もし俺が、娼館で女を抱いたらどうする?」


 本当に俺は、徐に聞いてしまった。何故なら、最近ご無沙汰で溜まっているからである。俺も自分で、ユリアに聞きながら、何故今聞いたのかと思ったが、むしろ今しかなかったのかもしれない。


 ユリアのネギを切る手が止まった。少しの静寂が痛々しかった。地雷を踏み抜いたようだ。


「ねぇ、ショウゴ。それって、私とティナさんがいるにも関わらず、遊びに行くってことわかって言ってる? 私とティナさんの想いを知っていて言ってるの?」


 ユリアの声色は、先程までの甘い微睡にいる女の声ではなく、底冷えした谷底に吹く風のようなものだった。


「あははは、うん、やっぱりダメだよね。ごめん、無神経だった忘れて」


 俺は、死への直感を感じて、引き下がった。仕方ない、最終手段、バレないように行くしかないか。俺は今、人生で初めて複数の異性から想いを寄せられている。こう言う時、前世だったら、片方をお断りするのだろうけど、現状それが今の俺にできるのだろうか。


 ユリアは、俺から絶対に離れたくないと思っているし、俺が手放せば必ずブルガが彼女を商売女に連れ戻す。それは絶対にダメだ。かたや、ティナは俺に剣を捧げた騎士だ。騎士の誓いは、命よりも重く、彼らは名誉のために死ぬことを選ぶ。主君から捨てられた騎士に、待ち受けるのは自決の一択。


 俺、詰んでるんだよね。


「……ショウゴ、この際だから言っておくけど。私は、貴方の妻にして欲しいなんて、大それた希望は持ってないわ。ただ、そばに置いておいて欲しいだけなの。妾でも性奴隷でも、構わないの」


 彼女の、消え入りそうな声、それでもその中に見え隠れする覚悟と希望は、まるで俺が彼女を貶めているような、最低の気分だった。


 俺は、ユリアの手にあった包丁を置かせて、その両手を俺の両手で包んだ。


「ユリア、自分を貶めるような事を言うのは、やめてくれ。俺が辛い。ユリアは、綺麗で、優しくて、本当は少女なところも、頑張り屋で、負けず嫌いで、本当に素敵だと思っている。だけど、俺はティナにも重い想いを向けられていて、正直どうしたら良いかわからないんだ。だから、君たちにこのまま中途半端な関係で、手を出したくないんだ。だから、ガス抜きに花街へ行かせて欲しい」


 ユリアは、途中まで顔を真っ赤にしながら話を聞いてくれていた。しかし、俺の最後の一言で冷めたように目が据わった。そして、彼女は右手を振り上げて俺の左頬を、思いっきり張った。


「ばか!!!」


 ユリアは、怒って自室へと引きこもってしまった。俺は、綺麗にもみじの跡ができた左頬をさすった。


「いててて」

「ショウゴ、お前はアホじゃ」

「親父と珍しく意見が、あったな」

「見損なったぞ」


 そこには、いつからいたのであろうか、ドワーフのおっさんずが揃っていた。そして、三人全員が呆れたような顔をしていた。


「立ち聞きかよ、趣味悪いな」

「心の赴くまま、抱きしめてやれば良いものを」

「そうそう、二人とも妻にすれば良いじゃないか。人間はそうなんだろう?」

「妻を二人も? 人間は悍ましいな」

「あのね、それは俺も考えたけど、平民は妻は一人しか持てないの」


 そう、平民に妻を複数娶ることは許されていない。


「貴族になれば良いではないか!」


 白髪のアントンが、然もありなんと平然と言ってのけた。


「はは、それこそ馬鹿馬鹿しい。一介の酒職人が、どうやって貴族になるんだよ」

「じゃから、世襲できる貴族ではなく、一代かぎりの貴族、その中でも最低位名誉市民になれば良いんじゃよ」

「名誉市民……?」


 アントンの話によれば、名誉市民とは、平民でありながら、著しい功績をあげたものに与えられる、名誉という名の程のいい褒賞だそうだ。


 そうか、名誉市民は貴族街で住む権利を与えられる、一代かぎりの貴族。名誉市民は金の力でも買えるそうで、比較的手に入れやすい地位!


 そうすれば! 俺はこのハーレム問題を解決できるんだな!!


「っしゃあああああああ!!!」

「ショウゴ、鍋が煮立っているぞ?」

「あ、やべ! あっ、あちちち」


 海鮮汁が煮立ってしまった。


 けれど、俺の心は晴れやかだった。ユリアとティナ、二人は俺の人生になくてはならない存在になって来ていた。そう思えば、思うほど俺の心は重く、最近は疲れすら感じるほどだった。


 しかし、この世界で俺が甲斐性を見せて、名誉市民になってしまえさえすれば、失わなくて済む。俺は、何かを切り捨てる事が苦手だ。前世でも、ウイスキー造りを諦めきれず、母への恩返しも、全てに執着して未練を残した男。


 神様がいなければ、この世を永遠に彷徨っていた哀れな魂。だから、俺は今世も全部拾うと思う。大事な人も、ウイスキーも全部拾う。


「俺って、我が儘だな」

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