第10話「危ない話」

 商業ギルドを後にした俺は、不動産屋へ赴き店舗の検討をした。数件の候補を絞り込み、その日のうちに実見をした。その中で気に入ったのが、十五坪程の店だった。元は、軽食と酒を出していた場所で居抜きで借りられるとの事だ。家賃も月々銀貨五枚と格安ときた。その理由としては、此処もまた大通りから少し離れた奥まったところだからだ。


「どうせなら、このカウンターで酒も出しつつ、酒を売るのもいいな。酒屋兼BAR的な・・。なら、少し奥まったこの立地は悪くないな。大人の社交場は、こういうわかりにくい所にあるべきだ」

「お気に召しましたでしょうか?」

「はい、ここにします」


 俺はその場で契約書にサインし、家賃と引き換えに店の鍵を貰った。石造な外観と中が木造なことも気に入った。築年数は十年ぐらいで、比較的小綺麗だ。店の奥には、五人ほど座れるカウンターがある。店の入り口中央に、フレーバードウオッカを瓶詰めで売り、ピュアウオッカは計り売りで売ろうと思う。


 ウイスキーをまだ売っていないのには、理由がある。それはブランド化だ。まずは、味気のない酒精が強いウオッカを庶民に広め、酒として格の違うウイスキーを富裕層相手に売り、貴族階級からの庇護を得ようと考えていた。


「いつ、不埒な輩がちょっかいかけて来るか分からないからな。とりあえず、店の防犯には時空魔法で、時間を止めて保護をかけよう」


 時空魔法で、この店の時間を止めれば、誰がどんな兵器を使ってこの店を壊そうとしてもびくともしなくなる。鍵穴だって、回らなくなるからピッキングでの解錠の不安もない。


 ただ、俺の身辺警護だけは不安が残る。時空魔法は、自分にはかけることが出来ない。それに対象に触れなければ発動できないのだ。つまり、戦闘の技を知らない俺にとっては、時空魔法は戦闘に使えないに等しい。


「商業ギルドの警護の件、早めに来てくれると助かるんだが」


 そう思いつつ、店の掃除と商品の陳列をしていたら、すっかり日が暮れていた。


「ありゃ、これはもう今日は家に帰れないな。どっかで宿でも……いや店で寝るか」


 ナッツの親父に店番を丸投げにしていたので、その後始末とベッラに餌をやりに行って、馬番に金を渡しベッラの面倒を一晩頼んだ。自分の店に向かう途中、最も明かりが点く通り、歓楽街で軽食を食べ歩いた。


 すると、派手な赤い建物の前を通り過ぎようとした時、一人の女性が香水を漂わせながら俺の腕を絡め取った。


「旦那」


 不意に俺に対して鈴を鳴らしたような甘い声で話しかけてくる人影があった。


「ん?えーっと」

「もぅ、忘れたとは言わせないよ。あたしを滅茶苦茶にしておいて、知らぬ存ぜぬはひどいじゃないか!」

「ちょ、思い出しましたから、そんな大声で言わないでください。・・全く、相変わらず大胆ですね」


 そう彼女は、初めてアクアリンデルで春を買った<赤い唇>の高級娼婦だった。


「当たり前じゃないか、夜の女は金持ちには弱いんだよ。部屋から、海を眺めてたら旦那の姿が見えてね。こうしてお出迎えしてあげたのさ」


 あちゃ、料金の倍を払ったのが不味かったか? 良いカモだと思われてしまったようだ。ここはとりあえず拒否をして、俺に対して敬意を払わせてやる!


 そんな男の見栄を思いながら極めて冷静に彼女に話しかけた。


「あはははっ、そろそろ手を離してくださいませんか? 今日はそう言う気分ではないもので、また近いうちに寄らせて頂きますよ」


 すると彼女は、組んだ腕を力強く胸に引き寄せた。俺の腕は、彼女のたわわな乳房に埋もれてしまって、なんてすべすべのぷにぷにで柔らかいんだと泡を喰ってしまった。酔っていてあまり覚えてはいないが、あの熱い夜を思い出してしまう。


 これはまずい、非常にまずい状況だ。


「あ、ちょ」

 思わず情けない声が漏れた。

 誘惑されているのかと思ったが、彼女の妖艶な唇が俺の耳元に近づいて来た時、彼女は先程の娼婦らしい甘い声ではなく冷たい声で話しかけてきた。


「旦那、やばい連中に尾行されてるよ。いいから黙って、今日は私を抱いて行きな」

「なっ馬鹿な……」


 彼女は強引に俺の頬にキスをして、先程までの声色高い甘い声で周りに聴こえるように俺を娼館へと引きずった。


「さぁ旦那、今日もいい夢見せてあげるよ」

「あ、は、はい」


 彼女の言葉が、真実かはわからない。

 ただ、娼館に入って行くときに建物の影から、こちらを睨みつける複数の男たちがいた。彼女の言葉のせいで、自意識過剰になったかもしれないが、彼女の誘いに乗るには十分な言い訳だった。

 彼女の顔パスで娼館の階段を登って行き、見覚えのある個室へと辿り着きベッドに腰を掛けてしまった。


「あぁまた、来てしまった」


 娼館の最上階に位置する彼女専用の仕事場だ。燭台の光が、赤い壁を淡く照らしていた。お風呂屋は嫌いでは無い、むしろ大好きと言っていいだろう。ただ−−


「−−今日はやけにしおらしいじゃないか、旦那」

「あっ、いや」


 き、気まずい。シラフだと、こうも夢の国は気まずいものなのか?! ていうか、やっぱりこの娘、犯罪的な若さなんだが!? どうしよう、前世だったら結婚を前提とした双方の両親の許諾がないと付き合えないティーンエイジャーだよ!!

 だけど、どことなく歳不相応で大人びた雰囲気と言葉遣い、この歳で春を売っているんだからきっと苦労してきたんだな。


「酒でも飲むかい? 旦那、酒好きだろう? この間来た時は、水のように酒を飲みながらあたいを抱いてたんだからさ」

「あはははははっ、そうだっけ? とりあえず喉が渇いたし、も、貰おうかな。」


 俺がそう言うと、彼女は金属製の杯二つに酒を注ぎ始めた。


「旦那は、一体なんの商売をしてるんだい?」

「商売?」

「そうさ建物の影からこっちを見てたあの連中は、この街でシャブ売ってる三頭蛇ケルベロスっていう、ちょいとやばい連中だよ。そんな奴らが、ここ最近一人の商人を調べ上げてるってみんな言ってたよ」

「みんな?」

「はい、お酒。」


 彼女は酒の入った盃を手渡してくれた。入れてくれた酒は、葡萄酒だった。俺はそれを一気に呷った。今の俺にとってワインは葡萄ジュースみたいなもので、なんとか喉も潤って余裕が出てきた。

 彼女はそのまま俺の隣に座ってきた。距離感がかなりバグっていて肌と肌がくっついていた。


「あぁ、ありがとう」

「少しは落ち着いたかい?」

「うん。それで、さっきの話は」

「旦那は、この街に来て日が浅いだろ」

「まだ一ヶ月くらいかな」

「なら、やっぱり噂の酒商人は旦那なんだね」

「何でそれを」

「私は、高級娼婦さ。私の事を買えるのは、この街の顔役連中だけなのさ」

「まさか・・みんなってこの街の権力者階級」

「ふふっ、商人のくせに、私がいい女だって事に気づかないなんてね。金貨1枚あれば、一つの家族が三月は暮らせるんだよ」

「そ、そんなに?」

「ともかく、旦那はこの街で金持ちだと思われてる。野良商人のくせ、馬車には、地竜を使ってるし、町中の人間が足を運んで買いにくる商品まで持っている。気をつけなよ、旦那。貴方はもう、飢えた狼たちに狙われている」

「……ゴクッ」


 彼女は、硬直している俺の体を揉み解すように肩を揉んでくれた。そして、耳元でささやいてきた。


「娼婦の言葉なんて信じられないかもしれないけど、聞いておくれ。あたしはね、旦那の事が気に入ってるんだ。今まで、たくさんの男を抱いてきたけど、旦那のような男は初めてなんだよ。私の股座まで舐めてくれた男はね」

「っ……」

 俺の体が赤くなるのを感じた。酔っている時の俺はあんまり記憶がない。でも確かに前世の指名していた娘達は、俺の前戯がしつこいって言っていた気がする。


 彼女は、俺の背後から前方に周り、膝の上に向かい合うように座ってくれた。下から上へと目線が浮くように、彼女の熱気も昇ってくる様だった。


「男はみんな、馬鹿みたいに娼婦へ突っ込むだけさ。でも、旦那は私を喜ばせようとしてくれる、嬉しかったよ。だから、こうして私も危ない橋渡ってるんだ」

「あ、危ない橋……ゴクッ」


 彼女は、さらに顔を近づけてくる。それこそ、互いの吐息を直に感じられる程に。


「そうだよ、やばい客の話を漏らしてるんだ。殺されたって可笑しくない」

「あ、そうですよね。どうして一回だけ相手した男の為にンッ」


 娼婦の彼女が話を遮るように、キスをしてくる。深いキスになる程の、小休止を経て彼女は唇を解いてくれた。


「女にここまでさせたんだ。聞くのは、野暮ってものだろう。ねぇ、旦那。ここは娼館だ。いつまで、私に話相手をさせる気だい?」


 彼女の話が本当だろうが、嘘だろうが、今は確かめる術もない。ただ、俺はまんまと彼女のサービストークに嵌まってしまった事は確かだった。


 初めて、シラフで商売女を抱いた俺は、彼女に「シラフだと、ずいぶん甘いキスになるんだね」と言われて、酒癖を直さなければいけないと再確認した。



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