chapter6
「こっちだよ、こっち」
カイバが一子の手を引いて早足で歩く。
「ま、待ってくださ……」
一子は肌寒い中、無理矢理前に進むことを強要されていた。
しかし歩くうちにそれに疑問を抱く。
果たしてカイバがこんなことをするだろうか?
こんな暗い森の中を、ライト一つも持たずに?
「あの、どこに行くんです」
「どこって、まくら駅さ」
「まくら駅?」
確かに一子とカイバはそれを目指してここに来た。けれど何故急に、夜中に何の装備も持たず。知っているはずのない道なき道を、何の迷いもなく。
「……貴方カイバさんじゃないですね?」
一子は自分でも驚くほど低く冷静な声を出した。そして掴まれた手を振り払う。
「カイバさんが夜中に私の部屋に来るわけがない。彼は紳士ですもの」
「……それじゃあ、この俺はなんなんだい?」
「強いて言うなら、不埒な方です」
「……記憶がなくなると案外変わるものだね、人間ってのは」
「その言い方だと、まるで貴方は人間ではないと言っているみたいですね」
一子は目の前の男を凝視した。
月明かりに照らされたそれは確かにカイバの顔と背丈。その口から聞こえるのはカイバの声。
でも決定的に違う箇所がある。
「カイバさんはもうちょっと、優しい方です。貴方がどんな方だか知りませんが、彼の観察を怠りましたね? それはよくありません」
「元工作員のアドバイス、身に染みる」
「……私のことを知っておいでで?」
「ふふふ、まあね。だが、褒美をやろうと思ったのに抵抗されるとは思わなかった。君は御しやすい奴だと、前はそう感じたが」
「……はあ」
一子はそっけない返事を返す。
「じゃあ、まあ、ここで改めて問おう。お嬢さん、失った記憶を取り戻したいか?」
男は手を後ろに組み、首を傾けてニヤケ面でそう言った。……カイバの姿で。
「それ不愉快なんで一旦やめてもらっていいですか?」
「なるほど確かに」
男は肩を揺らしクククと笑うと、両手をバッと顔の前に広げた。そして下ろす。
そこにあったものを簡潔に言うとするのならば、顔のない人型。
「……のっぺらぼう?」
「ちがうちがう。俺は妖怪じゃない。……そうだな、ヒントをあげよう。代償と引き替えに願いを叶える伝承的存在、ってなぁに?」
「ええと、……分かりません。記憶がないので」
「のっぺらぼうは分かるのにかぁ?」
***
そのころ一方、本物のカイバはすっかり寝ていた。
良い夢だった。甘い物をたらふく食べる、そんな夢。
しかしそれもすぐ終わる。誰かに体を揺さぶられた。
「んん~~? もう朝かぁ~~?」
瞼に浴びせられる光に眩しさを感じながら、カイバは布団から上半身を起こした。
「イチぃ~、まだ寝ててもいいんじゃないかぁ~?」
起こした相手の方を見ると、黒尽くめの男が片膝を立ててこっちを見つめ返していた。
「……」
カイバは目と口を丸くする。一旦天井を見ると、なるほど光の正体は蛍光灯。枕元に置いていた腕時計を見ると、午前三時半。それからまた男に目を向ける。
「カイバ。連れの娘が消えたぞ」
「……」
「それから追っ手が来ている。もうすぐここに来るだろう」
「……」
「すぐに着替えろ」
「……」
カイバは顔をそのままに、服を着替えて荷物をまとめた。
それから男の案内で、窓から紐をつたって降りる。
「娘がどこに行ったかは分からない。だからカイバ、お前の第六感頼りだ」
「……」
「いつまでそう呆けているつもりだ」
「…………いやだって、おめーが来たらもう、最悪なことが起きる前兆じゃんかぁ……」
「最悪なことが起きるという、予告をしているんだ。さあ、好きなように歩け」
「…………はぁ、仕方ねぇな」
渋々カイバは歩いた。どこに行くべきかは分からない。だが何となくこっちに行きたいという感覚があった。
まだ夜明け前の田舎、古い木造建築が立ち並ぶ道を二人は歩く。
次第に景色は河川敷に変わり、田んぼに変わり、鬱蒼と生い茂る木々と腰まで伸びる草に変わる。
「森じゃねぇか。なんで一子がここに来るんだ?」
「お前の第六感だ。分かるわけがない」
「……ま、そりゃそうか。いやまてよ。もしかしたらこの先にまくら駅が?」
「線路が森にあるとでも?」
「チッチッチ。想像力を鍛えたまえワトソンくん」
静かな森の中、くだらない会話が続く。
***
「お、おい! 連中はどこに行ったんだ!?」
「いません! どうやら窓から出て行ったようです!」
「なっ、くそ、感づかれたか! 外を探せ!」
***
「……にわかには信じられません」
「ま、でしょうね。でも信じてもらわなくちゃ話が進まないんだよ。ともかく、まくら駅に行こう」
男は再び一子の手をつかんだ。
今度は振り払われることなく、足を進める。
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