03#包帯男

 空から街を見下ろして、その「果て」が視界に入る。

 赤いとうを中心に作られたせいかつけんをぐるりと囲む、びた色のえんとつが立ち並んでいた。

 それは細長いきょじんに守られているような、飼い犬のおりを想像させた。

 

 煙突をばしているのは乱立した工場だった。

 蜘蛛くもの巣よりも細かい道路線は全てつながっていて、行き止まりは見当たらない。

 けれどどうしているのは一部だけで、煙突から煙がはいしゅつされている様子もなかった。

 

 そしてめいのような工場街をた先には、原っぱが広がっていた。

 近くに似たような街は存在していない。空から見通しても、他の生活圏は見当たらない。

 ただ白いじゃの上に黒い線路が引かれて、それがたこの足のように伸び続けている。

 

 どれだけの高度を飛んでいるのか、イノリにはわからなかった。

 けれど街のぜんぼうあくして、こうしんだけがうずき出す。

 

「なあ、街の外はどこかに繋がっているのか?」

「もちろん。西には食都、北にはちくさん都。その他にもいっぱいあるよ」

 

 相変わらずクロートにえりもとつかまれて飛んでいるが、なにかしらのじゅつを使ったのか首元は苦しくなかった。

 塔都からはなれていく列車を見た。白く、箱みたいな形だ。それは東へと進み、小さくなっていく。

 どこへ行くのだろうか。それを知る前に、トタンの屋根に足が着いた。

 

はいこうじょうと言っても、多いからなぁ。目立つように移動したから、フィガロには気づかれてると思うけど」

「時間短縮のためじゃなかったの?」

「それもある。相手がけてきた方が」

 

 クロートの言葉がちゅうで止まり、イノリの体がばされた。

 背後から転びそうだったが、それ以上におどろいたのは目前の光景である。

 包帯で全身をかくした、筋肉質の男。それがクロートを掴んでとし、トタンの屋根に穴を開けていた。

 

 たたらをみ、左足が空を切った。

 屋根のはしまで辿たどいてしまい、姿勢がさらにかたむいた。

 右足がすべり、本格的に屋根から落ちかける。あわてて伸ばした右手の指が、屋根の角を掴んだ。

 

 屋根からぶら下がる形で停止したイノリは、今いる建物が倉庫だと気づく。

 ちょうど視線の先に小窓があり、ほこりくもってはいたが、中の様子をのぞくことができた。

 放置された段ボール箱の山。それをくずす包帯男が、なにかを探すようにうろついている。

 

 包帯の表面には筆でびっしりと文字がえがかれており、目ががいとうする部分もすみで書かれた文字が記入されている。

 ひとみの位置に「目」と、鼻や口、耳さえも包帯でおおいながら同じように該当文字が置かれていた。

 そして「目」の文字と視線が合った。背筋をなぞったせんりつに従い、慌てて屋根から手を離した。

 

 五メートル近い高さから落ちたが、受け身をとってコンクリートの地面を転がる。

 またもや学ランに埃がついてしまったが、小窓とかべを打ち破って現れた包帯男に向き合う。

 包帯男は二メートル近く、イノリは見上げる状態できょを取る。

 

 包帯男の手には包帯が巻かれているだけだ。

 クロートは倉庫の中に捨て置かれたのか、近くに気配はなかった。

 

「お前がフィガロ?」

 

 問いかけるが、返事はない。

 文字の「口」が書かれた包帯周囲がもごもごと動くが、声は小さすぎて聞こえない。

 包帯男の動きはぎこちなかった。油を差していない自転車のチェーンの方がまだなめらかだ。

 

「クロートはどうした?」

 

 じりじりと後退しながら、なおもたずねてみる。

 敵のねらいがおうコレクションであるならば、包帯男は足止めだ。

 しょうそう感でのどが焼けそうだ。おくそうしつになる前は、こんなのと戦う機会はあったのか。

 

「……」

 

 包帯男は口をふさぐ包帯を動かしていたが、その声がイノリに届くことはない。

 自らがこわした倉庫のれき西すいほどの大きさである壁のかけを、ごうそっきゅうのように投げた。

 あまりの速さに思考が追いつかず、直感だけでける。別の倉庫にぶつかった瓦礫がれきは、新たな穴とざんがいを生む。

 

「うおっ!?」

 

 一つで終わらない。二つ、三つと瓦礫がおそいかかってくる。

 避けている内に包帯男が歩み寄ってくる。歩行速度はゆるいが、一歩のはばが大きい。

 車二台がかろうじて並べられる道は曲がり角が多く、ぼうへきとなる倉庫の壁は山のようにある。

 

 しかしイノリは壁に隠れなかった。

 なにせ「かんつう」するのだ。投げられた瓦礫によって壁がほうかいし、そこからとうかいし始める倉庫もあった。

 包帯男の射線上からげつつ、視界から外れないように距離を保つ。

 

「ちょっとは話し合うとかないのかよ!?」

 

 さけんでみるが、やはり反応はかんばしくない。

 常に口部分の包帯が動いているが、布地にさえぎられて言葉が消えていた。

 新たに投げられた瓦礫により、また別の倉庫に穴が空いた。

 

 積まれた段ボールが道を塞ぐように転がり落ち、柘榴ざくろもも味という、よくわからない味の飲料ペットボトルが散らばる。

 やわらかい素材を使っているのか、それとも保存期間が長すぎたせいか。灰色のコンクリート地面に落ちた一部が中身をぶちけた。

 着色がひどい赤色が広がって、気味の悪いみずまりが出来上がる。

 

「売れ残りとはいえもったいない!」

 

 そう思っても地面にいつくばってすする気はなく、踏まないようにえるだけでせいいっぱいだ。

 赤い川のようにイノリと包帯男の間を横切る飲料水。一歩そうとした男が、一本足だけで体の向きを回転させた。

 いびつな人形のような動きに、気を取られる。背中を向けた包帯男が、自らの体を壁に礫を投げた。

 

 うでが見えなかったことがわざわいし、反応がおくれる。

 ビー玉程度の大きさだったが、額に当たってけた。

 右目の横を伝い、ほおからあごへと血が流れていく。わずかに体をひねったおかげで、めいしょうには至らなかった。

 

「……」

 

 包帯男の背中には「十六号」と書かれていた。

 真意はわからない。けれどいい意味ではない気がした。

 学ランのそでで額の傷をぬぐえば、乱暴だったものの血は止まる。

 

 地面を転がるペットボトルを一つ掴む。

 ふたを開け、中身を口にふくむ。あまっぱく、思ったより悪くない。

 中身が残っているのをかくにんし、ジュースの川を飛び越えるために助走する。

 

 それを察知した包帯男がかえり、こめぶくろ並みの大きさである瓦礫を持ち上げる。

 りょううでを使ってとうてきされた壁の一部がせまる。折れた鉄筋も飛び出ており、すでに両足が離れたイノリに避けるすべはない。

 

「っ!」

 

 ペットボトルをにぎったまま、右手でこぶしを作る。

 そして――なぐった。

 

「!?」

 

 初めて包帯男に感情のようなものがにじんだ。

 瓦礫を殴り落とし、ジュースの川をえて着地した少年とたいする。

 右手の拳はつぶれたペットボトルのせいで、飲料水でれていた。

 

 瓦礫を投げても、今のように落とされたら距離をめられる。

 全身を隠す包帯に描かれた文字。それを消されては――。

 

 声にならないほうこうほとばしらせ、包帯男はきょたいに見合う両腕を伸ばした。

 苦しそうに顔を上げた少年の腕を掴み、骨を折ろうと力を入れる。

 瓦礫さえふんさいできる五指。ものぐるいで潰そうとして、気づく。

 

 指がそれ以上まらない。

 

 鋼よりも少年の体の方がかたい。

 けれど濡れた右手はおさえられた。あとは動きをふうじてしまえばいい。

 きをくらわそうと頭をのけぞらせた包帯男の視界が、真っ赤に染まった。

 

 えきれなかった少年が、口に含んでいたジュースをした。

 完成度の低いきりきだったが、包帯男の顔全体を濡らす。

 墨で描かれた文字がけていき、機能を失い始めた。

 

「っ、あ、ぁあ、ぁあぁあぁぁああああ!!」

 

 ようやく包帯男の声を聞いたイノリだが、ほぼ息を止めているに近い状態だったのでせる。

 口の中に柘榴と桃の味が混ざり合っていて、くちびるの端から赤い飲料水がこぼれていた。

 

「っげほ、がはっ! 鼻に逆流するかと思った!」

 

 鼻のおくがつんとした痛みを残し、埃まみれの空気はむ。

 瓦礫を投げて倉庫がいくつか倒壊したせいで、周囲にすなぼこりって視界が悪い。

 けれど地面を転がる包帯男に聞かなければいけない。フィガロの手先か、いなか。

 

「ぁあああああ!」

「なあ、悪いんだけど話を」

 

 かたを掴んで、無理やりかせる。口元の包帯は解けていた。

 ぼこぼことあわつ血が、ぜっきょうと共にされている。

 けれど両手は文字が滲んだ目や鼻をさえていた。

 

「返せ! 私の目、鼻、ごぶっ、きゅ、口ぃっ!!」

 

 文字が溶けたしょは、飲料水以外のあかで染まっている。

 自らが吐き出した血で腕の字を濡らすと、包帯男の腕がだらりと力をなくした。

 それを激しい痛みで近くした男が叫び続け、少しずつ赤で体をしんしょくされていく。

 

「な、なんだよ……これ」

 

 包帯男の腕の包帯を引き千切る。声にならない悲鳴が上がったが、気にしていられない。

 えいもののサボテンでも回転して当たったのか、ずたずたに裂けた皮膚が空気にれる。

 それさえもげきと興奮にへんかんされて暴れる男が、血のなみだを流しながらこんがんする。

 

「心臓だけは! 心臓だけはぁああああ!!」

 

 左胸の包帯に「心臓」と書かれた文字。

 喉やぶくろ、肺も――正しい位置に文字が使われていた。

 一箇所でも濡れて文字が消えれば、た血が全身に広がっていく。

 

 包帯をじわりと濡らしていくせんけつ

 それが少しずつ足や肩へと広がって、男を苦しめた。

 

「ま、待ってろ! 今、クロートを」

 

 探しに行こうとして立ち上がり、砂埃をやぶってトラックが包帯男ごとイノリをいた。

 運転席にはちがう包帯男が乗っており、口に該当する布地がもごもごと動いている。

 

「……けて、……た……て」

 

 泣くことはできない。ただ声を出すが、布地に遮られる。

 背中に「十九号」と書かれた男は、まみれの包帯男と同じく動きがぎこちない。

 望まずとも、包帯が勝手に操作する。木乃伊みいらである方がまだマシだった。

 

 あやつられ仲間を轢いた男は、涙が滲まないように頭の中で言い訳する。

 必要なせいだった。下手したら自分が同じ目にっていた。仕方ない。

 全てはじゅつフィガロのせいだ。だれも助けてくれなかったから、こうなった。

 

 ハンドルを握りしめながら、ぶつかったしょうげきで飛び出たエアバッグに顔を埋める。

 アクセルからは足を離していた。けれどそろそろバックして、遺体を確かめなくてはいけない。

 前輪どうのトラックのギア操作し、エアバッグをじゃだと思いながらアクセルを踏む。

 

 ギュルルルルルルル……。

 

 空回りする音。全く後退しないトラック。

 十九号はエアバッグをしぼませ、割れたフロントガラスしに確かめる。

 砂埃がまんえんする景色の中で、黒い学ランがよごれているのが見えた。

 

「う、おりゃ、ぁあああああ!!」

 

 トラックの前方部分、鋼鉄の車体に両腕をき入れて持ち上げる。

 血塗れの男が気絶しているのを横目で見下ろし、イノリは運転席にいる包帯男をにらむ。

 

「アンタも、同じか!?」

 

 なにを言われたのか、いっしゅん把握しかねた。

 けれど少年がづかうように血塗れ男を顎で指すから、何度もうなずいた。

 濡れるわけにはいかない。この文字を失えば、全身をかれる末路に至る。

 

 涙ながらにうったえることなどできない。全身は包帯で隠れ、相手からは表情さえ読めないのだから。

 力強く頷く。少年の善良性を信じるしか、もう道はない。

 

「……けて」

 

 口をもごもごと動かして、何度もつぶやいた言葉を伝えようとする。

 届かないとわかっていても、魔術師のかんげんに乗った自分が悪くても。

 あきらめて血塗れの死をむかえるよりは、まだ希望があった。

 

「助けて」

 

 トラックは荷台と運転席を連結するタイプのものだった。

 しかし、だからといって。いっぱんの男子高校生がどうにかできるものではない。

 なのにイノリという少年は、包帯男が乗っている運転席を引き千切った。

 

 みょうゆう感。千切った運転席を持ち上げた少年が、それを横に置く。

 鹿ぢからで説明できるものではない。だからこそ確信する。

 

 魔術師フィガロの狙いは「かれ」だ。

 

「クロート!」

 

 記憶はない。しんらいさえ、今は手元から消えてしまった。

 けれど新たに生まれることだってあるだろう。少なくとも、少年にとってはゆいいつの可能性だった。

 

「こいつらを助けてくれ!」

 

 叫んで、包帯が体を巻き取った。

 足を、腕を。あらゆる部位にへびのようにからむ包帯は、砂埃の中から伸びていた。

 

ずいぶんいいこちゃんだな。変わってる」

 

 運転席の中にいた包帯男は、その声におびえる。

 強くなりたい願いをかなえ、利用した魔術師のやさしいこわ

 それはガラガラヘビよりもきたなくて、スズメバチの羽音より耳にさる。

 

「ヒイロ研究所の残留物のくせに」

 

 それは美しいエルフだった。うさぎのように長い耳さえもかんぺきな造形。

 男か女かもわからないたんれいな容姿は、絵画の中でほほむ天使のようだった。

 色素のうすい銀糸のかみを背中に流し、こしまで伸ばしている。

 

 はちみつ色の瞳はきんちょうをほぐし、白いはだは雪よりもとうめいな色合い。

 白衣を着ているが、ボタンは閉めていない。その下は包帯を緩く巻いているだけだった。

 ぼうだいな包帯をゆったりと着ることで、ワンピースのように見せている。

 

 しかし包帯の色は黒い。あらゆる箇所に墨で記録を残し、余白を埋めてしまった。

 くつはビーチサンダルのように簡素で、自らをかざてることに興味はなさそうである。

 

「お前は……」

「魔術師フィガロ。最強を追い求める者さ」

 

 そう言ってフィガロが微笑むと、イノリの体をこうそくする包帯が増えた。

 少しずつ木乃伊のように動きを封じられていき、引き千切れないかと力をめる。

 だが包帯には墨で「無効」と書かれていた。それだけであらゆる手段を封じられている。

 

「私は魔王コレクションには興味がないからね」

「ぐっ!?」

 

 首に絡みついた包帯が、気道をせばめるようにめてきた。

 息苦しさで口をはくはくと動かすイノリを、フィガロはえつを感じながらながめる。

 

「願いを叶えるしきよりも、自らの手で望みを実現させるさ」

 

 イノリの全身が包帯で覆われる。

 美しい勝利のみをかべ、魔術師は目的を達成した。

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